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世界帝国の歴史を、なるべく時系列順に紹介する。
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紀元前530年頃の人物で、中央アジアのカスピ海東岸に勢力を有していたマッサゲタイ族の女王、トミュリス。歴史的に極めて重要な人物で、あのペルシャ帝国のキュロス大王を討ち取ったのだからすごい。カザフスタンの映画だが、映画小国ならではの『謎の誇大演出』などもほとんどなく、映画としてのクオリティが高い。
紀元前480年、スパルタ王レオニダス率いるスパルタ軍300名が、ペルシア王クセルクセス率いる100万のペルシア軍を迎撃するべく立ち上がる。未来永劫語り継がれ、すべての男の魂の根幹を揺るがす生きざまとは。
『300』と続けて観るべき映画。スパルタの300人の精鋭部隊の裏で、もう一つの戦いがあった。実在の人物テミストクレスが、ペルシャ帝国の王ダレイオスを討つところから始まる。
紀元前336年頃、世界で三番目の帝国の覇者アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)。ギリシャ神話の神『トロイ』にも登場するアキレスの子孫という血統を持つ彼が、どのようにして東方遠征を成し遂げたか。壮大な音楽も有名。
紀元前218年頃。歴史映画の中でも史実に忠実であり、映像も綺麗で新しい。ドキュメンタリー映画のようで、戦闘のクオリティなども高く、ハンニバルとスキピオの戦いを描いた貴重な映像作品である。ハンニバルはローマを滅ぼす力を持っていた。
西暦4世紀(400年頃)、キリスト教が定着し異教の排斥が行なわれ始めた時代の、女性天文学者ヒュパティアの学問に殉じた半生をアレクサンドリアを舞台に描く。アレクサンドリアの大図書館は異教の魔窟として破壊され、異教徒には改宗か出国しか道は残されなかった。その中で改宗を拒み、青年たちに学問を教え続けるヒュパティアは、都の人々から魔女とみなされる。
『15世紀のオスマン帝国を舞台に、暴虐の限りを尽くす権力者に立ち向かう7人の精鋭部隊を描いたトルコ発の歴史映画』。メフメト2世と、『ドラキュラ』のモデルとも言われた『串刺し公ヴラド3世』のいた時代で、両者が対立する。ブラック・ウォリアーズはオスマン帝国側の兵士たちだ。
1520年頃。『エリザベス女王の母アン・ブーリンの壮絶な人生』。アン・ブーリンは、ヘンリー8世と駆け落ち的な恋をして、英国国教会が作られた…というくらいまでなら知っている人もいるかもしれない。だが、エリザベス女王の母親は壮絶な人生を送った。
1560年頃。女王としても世界一有名だが、女性としても世界一有名ではないだろうか。それがエリザベス女王その人である。だが、彼女が英国の女王となるまで、そしてなってからもそれは、平たんな道ではなかった。
1580年頃。カトリックだった異母姉メアリー女王のあとに、プロテスタントのイングランド女王として即位したエリザベス。カトリック大国スペインの国王フェリペ2世のイングランド制圧や、イングランド王家の血を引くスコットランド女王メアリー・スチュアート、スペインとの『アルマダの海戦』等についての歴史が描かれる。
『エリザベス』の続編と言ってもいい。ちょうどあの映画が終わった後に何があったかを切り取った映画で、歴史映画に造詣が深い人にはたまらない作品だ。事実、批評家の評価も高いという。あのエリザベス女王がなぜメアリよりも有名になったのか。そこには、やはりこうしたいくつかのからくりが存在したのだ。そして、メアリ・スチュワートの息子ジェームズ1世はエリザベス女王の跡を継ぎ、その後のチャールズ1世の時に、クロムウェルが登場するのである。
1622~1643年頃。『スペイン歩兵連隊最強の剣士』。日本で宮本武蔵が活躍する頃、アラトリステというスペイン歩兵連隊の最強の剣士がいた。フィクションではあるが、当時世界を席巻したスペイン帝国の盛衰を想像できる。
1637年頃。オランダ黄金時代のネーデルラント連邦共和国において、当時オスマン帝国からもたらされたばかりであったチューリップ球根の価格が異常に高騰し、突然に下降した期間を指す『チューリップバブル』を背景にした、オランダが舞台の貴重な映画。オランダ黄金期の映画はほぼ他に存在しない。
1815年頃。『ワーテルローの戦いとナポレオンの衰退』。スタンリー・キューブリックはナポレオンに関する映画を作ろうとしたらしいが、この映画の不発によってそれを諦めたという。内容はその程度だ。だがクオリティは高く、部分部分の見応えはすごい。そしてナポレオンの最限度も高く、歴史的にも重要なワンシーンである。
1858年頃。インド大反乱の女性指導者ラクシュミー・バーイーを描いている。この場合は上記作品と違って『謎の誇大演出』があるので、見づらい。歴史的にはかなり重要で、専門書にも名前が書いてあることが多い人物だけにもったいない。
1860年頃。『アンナとシャム王』の元になったアナ・リオノウンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』を原作に映画化された作品。タイは以前、『シャム』と言った。だが、理不尽なしきたりはあった。ここに家庭教師に来たアンナは壮絶な経験をすることになる。
1887年頃。インド女帝でもある英国のヴィクトリア女王と、あるインド人の若者の話である。女王は彼やインドの文化に興味を持っていたことにより親密になるが、キリスト教とイスラム教という宗教の違いが根幹にあることも手伝って、中々関係が良好にならない。我々は彼女たちの交友関係を通し、世界情勢の一つの縮図を見る。
第一次世界大戦(1914~1918)でのフランスとドイツの戦いを背景に、ドイツ軍捕虜となったフランス人の収容所生活と階級意識、彼らとドイツ人将校との国境を超える友情を描いて、鋭く人道主義的立場から戦争を批判した反戦映画である。最後、違う意味で国境を越えるシーンの際に、我々はこの作品から哀愁を覚える。
第一次大戦後の英国の植民地インドのチャンドラボアへ、英国娘が婚約者で治安判事の男を訪ねて来訪する。当時のイギリスとインドの関係はとてもナイーブであり、一歩間違えれば一触即発という雰囲気も水面下に漂っていた。
1945年。『偉人でも凡人でもないヒトラーの最期』当時、誰もがその名を聞いたら凍り付いた一人の男がいた。ナチスの総統、ヒトラーである。彼は一体何をしたかったのか。そして、どう死んだのか。
1914年のオスマントルコ。第一次世界大戦を目前にして、少数民族であるアッシリア人、ギリシャ人、アルメニア人たちは戦々恐々としていた。ムスリムであるトルコ人たちが、いくつかの戦争を経て、キリスト教徒に対し敵意を抱くようになり、アルメニア人などのキリストを信仰する少数民族を排斥するようになった。
2022年にロシアがウクライナに侵攻して世界に衝撃が走りました。もう帝国主義という考え方は過去のものとしてきたはずなのに、こうなってしまいました。しかし、歴史の専門書には『ロシアと中国』が何かをする可能性があるということは、書かれていたことでした。さてここで、世界の帝国の歴史をおさらいしましょう。
世界初の帝国が誕生したアッシリアの時代から、現代にかけての世界の覇権の推移を見てみよう。
ヨーロッパの覇権の推移
そしてこの後だ。規模もヨーロッパから『世界』へと変え、まとめ方は『世界で強い勢力を持った国』とする。
17世紀のイギリス以降世界で強い勢力を持った国
アッシリアからはじまり、ペルシャ、アレキサンダー大王のマケドニア、ローマ、モンゴル帝国と、この世界を『支配』する人が後を絶たなかった。
ローマ帝国の歴史が分かる映画を、なるべく時系列順で紹介する。
ローマ帝国が作られたのは紀元前27年。カエサルがその礎を築き、アウグストゥスが初代皇帝となった。紀元前509年~紀元前27年までは皇帝のいない国、つまり共和政ローマだった。もし、カルタゴ(北アフリカ)のハンニバルが『人格者』じゃなければローマ帝国は存在しなかったかもしれない。その後、『パクス・ロマーナ』の時代に突入。
しかし、375年にゲルマン人の大移動によってヨーロッパを支配していたローマ帝国は崩れていく。そして、395年にローマ帝国が東西に分裂し、476年にゲルマン人のオドアケルによって西ローマ帝国が滅びる。西洋史では、ここが古代と中世の転換点となる。『グラディエーター』はフィクションだが、『最後の善なる皇帝』マルクス・アウレリウスが登場する。ローマ帝国は、彼の息子コンモドゥスを境に衰退していった。『キング・アーサー』は伝説だが、400年代のローマ帝国の様子を想像することができる。
その後長い時間をかけてローマは単なる『イタリア』としてこの世界の一つの国に落ち着くようになる。オドアケルは、『初代イタリア国王』の異名を持つ人物だ。800年にカール大帝が『カールの戴冠』によって教皇レオ3世から『西ローマ皇帝』として認められ、
の融合に尽力するも、死後、彼が作り上げた大フランク王国は分裂し、
となった。962年、オットー1世はヨハネス12世から『神聖ローマ帝国』の帝冠を授かり、古代ローマ帝国を正式に受け継ぐ。その後もローマ帝国の名前は存在し続けるが、1453年5月29日、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)がオスマン帝国によって滅ぼされ、ローマ帝国は1500年の歴史に幕を閉じた。