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健常者とは、障害者や難病者ではない人に対する表現で、特定の慢性疾患を抱えておらず、日常生活行動にも支障のない人のことである。
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遺産問題で、久しぶりにサヴァン症候群の兄と出会った弟。彼は最初、『であるからして』彼を見下していて、態度はどこか冷たかった。だが、たった一人のこの兄弟と時間を過ごすにつれ、徐々に違う感覚が芽生えてきた。
「1970年代のニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話に着想を得て製作された映画。我々も、そして彼ら(彼女ら)も、彼をそうして、守る子供として扱った。だが、我々は最後、『彼』から人生を学ぶのだ。
ある田舎町の自動車整備工場に勤める青年。両親の死で心を病んでしまった妹に振り回されながらも彼女を支え、12年間2人だけで生きて来た。そんなある日、ふとしたことから友人の従兄弟である文盲の青年サムを引き取るはめになった。彼はどこか足りない。だが、妹にとっては違うようだった。
この映画はアメリカ最大の発行部数をほこるスポーツ専門誌が掲載した記事を基に、知的障害の青年と学校の先生兼アメリカンフットボールのコーチとの友情を描いたノンフィクション映画である。ラストシーンでは実際の映像が出てくる。
ジョニーデップ演じる主人公の青年ギルバートは、食料品店で働きながら重い知的障害を持つ、ディカプリオ演じる弟と、夫の自殺から7年間も家から出たことがない肥満で過食症の母等と一緒に暮らしていた。警察沙汰になるほどの弟の奇行に振り回されるも、彼らの絆は決して切れない。
7歳児と同等の知能しか持ち合わせていない知的障害の主人公サム。娘と同等かそれ以下の知能しかないサムは、養育能力が無いのではと指摘されてしまい、施設に。だが、彼は娘のために法廷にすら立つ覚悟で戦った。
両手がハサミの人造人間であるエドワード。彼を生み出した発明家は急な発作で死去。つまり彼は、生まれたての赤ん坊と同じレベルで、この世に取り残された。町の人たちと触れあっていく中で、善いことも悪いことも経験していく。そして、彼が去った後、そこに残ったのは確かな哀愁だった。
人より知能指数は劣るが、純真な心と恵まれた身体、母への愛とある一人の女性への一途な思いを持ち、心ない人からは嘲りを受けつつも、それ以上に良き心を持つ周囲の人々の協力を受けて数々の成功を収め、同時に幸福を周囲にもたらしていく「うすのろフォレスト」の半生を、アメリカの1950 – 80年代の歴史を交えながら描いたヒューマンドラマ。
米国のソプラノ歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンス。彼女は自分を名高いソプラノ歌手フリーダ・ヘンペルやルイーザ・テトラツィーニに比肩しうると考え、自分の演奏中にしばしば聴衆が笑い出すのを、ライバルが職業的な競争心からやらせているのだと思い込んだ。『音痴』である彼女は滑稽にしか見えない。だが、本当にそうだろうか。
この映画で『目が見えなくなる男』が登場する。衝撃的なシーンで、普通に考えればもうそうなったら人生は真っ暗だ。だが、ある一人の女性にとっては、そうではなかったらしい。
『五体不満足』で有名な乙武洋匡さんは、手足が足りない状態にあります。しかし、彼が他人に与えた影響はとても大きい。本が発売された当時などは、多くの人が勇気をもらいました。また、ヘレンケラーは目が見えないし耳も聞こえない。しかし『盲目であることは、悲しいことです。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。』と言って、世に啓蒙してくれています。逆に、多指症として人より『多い』人もいます。世界には様々な人がいます。しかし彼ら彼女らの言葉に耳を傾けると、寒さに震えたからこそ、人に毛布をかける優しさを持っていることに気が付きます。
ここでの『足りない』は『映画の主役として』だ。『主役としての華』だとか、そういうイメージ。
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とある理由で4人の頼りなさげに見える男たちが、ストリップに挑戦することを決める。普通、『マジックマイク』のチャニング・テイタムのような筋骨隆々とした体なら見たことがあるが、こんなおっさんのストリップなどどこに需要があるのか。だがなぜだろう。我々は最後、彼らの人生を応援している。
1950年代の一時期、祖国チリを追われた実在の詩人パブロ・ネルーダが、ナポリ湾のカプリ島に身を寄せた史実にもとづき、架空の漁村を舞台に物語は展開する。主人公は内気な青年マリオ。だが彼は、主役にしては華がなさすぎる。だが我々は最後、彼の人生に違う目を向けている。
このおじさんは、いたって普通のおじさんだ。どこにでもいそうなおじさん。いやむしろ、少し頑固で、目障りに思う人もいるかもしれない。だが我々は最後、彼の人生に違う目を向けている。
離れ離れになった親に会うために旅に出る子供を護衛することになった、近所のおじさん。その程度のことしかしらないのだ。子供もそこに触れるほど成長していない。ここでいう『足りない』は言葉だ。お互いに言葉が足りない。おじさんは、名前すら名乗らない。さて、このまま最後までこのままなのだろうか。
映画というものは2時間程度におさめるわけで、スポーツで言うなら『ハイライト』のようなものです。後の時間は、食事、排せつ、睡眠、家事、移動などの坦々とした日常で埋まっています。ですから、どんな人でも単調な時間はあり、どんな人でも人生のハイライトはある。連続ドラマのように話を長引かせようと思ったらジェットコースターのようにメリハリを意識して作らなければならないし、2時間で終わるなら、その中で起承転結を完成させなければなりません。そういうことも関係しているでしょうが、しかし、何かを感じる映画とそうではない映画があるのが事実ですね。
『自閉症・アスペルガー・トゥレット症候群・吃音省・知的障害』等、様々なハンデを背負った人々の物語。
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生後間もなく公園の木陰に捨てられていた主人公の女性。秩序を好み、予測できない自然、特に植物を恐れている。過去のトラウマが関係しているある種の強迫性障害を抱えているわけだ。植物嫌いが祟ってアパートの裏庭は荒れ放題になっていて、それをめぐって近隣トラブルになる。そのご近所との出会いが、彼女に足りない何かを埋めはじめる。
アスペルガー症候群を抱える11歳の息子は父親と仲良しだったが、9.11のテロによって父を失う。失った後、ある種の抜け殻になった彼は、父の面影を求めて街を彷徨う。彼は一体どうなってしまうのか。母親は?我々はただじっと、彼の行く末を見守る。
2007年に製作されたドキュメンタリー映画『Beautiful Young Minds』をドラマ化した作品。自閉症の少年が、多発性硬化症と闘いながらも、数学教育に従事していた教師に導かれ、国際数学オリンピックに出る為に数学の特訓をする姿が描かれる。母親との絆が『目に見えた』時、我々はこの映画に『はじめて』温かさを覚える。
トゥレット障害により頻繁に意図しない言葉を口走ってしまうが、人並外れた記憶力を持つ私立探偵が主人公。彼がなぜその障害を持っているのかが謎に見えるが、サヴァン症候群の前述した人々の例を考えると、『障害はあるが、その代わりに並外れた能力がある』から、それをこの仕事に生かそう、とう流れがあるということがわかる。
吃音に悩まされたイギリス王ジョージ6世と、その治療にあたったオーストラリア出身の平民である言語療法士ライオネル・ローグの友情を史実を基に描いた作品。私の部下にも吃音省がいるから、他人事ではない。
躁うつ病の父親を持つ子供と妻の物語。主人公はというと、『この家族全員』ということになるだろう。彼自身も生きるのに大変だが、彼と共に生きる家族も大変だ。
知的年齢が6歳の男は、しっかり者の6歳の娘と暮らしていたが、誤解によって殺人罪で逮捕されてしまう。娘と離れ離れになり寂しさを募らせていたが、収監されている7番房の囚人たちの助けを借りて、感動の物語が展開されていく。脚本自体はフィクションだが、1972年に春川市で派出所所長の9歳の娘が性的暴行を加えられて殺害された事件がモチーフになっている。
自閉症の少女が主人公。彼女の場合は『スタートレック』の並外れた知識を持っていることが特徴だ。『スタートレック』の脚本コンテストに参加しようとしており、コンテストの賞金で家を買い戻したいのだという。外に出ることすらままならない彼女は勇気をもって一歩を踏み出し、大冒険に出る。
弁護士のローマンは人権派の弁護士として法の下に弱者を救う信念を持ち、仕事の合間を縫って司法取引改革のための集団訴訟の準備を続けていた。サヴァン症候群である彼には抜群の記憶力と弁護士として優れた才覚があったものの、真面目で融通が利かない性格のため法廷に立たず、裏方である法律アドバイザーとして働いていた。
自閉症の少年がたまたま解いたパズルは、NSAのニコラス・クドロー率いる開発チームが作り出した暗号システム「マーキュリー」であり、本来なら誰も解くことのできないものだった。彼はそのせいで国家レベルの問題に巻き込まれてしまうことになる。
カイザー・ナイフとも言われるスリング・ブレイドで、過去に『何か』をして、精神病院で長年入院生活を送っていた男がいた。彼はどこか不器用に見え、ろくに人との会話もできない様子だが、とある少年と出会い、再び人生を歩きだす。だが、我々は最後、衝撃的な展開を目の当たりにすることになる。
やはり目立つのは自閉症やサヴァン症候群の人たちの『代償の法則』ですよね。そうしてハンデを背負っている反面、ある特定の能力がずば抜けているという状況が現実の世界でもよくあります。物理的に考えると、『ダムの水』が思い浮かびます。放出口が10個あると、それぞれの場所から放水される水の量は分散されますが、1つしかないと、そこから放水される量は前者の10倍になる。こういうイメージです。実際はそう単純な話ではないでしょうが、人間の能力の顕在化の何らかのヒントがここに隠されているような気がします。
容姿が他と比べて普通ではないとか、何か異常事態が起きていたり、あるいはそこにコンプレックスを感じていたりして、とにかく容姿に関連する映画をピックアップ。
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頭部に奇形を持つ窃盗犯のジョニーは、犯行中に仲間の裏切りに合い投獄される。彼はそのせいで常に負の問題を呼び起こしていたが、仮釈放を条件に、ある医師による実験的な整形手術を受けることに。果たして彼は、正常な頭部に蘇生できるのか。
19世紀のイギリスで「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描く。「どんな人生か想像つくかね?」「はい。大体は。」「いや。彼の人生は誰にも想像できないと思う。」ホプキンスが主人公にも見えるこの映画だが、この会話によって彼は単なる脇役であるという事実を思い知る。
「一度見たら夢に出そうなブス」だった事から誰からも手酷い扱いを受けていた女性。そんな自分に唯一優しくしてくれた男性を振り向かせるため、数百万円をかけて全身整形手術を受け、誰もが振り向く美女に生まれ変わる。この映画では舞台は韓国の芸能界であり、「ブスが整形手術で美人になる」という共通点だけがある。
特に何かのハンデを負っているわけではないが、趣味に逃げ、人生を先延ばしにしているこの中年男性はコンプレックスの塊にも見える。そんなおっさんの人生を見ても普通は面白くもなんともないが、我々は最後、彼の人生を応援している自分に気が付く。
ロサンゼルスを舞台とし、美貌と若さを兼ね備えた少女が嫉妬が渦巻くファッションモデル業界に飲まれる模様が描かれる。あまりにも衝撃的なラストゆえ、心臓が弱い人には推奨できない。
メル・ギブソン主演、初監督作品。彼が『顔に異常がある男性』を演じる。近所の少年との絆を通して、徐々に抱えた心の闇を晴らしていくが、また違う問題が彼を襲い、壁にぶつかる。果たして少年はまた彼に会えるのか。
ひょんなことから顔が入れ替わった刑事とマフィアの物語を、ニコラス・ケイジとジョン・トラヴォルタという豪華俳優が好演。ジョン・ウーの出世作で、彼が手がけたものの中で『レッドクリフ』や『ミッション:インポッシブル2』に次いで成功した作品といえる。
コンプレックスは誰にでもありますからね。例えばクリスティアーノ・ロナウドは身長が187㎝もあって、大金持ちだしハンサムで、世界トップクラスのイケメンとして数えられますが、彼はチームメイトと写真を撮影する時、必ず『背伸び』をするそうです。日本人からすると長身でも、彼の周りにいるのはもっと背が高い人々なのでコンプレックスを感じているようですね。だとしたら我々日本人のことはどうみられているのか・・(;´д`)トホホ。『人間は自分のコンプレックスを除去しようとつとめるべきではなく、それと調和を保つようにつとめるべきです。』フロイトなんかはこう言っていましたけどね。