MOVIE RECIPE
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『MOVIE RECIPE』-映画がより楽しくなる魔法のレシピ-
- レシピ数:6
- 紹介映画:65
当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。
1.『マイノリティ・ケース』
まずはスタンダードなマイノリティケース。あまり見られない事例。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト』
- 『グレーテスト・ショーマン』
- 『スタンドアップ』
- 『ダブル・フェイス』
- 『アメリカン・ビューティー』
- 『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』
- 『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』
- 『戦場のおくりびと』
- 『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』
- 『シークレット・パーティ』
- 『ブリグズビー・ベア』
- 『サンドラの週末』
- 『タイピスト!』
- 『キャスト・アウェイ』
- 『世界でいちばん不運で幸せな私』
このダイアン・アーバスという写真家は、あのスタンリー・キューブリックに写真家として影響を与えている人物で、名作『シャイニング』のあの双子の少女は、彼女の写真が元になっている。この映画にもあるようにフリークス(肉体的、精神的な障害者、肉体的、精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者など)に惹かれるのだが、映画はそこまでしか描かれないが、実はその後に悲劇的な最期を遂げている。
上記作品同様、珍しい身体状況にある人々の姿が描かれる。19世紀に活躍した興行師、P・T・バーナムは小人症の男、大男、髭の濃い女、全身刺青の男、結合双生児の兄弟など、世間から隠れるようにして生きていた様々な人を集め、いわゆるフリーク・ショー(見世物小屋)のサーカスを始めた。
1988年に行なわれた世界初のセクシャルハラスメント訴訟を記したクララ・ビンガムとローラ・リーディの書籍『Class Action: The Story of Lois Jensen and the Landmark Case That Changed Sexual Harassment Law』をもとにした作品である。
『キッズ・オールライト』もそうだが、世界には色々な人がいて、色々なケースが存在する。例えば『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』だ。あの子供も、それを引き取った夫婦も実在する。ラストシーンとエンディングテーマの気配まで作りこまれている。『彼女は目的を達成する』のだ。意味深に留意し、もし哀愁を覚えたらこの映画を観たことになる。
5歳の時に両親とはぐれてしまい、オーストラリア人夫婦に引き取られたサルー・ブライアリーがGoogle Earthを使って本当の家族を探し出す。
40年住み慣れたNYの眺めのいい部屋を売ろうという夫婦の話。ニッチな話だが、偶然なのだが個人的にちょうど実家を売る話と重なったため、忘れられない作品となった。
コールガール、日本で言えばデリヘル嬢の本音が漏れる物語。下品で低俗かつ全体的に無意味に見えがちだが、よく考えれば分かるように、彼女たちも必死にもがいて苦しんで生きているのであり、私は最後に哀愁を覚えた。
体調を崩し、休職していたサンドラ。回復し、復職する予定であったが、ある金曜日、サンドラは上司から突然解雇を告げられる。 解雇を免れる方法は、同僚16人のうち過半数が自らのボーナスを放棄することに賛成すること。よって物語全体で、彼女が『色々な人に会って状況を理解してもらう』というかなりニッチな展開が行われる。
運営者
『世界でいちばん不運で幸せな私』に関しては相当複雑な映画ですね。一見すると全くそうは見えないのですが、この映画を説明するためには『思い出のマーニー』と同じように、適切なポイントをついて解釈しなければなりません。なぜ彼女はそうしたのか。なぜ彼女を責めるのか、そして責めないならなぜ責めないのか、ということを論理的に説明しなければなりません。マーニーの場合なら、『なぜ杏奈はマーニーに出逢ったのか』ということを説明しなければなりません。『よくはわからないが』ではなく、説明できる人だけが、これらの映画の意味を正確に評価できます。
2.『ケース2』
ここでは精神的な問題や、事故やケガなどのケースについてまとめている。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『アバウト・レイ 16歳の決断』
- 『パフューム ある人殺しの物語』
- 『マニアック』
- 『Her/世界でひとつの彼女』
- 『君への誓い』
- 『キッズ・オールライト』
- 『リリーのすべて』
- 『それでも、愛してる』
- 『ラースと、その彼女』
- 『サムサッカー』
- 『ワンダー 君は太陽』
- 『エレファント・マン』
- 『マイ・プライベート・アイダホ』
- 『ミス・エデュケーション』
- 『ある少年の告白』
- 『チョコレートドーナツ』
- 『彼女が目覚めるその日まで』
- 『奇跡の人』
- 『127時間』
- 『マイ・レフト・フット』
- 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
「ラモーナ」と名付けられた16歳の少年レイと、彼の母マギー、その母ドリー、その同性パートナー、フランシスが性別移行に関する説明を医師から受けているところで始まる。つまり主人公であるエルファニング演じる女性は『男性』であり、トランスジェンダーで、母親はレズビアンという、複雑な状況である。
超人的な嗅覚を持つ香水調合師が究極の香水を生み出すために犯したタブーを描いている。この男の個性がかなり強く、しかし香水作りのために手段を択ばないその執念深さと狂気が、ある種の芸術性を生み出していて、あのキューブリックも目をつけていた作品である。
彼は幼い頃のトラウマからマネキンしか愛することができず、夜な夜な街に出て若い女性を殺害し、その頭皮を剥いでマネキンに被せるといった異常者が描かれる。私は映画好きだから色々な映画を観るが、鑑賞中、一緒に観ている観客を疑ってしまう内容だった。私も同じように見られただろう。
近未来のロサンゼルスで、妻と別れて悲嘆にくれる男が、ある日、人工知能型OS・サマンサを手に入れ、彼女と恋に落ちる物語。『シモーヌ』があり、その5年後に初音ミクが出て、Vtuberがyoutube業界を席巻している今、そう遠くない未来にこうした現実も起こるかもしれない。
レズビアンカップルと二人の子供たちで構成されたファミリーが軸となる。ある日子供たちが、ふたりの母親に精子を提供した男性に会いに行ったことで、 家族に崩壊の危機が訪れる。
リアルラブドールを『彼女』と真顔で兄弟に紹介する男。当たり障りない、どこにでもいる根暗でマイペースな男だったが、そのたった一つの行動で、胸の内が明らかになってしまった。だが、真剣なのだ。彼だけではない。彼の周りにいる人間が皆、真剣なのだ。ゆえにこの映画は、教訓が詰まっている。
指をしゃぶる癖が治らない少年。病院で治療薬を貰ったりして対応するが、そのような対症療法では表層を一時的に整えるだけに過ぎない。泥があふれる場所を掃除するようなものだ。問題の解決をしたいなら、『泥があふれてしまう原因』を突き止める必要がある。
トリーチャーコリンズ症候群によって顔の形が変形しており、27回の手術を受けるなど長らく入退院を繰り返している少年が主人公。それゆえに学校ではいじめもあるし、様々な問題が起こる。だが、タイトルにあるように『太陽』が一つのキーワードとなり、なぜか温かい気持ちになる物語である。
19世紀のイギリスで「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描く。「どんな人生か想像つくかね?」「はい。大体は。」「いや。彼の人生は誰にも想像できないと思う。」ホプキンスが主人公にも見えるこの映画だが、この会話によって彼は単なる脇役であるという事実を思い知る。
リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーブスが主演した青春映画。売春、同性愛、ドラッグ、近親相姦、ナルコレプシーといったショッキングな設定ながら、ストリートで暮らす若者達の痛み・切なさ・葛藤を詩的な映像美で表現した。
上記作品同様、実際に存在する、同性愛者の少年少女を「矯正」させる「救済プログラム」を題材に、ゲイの少年と信心深いキリスト教徒の両親の衝突と苦悩を描いた社会派ドラマ。
「1970年代のニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話に着想を得て製作された映画である。我々は最後、やり場のない憤りと、言葉にできない哀愁を覚える。
スザンナ・キャハランが2012年に上梓した自叙伝『脳に棲む魔物』を原作としている。彼女は最初理解されず、双極性障害、統合失調症等が疑われるが。病理検査の結果、抗NMDA受容体抗体脳炎であったことが判明した。
ヘレン・ケラーと、三重苦のヘレンに効果的で何より厳しくも人間的な教育を授けて行ったアン・サリヴァンの偉業が描かれる。全く同じような状況の実話映画に『奇跡のひとマリーとマルグレット』という映画もある。
生まれつき脳性麻痺で左足しか動かすことのできないクリスティ・ブラウンの同名の自伝を映画化した作品。第62回アカデミー賞ではダニエル・デイ=ルイスが主演男優賞、ブレンダ・フリッカーが助演女優賞を受賞した。
1922年に書かれたF・スコット・フィッツジェラルドによる短編小説をもとにエリック・ロスとロビン・スウィコードが脚本を執筆し、デヴィッド・フィンチャーが監督した。80歳の状態で生まれ、年を取るごとに若返る人生を与えられた男の一生を描く。
運営者
人間の心は唯一無二ですからね。過去、未来永劫の時間の規模で考えても、自分という存在はたった一つしかありません。このことについて諭したのはブッダやニーチェです。『だからこそ、この尊い人生を一生懸命悔いのないように生きよう』と言ったんですね。中には生まれてすぐに世を去った命もあるでしょう。しかし、彼ら、彼女らの人生は最低でも我々に命の儚さと尊さを教えてくれる恩師であり、決して無意味な人生ではないのです。