Contents|目次
MOVIE RECIPEトップページはこちら。
当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。
『いびつな恋』というには、まず王道の雛形があるわけだ。そしてそれと比べていびつ。では、いびつはNGなのだろうか。そして、『王道』って、誰の恋愛の事?
今回配合するレシピはこちらです!
しかし確かにこの主人公の彼は、恋愛不器用と言っていい。日本人に近い性格かもしれない。よく言えば奥ゆかしくて謙虚だが、悪く言えば言い訳がましくて屁理屈屋で、勇気がない。だが、そんな男も、生きている。
まず、誘拐という形でこの男女関係は始まる。それはとても非常識である。だが、常識を守った延長線上に待ち受けているものは何か。そう考えた時、いささか彼らのような人生は、全否定できない。
『普通』に考えると、美しい女性は『金と権力のある力持ち』と結びつく。だが、ナイチンゲールが『立派な男性が求婚すれば、女性がそれを受諾しない理由はない、という考えにはまったく賛成できない。』と言ったように、そもそもそんな普通は、存在しない。
13歳のときに母親が自殺し、かつて母親を捨てたも同然に扱った水兵の父に引き取られた。だが父は現地の売春婦に溺れる生活破綻者で、彼もフィリピン人から暴力を受けて育った。帰国してからも父親は娼婦に溺れ続ける生活を変えなかった。その複雑な家庭環境が、彼から『愛』の姿を覆い隠す。
主人公の男はプライベートでも仕事でも答えは「NO」と言い、友人との付き合いや様々な勧誘・職場の個人融資の審査などあらゆることを断る生活を送っていた。この時点ですでに穿っているし、斜に構えすぎている。では、彼の行く末はいかに。
『いびつな恋』のジャブで、まずこのあたりの映画をラインナップ。きっとこれらを観れば、恋や、愛に悩むのは自分だけじゃないという見解を得るでしょう。自分一人で得られない新しい視点を持たらせてくれるのが、映画の醍醐味ですね。
『不倫』というテーマであれば違うレシピにまとめたが、今回のこのくくりで、また違うまとめ方ができる。大人には様々な事情があるのだ。
今回配合するレシピはこちらです!
子宝には恵まれなかったが、夫婦仲は順調だった。だが、ある日それは起こった。そしてすべてが覆ってしまった。原因はなんだ。真相はどこにある。謎を紐解いていく中で男は、一人の女性と出会う。
妻が死んだ。方や、シングルマザーである。更には、海岸に手紙の入ったビンを見つけ、それがきっかけで出逢った。これはかなり『非常識』な事例であり、見ごたえがある。
ニューヨークを舞台に、互いに家庭のある男女の「純粋な」不倫の恋を描いた作品。不倫恋愛映画の傑作とされるイギリス映画『逢びき』(1945年)のアメリカ版とも称されている。確かにどこか他の不倫作品とは違って見えるため、私はこれを『純愛編』のランキングに入れた。
自己中心的で頑固な変わり者の中年。いや、老人に近い年齢の男がいる。マイケル・ダグラス&ダイアン・キートンのW主演で描いた大人のラブストーリー。
『大人』というのは何でも許されるマジックワードではなく、『積み重ねられた様々な事情を抱えている』ということです。例えば不倫をしたという事実があっても、もしかしたらそれは『大人の事情』により無理矢理させられた政略結婚が原因だったかもしれない。そんな風に考えると、更にここに該当する映画が出てきそうですね。
ネタバレになってしまうのであまりここには入れることはできないが、このあたりなら紹介できるだろう。
今回配合するレシピはこちらです!
もし相手が一国の女王であれば、自分の身分が低い場合は叶わぬ恋だ。逆に、王子が一般女性と結婚するイギリス王室のようなシンデレラストーリーもあるのだが。
昔の貴族の話になると、そういう話はまたたくさん出てくる。身分が違うだけで結ばれないことは多々ある。それで言うと日本の皇室のあれこれの話が流れてくると、いつもこのあたりのテーマが頭をよぎる。
他のレシピに『儚い恋』とうまとめ方もしましたが、『叶わぬ恋』もまた同じように、妙な憧れがありますね。人はコレクションなどのように、『手に入れるまでが楽しい』という癖があるので、もしかしたらそれも関係しているかもしれません。しかし、断じてそれだけではないという尊さが、これらの人間ドラマにはあります。
人はテレパシーを使えない。また、男女の脳の作りは同じだが、『使い方が違う』という事実がある。それらが男女の恋愛を複雑にさせる。
今回配合するレシピはこちらです!
この場合、男が鬱病気味で、女性が強気。だから表層では、『女性がリードするべきだ』という事実が蔓延するが、深層ではやはり、男が気持ちを決めて行動しなければならない事実が存在している。その事実に気付けるかどうかが問われる。
男の育った家庭環境があまりにも複雑なため、実際、自分でもどうしていいか分からないというのが本音だろう。しかし、高潔な教官、類稀な哀愁の音楽の力も手伝って、その複雑さがこのドラマを名作に仕立て上げる。
この恋愛がすれ違うのには、理由がある。それは、この恋が禁断の恋で、かつ女性の立場がまたシビアなものだからだ。しかし、だからこそこのギリギリの恋は稀有な例となり、我々に新たな視野をもたらせてくれる。
時代的に、サイレント映画からトーキー映画に移り変わる時期で、そこで活躍していた者にとって複雑な心境がある。ゆえに、その時期に繰り広げられる恋愛もまた、平坦なものにはならなかった。
これも『あと1センチ』らと並んですれ違いムービーの代表作である。人は元来、生き抜くために臆病で、保守的であり、それはサバイバルとして相応な能力である。だが、それがこと恋愛ということになると、逆に足かせとなる場合がある。
ここで最後に持ってくるのがこの問題作だ。これは、観る人によって真っ二つの評価に分かれることになる。そもそもこれは『すれ違い』なのか。この恋は『成就していい』のか。
私は性格的にすれ違うようなまだるっこしい状態が嫌いで、すぐに白黒ハッキリさせるタイプです。その性格のデメリットもありますが、メリットの方が自分にとっては大きい。何しろ人生は有限ですからね。ただ、私のような性格ではまったくドラマにならない。すぐに話を決めて次に進んでしまうからです・・。