MOVIE RECIPE
MOVIE RECIPEトップページはこちら。
『MOVIE RECIPE』-映画がより楽しくなる魔法のレシピ-
- レシピ数:6
- 紹介映画:90
当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。
1.『自由を求めて』
『自由』がテーマになっている映画がある。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ティファニーで朝食を』
- 『ローマの休日』
- 『イエスマン “YES”は人生のパスワード』
- 『ザ・ビーチ』
- 『17歳のカルテ』
- 『いまを生きる』
- 『パイレーツ・オブ・カリビアン』
- 『愛と哀しみの果て』
- 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
- 『ラリー・フリント』
- 『マイレージ・マイライフ』
- 『Vフォー・ヴェンデッタ』
- 『インターン・シップ』
- 『完全犯罪クラブ』
- 『パピヨン』
- 『ショーシャンクの空に』
- 『はじまりへの旅』
華やかな世界に憧れるこの女性は、いかがわしいことに手を出して多額の報酬を受け取ったり、刹那的な人生を送っている。彼女が求めるのは自由な人生だ。だが、彼女は自由がなんであるかを深く考えたことはない。ただ、『ムーンリバー』を歌っているときの彼女は逆に何もかも悟ったような顔をするので、不思議な魅力が詰まった映画だ。
イタリアのローマを表敬訪問した某国の王女が滞在先から飛び出し、市内で出会った新聞記者との1日の恋を描いている。トレヴィの泉や真実の口などローマの名だたる観光スポットが登場する。刹那の時間。儚い恋。
この銀行員の男はいつもプライベートでも仕事でも答えは「NO」と言い、友人との付き合いや様々な勧誘・職場の個人融資の審査などあらゆることを断る生活を送っていた。
何かを求めるように、一人旅でタイにやってきた青年。だが、新しい事をしようとしても、結局、同じ事の繰り返し。彼は自分の人生に新しい刺激を求めていた。そんな時、タイの旅人が『謎の孤島』の話を楽し気に話すのを聞く。そこにいけば何かが変わるのか・・
スザンナ・ケイセンによる自伝映画を基にしていて、自らも境界性パーソナリティ障害で精神科入院歴のあるウィノナ・ライダーが主演を演じる。10代の未熟な時期に人生をさまよい、堕ちるところまで堕ちてしまうが、模索しているうちに自然と彼女たちは、人生の正しい道を見つける。
全寮制の格式ある学校で、ロビンウィリアムス演じる真の教師が、自らを犠牲にしながらでも『真の教育』をする物語。生徒たちの偏差値は高そうだが、知識と『知性』は違う。その意味で、彼が取る行動に注目が集まる。
デンマークの紙幣にもなったアイザック・ディネーセンの伝記を基にしている。アフリカで一人の男性と出逢うが、彼は彼女の、物や人までも「所有」したいという欲望を批判。結婚や自由について説き、彼女は彼から人生を学んでいく。
2004年から2009年頃までの『サブプライムローン』による金融ショックを軸にする。多くの人が家を売ったり、職を失い、死んでしまうようなことにも発展した世界的悲劇だったが、その中でひときわ目立つ行動を取る数人の男たちがいた。彼らの考え方は、一見に値する。
ポルノ雑誌「ハスラー」誌の出版者・編集者のラリー・フリントの台頭と法廷闘争を描く。彼が言う『戦争とポルノとどっちが健全か?』という問いかけは、詭弁にも見え、しかし一辺倒に切り捨てられない妙な重みがあった。
人事コンサルタント会社で働き、雇用主に代わってレイオフや解雇を宣告するために米国中の事業所を飛び回る男。彼は人間関係も荷物の負担も無い人生の美徳を賞賛する。1年の大部分を出張に費やし、ほとんど自宅に戻らず、旅を楽しみ、アメリカン航空史上7人目で最年少の1000万マイル達成者となることを目標にしている。本当にそれでいいのか。映画全体を通して、鑑賞者にそういうメッセージが節々で垣間見える。
第三次世界大戦後。かつてのアメリカ合衆国が事実上崩壊し、独裁者アダム・サトラーによって全体主義国家と化したイングランド。そこにガイ・フォークスの仮面を被る謎の男“V”が現れ、爆破テロを敢行する。一体彼は何者なのか。なぜテロを遂行するのか。
時代に淘汰された二人の中年男性が、「Google」が募集しているインターンシップに応募。若者たちの間に交じって揉まれるが、彼らにも若者たちに教えられるものがあった。また、グーグルで働くのに必要なのは頭脳だけではなく、グーグリネス(グーグル的であること)が必要だという考え方にも注目。
1924年のレオポルドとローブによる事件を題材としている。富裕なユダヤ人実業家の息子ボビー・フランクスを誘拐して殺害し、終身刑プラス99年の懲役刑を受けた。完全犯罪(になると彼らは思っていた)を遂行することで自分たちの優越性を立証しようという動機の異様さが話題を呼び、小説や戯曲・映画の題材にまでなった。レオポルドとローブは共にニーチェの超人思想の信奉者でどちらも非常に知能指数が高く、逮捕される恐れを一切感じることなく完全犯罪を成し遂げる力があると信じていた。
金庫破りをしたのは事実だが、冤罪によって終身刑の判決を受け、祖国フランスを追放される上に南米ギアナのデビルズ島で過酷な強制労働が科せられた。この場所はすでにないが、世界で考えても極めて過酷な環境にあった。どうするべきか。このままここで理不尽に命を落とすか。一世一代の命がけの賭けが始まった。
上記作品同様、冤罪で刑務所に。劣悪なショーシャンク刑務所では、理不尽な刑務官による性的な侮辱行為も当然だった。マンデラを筆頭に、20年以上という長い時間を無意味に拘束された人間は大勢いる。彼はどうするか。この刑務所で一生を過ごすか。
資本主義とアメリカ人の生き方に幻滅した夫婦が、子供たちと森で生活することを選択。彼らは9割がクリスチャンであるこのアメリカにおいてそうではないし、その大きな流れやうねりにも逆らう哲学があった。では、彼らの生き方は正当化されるか。
運営者
この中で『パピヨン』と『はじまりへの旅』は飛び抜けた教訓性がありますね。その他の作品も圧倒的にエンタメ性が高いのですが、教訓で言うとこの2つはすごい。『イエスマン』もすごいのですが、カリスマ性があるのはそれです。自由とは『力に屈しない』ことも意味します。どんな力が自分に加わっても、不撓不屈の精神を崩さない動じない強い力。それがなければ自由人とは言えません。その意味で彼や、『遺骨をこうしてくれ』と伝えた彼女の人生は、魂を揺り動かされるものがありました。
2.『この道を選ぶ』
人とは違う生き方をすると苦労する。よくそういうセリフを言う大人がいるだろう。『大きな勘違い』である。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『はじまりへの旅』
- 『グッドウィル・ハンティング』
- 『ブレイブワン』
- 『シュガー・ラッシュ:オンライン』
- 『トイストーリー4』
- 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
- 『アバター』
- 『シェイプ・オブ・ウォーター』
- 『青い珊瑚礁』
- 『スマグラー おまえの未来を運べ』
- 『ピエロがお前をあざ笑う』
- 『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』
- 『ウォンテッド』
- 『マトリックス』
- 『ヴィレッジ』
まずは前述したようにこの作品だが、彼らの行動は『非常識』である。だが同時に、『生活』している。『生活するとは、この世でいちばん稀(まれ)なことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけである。』-オスカー・ワイルド
フィールズ賞、MIT、ハーバード大学。いくつもの賢い要素がこの映画に登場する。そしてその対極に、アウトロー同然のやんちゃな男たちや、鬱病にも似たトラウマに悩む闇の要素も登場する。彼自身も人生の大きな選択を迫られる。そして、彼は最後に、この道を選んだ。
今にも結婚しそうなカップルがいた。彼らは公園を散歩していた。だが『彼女』はそこから人生が変わってしまった。それから何日も過ぎた。だが、彼女の周りにはいつもと同じ日常があった。警察すらも、頼りにならなかった。彼女は行動するしかなかった。『生きる』ために。
時は1860年代の南北戦争真っ盛りのアメリカ。西部にはまだインディアンが当然のように生活している。だがそれも時間の問題だ。白人たちが『天命』によってそこを制圧するのだから。北軍の中尉であったジョン・ダンバーは、他の白人とはちょっと違う男だった。そして彼が選んだ選択肢とは、まさに上記2作品と同じ系統の、ユニークな選択肢だった。
彼女が選んだ選択肢も、『非常識』なものだった。見る視点や演出によっては『異常者を描いたホラー』。だがこの作品では決してそうならない。それは一体なぜかわかるだろうか。
サンフランシスコに向け南太平洋をイギリスの帆船が航海していたが遭難して沈没。そして生き残った料理夫のパディと2人の子供は、無人島で生きることになる。パディが死に、物語は早々にこの2人の生活にスポットライトを当てる。青年期まで育つ。色々なことがある。そしてこの映画で彼らは『2つ』の重要な選択肢を選ぶ。
役者志望のフリーターの男が、流されるままの自堕落な生活の果てに借金を作らされ、闇バイトに手を染める。何かあってもヘラヘラして逃げ、ごまかし、自分を偽り、人生を浪費し続ける。だが、そんな人生のツケ払いも、最終局面に来た。まだその道を選ぶか。それとも。
ハリウッド・スターからモナコ公妃となったグレース・ケリーが、存亡の危機に立たされた公国を救うために見せた「一世一代の大芝居」を描いている。この意味で、彼女の人生は『重要な選択肢』の連続だった。
「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」という、漠然とした違和感を抱いていたが、それを裏付ける確証も得られず毎日を過ごす男が冒頭で描かれる。そして彼は、この世界の重大な秘密にたどり着いてしまった。
運営者
人とは違う生き方をすると苦労するのが『大きな勘違い』であるという理由の説明については、私よりもアインシュタインに任せましょう。『人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ 。』また、もう一つこういう言葉も。『「一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、「君は一体人生を何だと思うか」と反問したい。努力して、創造していく間こそ、人生なのである。』もう十分でしょう。
3.『命の使い方』
自分の命は使い切るためにある。それを理解することが人間の『使命』だ。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『Dolls』
- 『HANA-BI』
- 『SCOOP!』
- 『キング・オブ・エジプト』
- 『グラン・トリノ』
- 『15時17分、パリ行き』
- 『ブレイブ』
- 『ロング,ロングバケーション』
- 『BROTHER』
- 『七人の侍』
- 『ザ・ファン』
- 『7月4日に生まれて』
- 『セデック・バレ』
- 『テルマ&ルイーズ』
- 『きみに読む物語』
- 『ジョンQ -最後の決断-』
この映画では、その『使命』という大義がちらつくような、そういう展開があるわけではない。だが、登場人物が自分の命を人生に乗せて、腹を据えて行動するシーンがいくつか展開される。
病に身体を蝕まれ余命が僅かしかない妻のために、人生を狂わせる男が描かれる。だがこの場合他と違うのは、確かにそれが軸となって彼の人生は堕ちていくのだが、10代のような説明できない刹那の時間を過ごしているわけではないということだ。彼はどこかで、『覚悟』していたのかもしれない。『こういう最後』を。
この男はかつて数々の伝説的スクープをモノにしてきたカメラマンだったが、今では芸能スキャンダル専門の中年パパラッチとして、借金や酒にまみれた自堕落な生活を送っていた。人生というのは土壇場で本性が出る。
人間と神々が共存しているとの設定の古代エジプトを舞台に、神々の争いに巻き込まれた人間の青年が死んだ恋人を蘇らせようと奮闘する姿を描いている。この手の内容は、主演が若いということもあってB急になりがちだが、そうはならなかった。それは、この作品が今回のテーマに接触しているからだ。
頑迷にすら見える頑固ジジイの主人公。だが『頑固ジジイ』という言葉はなぜか悪口に見えるだろう。作品全体でも、彼をそういう風に描写し、不機嫌な彼の人生を見て、我々も眉をしかめる。だが、我々は思い知ることになる。『頑固』と『頑迷』の違いを。イーストウッド史上最高の映画と名高い名作である。
2015年8月21日に高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件と事件に立ち向かった3人の若者を、本人たちを主演にさせる異例の形をとってイーストウッドが映画化。これも、上記作品に負けないくらい、魂を揺さぶる物語である。これは実話なのだからすごい。
自身もチェロキー族インディアンの血を引いているジョニー・デップが初めて監督・脚本・主演の3役をこなした作品。アメリカの片田舎で家族と貧しい生活を送るインディアンの男が、社会から冷遇され、仕事に就くこともままならず、過去に強盗などの犯罪に手を染め服役していたこともあった。彼が家族のために取った行動が、胸を熱くする。
50年以上連れ添った夫婦が、アルツハイマー病や末期癌という人生の最終局面と直面し、オンボロの愛車を修理して旅に出ることにした。人間はどのみち、いずれ必ず死ぬのだ。彼女たちの取る選択肢から目を逸らすことはできない。
日本を追われ、米国に逃亡した日本人ヤクザ・山本とその一味が抗争の末敗北して行く様を描く。だが、この道を選んだ人間の生きざまとして、軽はずみに口出しできない衝撃的な命の使い方を見ることができる。
日本の戦国時代の天正年間(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪に悩む百姓に雇われた7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の襲撃から村を守るという物語である。やはりその内容だけあって、人の命が奪われる。だが、それでも戦う大義を信じて、武士たちは刀を取った。
興行的に失敗したらしいが、とんでもない。デニーロの名作の一つとして挙げるべく作品である。この映画の見どころは、彼がただのファンに見えて、狂気に支配された人間であるということ。・・と思い込むのだが、やはり彼はあくまでも『ファン』だったというところにある。
ベトナム戦争で重大な怪我を負ったロン・コーヴィックの同名の自伝的小説(1976年)を映画化した作品。7月4日というのはアメリカ人にとって特別な日『独立記念日』だが、彼はその日に生まれたことに、ある種の天命を感じていた。環境的な流れで考えても、自分は国のために命を捧げることが当然だと。だが、実際に行動してみると、この国の大きなブラックボックスに振り回されることになる。
1930年、日本統治時代の台湾で起こった先住民セデック族による抗日蜂起事件である霧社事件を基にした映画。日本人のすべてがこの事件を知っているわけではないはずだ。だが、彼らからすれば日本人全員に知ってほしい映画だ。台湾映画史上最高額となる7億台湾元(約30億円)をかけて制作された。
特に人生に絶望的だったわけではないが、このまま当たり障りのない毎日を過ごして一生を終えることは嫌だった。そうどこかで感じている二人だった。旅先でとある事件に巻き込まれ警察に追われる。そして彼女たちは、観る者の目を奪う、究極の選択肢を選んだ。
息子が病気になり、手術費を払って治療しなければ命が危ない状況になる。だが、お金がない。アメリカはお金がすべてだから、事実、自己破産の原因の第一位は医療費の未払いである。では、父親はどうするべきか。このまま見殺しにすればいいか。彼が取った選択肢とは。
運営者
『使命』とは『命を使う』と書きます。私はこれに気付いた時、すぐに『命を使い切れ』と龍馬に告げた彼の父の言葉を思い出しました。『龍馬、この世に生まれてきたかには、死ぬまでに自分の命を使い切れ』。命を使うより、『命を使い切る』というこの言葉は、深みがありました。これだったら、その一生が短くても長くても、該当させることができますよね。難病で早死にする運命にある人も、この言葉なら、自分にしかできない命の使い方ができる。人は、『使命』を背負ってこの世に生まれるのです。