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チベットにはチベット仏教があり、輪廻転生(生まれ変わり)が信じられていたりして神秘に包まれている。ダライ・ラマ14世はノーベル平和賞を受賞していたりして、世界的影響力も大きい。
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古代マヤ人が2012年の冬至ごろに訪れると予想した人類滅亡に関する幾つかの仮説を元に製作された。これはメソアメリカ文明の長期暦において、2012年12月21日に一つの区切りを迎えることから来ている。この映画でも、あるチベット人僧侶が一人のキーマンとして登場する。
アイガー初登頂で知られるオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの自伝の映画化。彼がチベットで過ごした7年間、彼と若きダライ・ラマ14世との交流を描く。彼は意図して『チベットへの旅』を目指したわけじゃないが、人生に問題を抱えていた一人の男だった。そんな彼は少年ダライ・ラマとの出会いで何を得るのか。
ドクター・ストレンジ
天才外科医時代のストレンジが、交通事故に遭って両手にマヒが残るケガをしてしまう。あらゆる治療法を試し、最後にネパールのカトマンズの修行場カマー・タージに辿り着く。そこで神秘の力を操るチベット系の僧侶である指導者エンシェント・ワンと巡り会った彼は、未知なる世界を目の当たりにして衝撃を受け、ワンに弟子入りする。
ダライ・ラマ14世の半生を描いた伝記映画。世界の人からすると存在自体が神秘の存在である。波乱に満ちた一生を送ったのが分かる。マーティン・スコセッシは、『沈黙』のようなキリスト教を応援する映画も作るし、ちゃんとこういう風に違う宗教にも目を向けるところがいい。
ヒマラヤの奥地に潜み、数千年の歴史を持つ影の同盟(League of Shadows)のリーダーであるラーズ・アル・グールが登場する。バットマンことブルースウェインは彼の下で武術を覚えた。ネパールもヒマラヤも厳密にチベットではないが、ほぼ同じ位置にある。チベット自治区はヒマラヤ山脈の北側にあるチベット高原に位置する中国の自治区。
チベットから亡命し、ブータン王国の寺院で仏教の教えを説く高僧ノルブの元に一通の電報が届いた。それは晩年を海外での布教に捧げ、9年前にアメリカで亡くなったノルブの師である高僧ドルジェの生まれ変わりの可能性がある少年が見つかったというものであった。
地理的には西から数えて、インド、ネパール、ブータンがあり、それらがヒマラヤ山脈に隣接していて、チベット自治区はそのヒマラヤ山脈の北側にあるチベット高原に位置します。ブッダの教えを説いた『仏教』は、このようにしてチベット仏教だとか、~仏教だとか、様々な宗派に分かれます。シンプルに考えて、結局は根幹にいるのは『ブッダ』になるわけです。彼の通称は『釈迦』。釈迦一族の王子であった彼の本名は、ゴータマ・シッダールタ。彼が息をしたのは2500年前で、ちょうどこのヒマラヤ山脈の付近で生活していました。彼の存在は世界中の大勢の人間に、今なお強い影響を与えています。
オランダが舞台となる映画をピックアップ。
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1665年のオランダ、デルフトの街を舞台に、ヨハネス・フェルメールの絵画『真珠の耳飾りの少女』を題材にして作られたフィクション。名優が出演することもあって、中々見ごたえがある。
17世紀のチューリップ・バブル時代のアムステルダムを舞台に、既婚女性と恋に落ちる画家の物語を描く。実はこの時代のオランダを描くことには意味があり、『ヨーロッパの覇権』の推移で考えた時、とても貴重なワンシーンとなる。
2015年8月21日に高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件と事件に立ち向かった3人の若者を描く。主演の3人は、実際にタリス銃乱射事件に巻き込まれた3人を本人役として起用しているのだが、彼らが途中で立ち寄ったのがアムステルダムだった。『アムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリス車内』で起きた事件だった。
ヨーロッパの覇権で印象的なのは、大航海時代を作ったスペイン。そしてエリザベス女王のいるイギリスや、同じように植民地政策で力を得たフランスです。その後、一時的に世界大戦の時代にドイツが力を強引に力をふるいますが、途中、少しだけオランダが覇権を握った時代があります。1588年、『オランダ独立戦争』、『アルマダの海戦』に勝ったオランダは、急速な経済成長を遂げ、アムステルダムは世界の貿易・金融の中心地となり、スペインに代わって世界貿易をリードする『栄光の17世紀』を迎えるんですね。この映画はその時代を切り取った重要なシーンともなるのです。
ベトナム戦争の映画はいくつもあるが、『ベトナムのラジオ』というくくりでまとめられる映画もある。
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まずはこれが確実に上げられる。一人のラジオDJが、兵士達を笑いとロックで癒し、ベトナム人と触れ、戦争の冷酷さに翻弄される5ヶ月を描いたベトナム戦争映画の中でも異色の作品。
1969年、南ベトナムのアシャウ渓谷にある丘、ドン・アプ・ビア=通称“937高地”(兵士が爆風で吹き飛ばされ、ミンチ肉のようになったことから、ハンバーガー・ヒルと呼ばれた)でアメリカ軍第101空挺師団と北ベトナム軍との間で繰り広げられた攻防戦「アパッチ・スノー作戦」を描く。この映画でも兵士たちがラジオを聞いてわずかな娯楽を楽しむシーンがある。
1950年代に米国でテレビが一般家庭に普及し始めたので、この時代にもテレビはありましたが、戦争になるとどうしても『ながら』でしか娯楽を楽しめません。よって、ラジオが活躍したのだな、ということがこれらの映画を観て伝わってきます。ある映画では、むしろそのラジオが戦況を揺るがすような重要な情報を流すということで、兵士と捕虜がそれをめぐって駆け引きをするというシーンもあります。第二次世界大戦のときで言えば、『ソ連の活躍』という情報は、ドイツ軍の劣勢を意味しますから、それで各人の士気が上がったり下がったりしたんですね。
アメリカ南部にあるミシシッピで、特に『闇』に迫った映画をピックアップ。
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1963年に起きたアフリカ系アメリカ人の公民権運動家メドガー・エヴァーズ射殺事件を追い続け、その犯人である白人至上主義者ベックウィズを30年後に有罪に持ち込んだ地方検事とメドガーの妻の闘いを描いた映画。タイトルの意味は、主人公の娘クレアの部屋に出るという幽霊と、アメリカ合衆国南部に根強く残る“人種偏見”を亡霊に喩えたもの。
アメリカ南部が黒人差別が激しい理由は、かつて南北戦争の際にまさに黒人差別発想をして、内戦をしたからですね。北部では奴隷解放の考えが強く、南部では奴隷を維持する考えが強く、考え方が対立して衝突しました。南部では作物がよく育ったので、それを中心とした仕事が多くあり、人手が足りず、奴隷が欲しかったのです。よって、北部の人の考え方と対立。アメリカが南北に分裂し、北部のリンカーン大統領に対抗して、南部がジェファソン・デヴィスを大統領にし『アメリカ連合国』を作りました。アメリカが2国に分裂してしまったのです。そしてアメリカ南北戦争(1861年~1865年)が勃発してしまったのです。戦争は『強引な決定』でもありますからね。南部ではいまだにその考え方が蔓延しているのです。
ダンケルクは、フランス本土最北端。すぐ上は海というエリア。海を挟んでそのすぐ上にはイギリスがあるが、地理的にも戦争の際には『上陸、脱出』の際に利用されがちとなる。
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第二次世界大戦初期の1940年5月26日から6月4日。イギリス、ベルギー、カナダ、フランスから成る連合軍将兵は、フランスのダンケルク海岸でドイツ軍に包囲され、ダイナモ作戦による撤退を余儀なくされていた。
1940年のロンドン。ヨーロッパ中が戦争の波に呑まれていく中、イギリス政府は国民の士気高揚のためにプロパガンダ映画を製作することにした。そこで選ばれたテーマが『ダンケルクの戦い』だった。
主人公が3人ほどいるような映画で、そのうちの一人が『つぐない』をしなければならない状況が、物語全体を通して作られる。また、違う一人が、このダイナモ作戦のため、二人の仲間とともにダンケルクを目指すというシーンがある。
広島、ベトナム、ウクライナ、ノルマンディー、真珠湾、ダンケルク等と聞くと、共通項目として『戦争』が頭に浮かんでしまいます。この中で最も世界的に有名なのは広島であり、長崎でもあるわけですが、それは我々が日本人だからということもあります。空爆を受けたり、兵士たちに残虐行為をされた家族の人々からすれば、その地ほど恐ろしい場所はありません。そのことについて、全人間が理解したいですね。