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孤高とは、孤独とは違う。また、孤立とも違う。『大人になってもその違いが分からない』という人があるが、それは違う。分からないならそこに『大人はいない』からだ。
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ある映画が現れるまで孤高編のランキングで圧倒的1位を獲り続けていた映画。だがその映画は戦士ではないため、ここには該当しない。戦士編では『彼』がNo.1だ。・・彼も?いや彼は『孤独』だろう。もう一つの有名映画を観れば分かるはずだ。それが孤独と孤高の違いだ。
戦うためにはたった一人で十分かというと、そんなことはない。抜群の連携の前では孤高の戦士とて歯が立たない。それは、チーム戦のFPSゲームなどをやればすぐに分かるだろう。世界一のプレイヤーと言われる人でも、多勢に無勢の状況を覆すことはできない。だが、彼はそんな常識を打ち壊してくれるから面白い。
孤高編は彼が1位でもいいくらいだ。上の二人が彼と戦って勝てるかどうかは分からない。互角になるだろう。ジェイソンステイサム作品はセガール同様に圧倒的な強さを持つキャラが多いが、その中でどれか一つ選ばないといけないなら、彼が来るだろう。
イーストウッドのでも渡辺謙のでもいいが、彼もまた一人で戦う孤高の戦士である。渡辺謙バージョンの場合は、江戸幕府側の残党という設定がある。それは、ラストサムライと言ってもいいわけだ。刀で斬ることが当然だったあの時代を最前線で生きた男の実力が、いかんなく発揮される。
続編として『ジャックリーチャー』というものが出たが、この作品はここで終わっていた方がカリスマ的だったと言えるだろう。実力が未知数でミステリアスなところがあり、演出的に観る者を興奮させた。続編からはキャラクターに愛嬌のようなものが出て、それがマイナスプロモーションになった印象がある。
ある世代に言わせれば、ジェイソン・ボーン以上に最強の戦士はいないということになるだろう。彼は記憶を無くした状態で、その身元を解き明かしていく内容になっているので、基本的に常に一人で行動する。
闘技場で戦う剣闘士の代表例と言えば『スパルタクス』になるが、彼も当然最初は一人で立ち上がり、そこに十二分な孤高の要素があったが、最終的に10万を超える大集団のリーダーとなったことを考えると少しニュアンスが変わる。だがこの場合は、孤高の戦士に該当する。監督のリドリー・スコットは、常にこの作品を『超えていない』と比較されるという。
椿三十郎が、孤高の用心棒をやっている。続編の『椿三十郎』もここに該当する。おすすめなのはこっちの作品だ。1964年にはセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』で非公式にリメイクされているが、黒澤・三船コンビの世界的影響力はすごい。
歴史的にも重要なシーンだ。1500年頃スペインは大航海時代を経て世界のトップをひた走ったが、その兵士の中でも腕が立ち、当時のマドリードでも最高の剣士の一人という設定である。軍人として出世する才能がありながら、誇りを傷つけようとする相手には上官であろうと剣を抜く気性ゆえにチャンスを逃しているゆえに、孤高である。
不老の超人というキャラクターゆえに、孤独である。映画は終始、彼の孤独さたる闇の部分にスポットライトが当たる。だが、それでは終わらない。それがこの映画だ。
その他、『コマンドー』や『コブラ』、『パーカー』に『ヒットマン』に、探せばまだまだたくさんあるでしょう。一人で行動する強い戦士は、大体それに該当しますからね。例えば『コラテラル』の彼も一人で行動している悪役ですが、銃を持って人を撃つ以上、そうなります。しかし、他のレシピで『ヒットマン』だとか、様々なまとめ方をしているので、今回はこのあたりの作品でまとめました。例えばアランドロンの『サムライ』は後で出てきます。ただ、ジョージクルーニーの『ラストターゲット』はどうですかね、今回のどれにも該当させませんでした。
戦士と言ったらまずはボクサーだ。私もボクシングをしていたが、はじめ先輩に言われたのは、『ボクサーはね、この距離で人を倒せるんだよ』という言葉。彼は私のわずか30㎝前にいた。ただの喧嘩自慢程度では、ボクサーには到底かなわない。
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ボクシングの映画でこれを超える作品はまだ現れていない。内容的には古いし、映像の演出もこれ以上のものはたくさんあるのだが、ボクシングの映画でこれを超える作品はまだ現れていない。いや、私はひいきなどしていない。この映画で育ったわけでもないのだ。だが、私にそう言わせるエネルギーがこの映画にはある。
死んだ父親以外から優しい扱いを受けてこなかった彼女は、ボクサーになってすべてを覆そうとしていた。それだけならまだいい。だが、この映画にはその他にもいくつもの見どころを持っていて、例えばそのうちの一つの要素は、各方面で抗議行動や論争が起こってしまう事態に。観る前は距離を感じていた映画だが、それは完全な食わず嫌いだった。名作である。
実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタの自伝映画。彼は元世界ミドル級王者で、「ブロンクス・ブル」や「レイジング・ブル」のニックネームを持つが、KO率は28%とそれほど高くなく、映画でも『最強ボクサー』としての演出はない。だが見ごたえがあるのは、やはり『デニーロアプローチ』と言われるデニーロの徹底した役作りなどのこだわりが、反映しているだろう。
プロボクサーのミッキー・ウォードとディッキー・エクランドを描いた伝記映画である。ディッキーはミッキーの異父兄で、ほとんど兄と同じ立場だ。彼もボクサーだが生活は破綻していて、ドラッグに溺れる毎日。その怪演ぶりをクリスチャンベールが演じていて、これがまた映画のいいスパイスになっている。
少年院を脱走し軍隊に入隊、ボクシングを始めて二度に渡りヨーロッパのライトウェルター級チャンピオンとなり、しかし黒人差別による冤罪で終身刑に服す、という波乱に満ちた人生を生きたボクサーの物語。彼がどうなってしまったのかということを、この映画で観てみたい。
言わずと知れたモハメド・アリの伝記映画となる。『蝶のように舞い、蜂のように刺す』というメリハリを理解した彼の極意は、ヘビー級の重みがある。アントニオ猪木はのちに彼と『伝説の試合』をするが、彼のパンチを真正面から食らったら彼でも一発だと言った。ちなみに猪木の全盛期は、一日に1.2万キロカロリーの食事をしないとカバーできない運動量だった。双方、怪物である。アリの場合、60年代アメリカの激動の時代を生きたこともあり、映画ではそこに重点が置かれる。
実在のプロボクサー、ジェームス・J・ブラドックの伝記映画。この場合、確かにボクサーの映画だが、1920~1930年代というこの時代のアメリカは『世界恐慌』の真っ只中であり、銀行強盗が英雄視されたほどの混迷の時代だった。ゆえに、映画はボクシング以外の様々な要素にライトを当てる。
ブライス・コートネイの自伝的映画。アパルトヘイト体制下の南アフリカを舞台に、ボクシングを通して人種の壁を越えて成長していく姿が描かれる。この場合もボクシングがメインというよりは、『この時代と環境を強くたくましく生きていくためにボクシングの道を通った』という状態と言える。よって、見どころはむしろ他の部分が多い。
落ちこぼれの2人の高校生が主演。刹那的な不良行為で憂さ晴らしをしていたが、そのうち二人の道が分かれ始める。一人はボクシング、そしてもう一人は今よりももっと悪いアウトローの道だ。明らかに表層ではもう二度と交じり合わないようにも見えた。果たして二人の運命はどうなってしまうのか。
ストイックな役が似合うジェイク・ギレンホールがサウスポーのボクサーを演じるわけだが、やはりその他の作品が実話を基にしているだけあって、フィクションのボクシング映画は難しいものがある。『ロッキー』はフィクションだが、あれが異例だったということが分かる。
WBA世界ライト級チャンピオンのパナマのボクサー、ロベルト・デュランの伝記映画。「石の拳(こぶし)」と形容されたワイルドな強打で、後のWBC世界王者ガッツ石松らにも勝利した人物である。この場合も映画になるくらいだからボクシング以外の要素も波乱に満ちていて、そこが見どころとなる。
交通事故で首を骨折し、歩くこともままならず復帰を絶望視されながらも、伝説のトレーナーと共に過酷なトレーニングに励み、奇跡のカムバックを成し遂げた実在のプロボクサー、ビニー・パジェンサを描く。『セッション』の事例があるからマイルズ・テラーはハマり役に見えるが、まだ彼ではこうした映画の主演としての華は足りない印象がある。
デニーロとスタローンの『初共演』などという宣伝もあったが、『コップランド』で一度共演しているので誇大広告となる。だが、そうでもしないと集客できないくらいの、どうでもいい映画ということだ。だが、レイジングブルとランボーに思い入れがある人は、ある種の投影をこの二人にして楽しむということもできる。
ボクシングというのは思ってる以上に地味ですから。その『地味に見える毎日の確かな積み重ね』から目を逸らさない人間だけが、一線を超えることができるのです。私の時にも喧嘩自慢の知人がジムに来てスパーリングを挑んできましたけどね、ほぼワンパンで沈みましたよ。ジャブからの左フックで。それができたのは他でもない、私がただ1年以上の時間をかけて、同じに見えるトレーニングをやり続けていたからです。ただそれだけですね。それ以上に差などありませんから。だからボクサーの映画というのはボクシング以外にも、波乱に満ちたところがあるのです。そうじゃないと映画になりませんからね。すごい人はたくさんいますが、その要素を備え持っているとなると、限定されるわけです。
戦うのは男だけじゃない。まずは『女戦士』というタイトルに当てはまる映画をピックアップ。
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フランスの英雄であるジャンヌダルク。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収めて貢献した。最近では『女社長』といちいち頭に女をつけることに文句を言う女性も出てきたが、彼女がなぜ『女戦士』なのかは映画を観れば分かる。差別でそうしているわけではないのだ。言葉というのは深い。
元アマチュアレスリング選手マハヴィル・シン・フォーガットと彼の娘であるフォーガット姉妹の半生を描いている。彼女たちのレスリングの様子を見れば、どれだけ真剣かがよく分かる。真剣というのは、斬れる。竹刀ではない。その真剣勝負を人生をかけて行う人間は皆、戦士である。彼女たちの場合は女として生まれたことにおいても、ある種の戦いだった。
紀元前530年頃の人物で、中央アジアのカスピ海東岸に勢力を有していたマッサゲタイ族の女王、トミュリス。歴史的に極めて重要な人物で、あのペルシャ帝国のキュロス大王を討ち取ったのだからすごい。カザフスタンの映画だが、映画小国ならではの『謎の誇大演出』などもほとんどなく、映画としてのクオリティが高い。
インド大反乱の女性指導者ラクシュミー・バーイーを描いている。この場合は上記作品と違って『謎の誇大演出』があるので、見づらい。歴史的にはかなり重要で、専門書にも名前が書いてあることが多い人物だけにもったいない。
キャプテンマーベルは誰もが彼女ではない違う女優が適役だったと考えただろう。彼女自身はアメリカで大人気らしいのだが、『世界的人気』を考えなければいけなかった。アベンジャーズはそれだけの映画だからだ。ただもしかしたら『あくまでもメインはアイアンマンたち』という裏設定があるのであれば、このキャスティングは残酷である。
この中で最も最強なのは当然キャプテンマーベルということになります。フィクションですからね。エンドゲームでも彼女の活躍シーンだけ規格外の演出でした。しかし、『でもメインの邪魔をしないように』という配慮もあった。つまり、もし彼女がアイアンマン級の世界的人気があれば、彼女の活躍シーンをもっと増やして、DCのスーパーマンみたいに描くこともできたのです。そう考えると、ブリーラーソンがなんか可哀そうですよね。かませ犬みたいで。そのあたりがどうしても気になってしまいましたよね。逆に彼女は、トミュリス役などはハマり役に見えます。事実、俳優さんが似てますからね。
スーツを着た戦士というくくりもある。
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イギリスで1960年代に製作されたTVシリーズ『おしゃれ㊙探偵』(原題:The Avengers)の映画化作品で、『アベンジャーズ』はこの時代の人からすればこっちという人もいただろう。彼は『キングスマン』を彷彿とさせるような出で立ちで、スーツを着て悪の組織と戦う。
諜報機関キングスマンの一員が、スーツを着て奇想天外な戦闘を繰り広げる斬新な映画。一見すると地味だったりくだらないように見えるが、いい意味で裏切りの連続。この映画がヒットしたことはうなづけると言えるだろう。
この枠は意外とこの先もいくつか出てきそうな気がしますね。『企業戦士』とは、日本において企業の利益のために粉骨砕身で働くサラリーマンを意味しますが、スーツを着て一生を仕事に捧げる人々は皆、ある種の戦士です。もちろんスーツ以外でもそうですが、スーツの人は見かける機会がとても多いですから代表的な存在ですね。私もスーツを着ていない時期はスーツに憧れていましたが、当たり前になると、スーツを着たくなくなりました。その意味で、少し『窮屈さ』がある。それを言い換えれば『義務』や『責務』であり、更に言い換えれば『使命を負った者たち』。スーツというのはそういう風に、色々な顔を持っている戦闘服と言えますね。
ここに挙げるのは実在した人物で、『戦場に出る兵士で特に抜きんでる存在だった者』だ。
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前述したように紀元前530年頃の人物で、中央アジアのカスピ海東岸に勢力を有していたマッサゲタイ族の女王、トミュリス。歴史的に極めて重要な人物で、あのペルシャ帝国のキュロス大王を討ち取ったのだからすごい。
紀元前480年、スパルタ王レオニダスのの元にペルシア帝国(アケメネス朝)からの使者が訪れ、スパルタに服従を要求するところから物語は始まる。ペルシア戦争のテルモピュライの戦いを描いた作品。たった300人でペルシア王クセルクセス率いる100万のペルシア軍を迎撃しようとするこの『歴史的な男気』は、全世界の男の魂を揺り動かす。
紀元前356年に生まれたアレクサンドロス。『アレキサンダー大王』として世界的知名度を誇る。世界で三番目の帝国であるマケドニアの9王になった20歳のアレキサンダーは、ギリシア、そして西アジア全域に進軍して圧勝し、24歳でエジプトの王となると、ペルシア帝国への遠征を開始。紀元前331年に世界最強と言われたペルシア帝国を滅亡させると、東西融合政策の方針のもと、その軍隊を東へと進め、まさに移動する帝国となる。
共和政ローマとカルタゴとの間で紀元前219年から紀元前201年にかけて戦われた戦争第二次ポエニ戦争を開始した人物である『カルタゴのハンニバル』。連戦連勝を重ねた戦歴から、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられ、2000年以上経た現在でもその戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど、戦術家としての評価は非常に高い。
紀元前195年晩年の劉邦が楚漢戦争を回想しつつ韓信を粛清していく姿を描く。前漢(ぜんかん)、つまり漢の初期の王朝を興した劉邦。それに『楚漢戦争』で敗北した項羽の二人を軸にした物語である。
紀元前70年頃にあった『スパルタクスの反乱』がメインテーマとなる。それは、共和政ローマ期にイタリア半島で起きたローマ軍と剣闘士・奴隷による戦争である。その革命的反乱を起こしたのがスパルタクス。最終的にその軍団の数が12万人を超えたというのだからすごい。
カエサルが行った『ガリア戦争』、その詳細を書いた『ガリア戦記』も有名である。しかし、実はこの戦争で対峙したガリアのウェルキンゲトリクスには、相当てこづったのだ。もし彼が一つ選択肢を変えていれば、この戦争でカエサルは死んでいただろう。色々と映像やキャストに気になる点はあるが、歴史を知っている人からすれば重要なシーンだ。
紀元前48年、古代エジプトの女王クレオパトラ7世を主人公に、彼女とユリウス・カエサル(シーザー)やマルクス・アントニウス(アントニー)との関係を中心にエジプト王朝(プトレマイオス朝)の最後までを描いている。このうち戦場で抜きんでた人物と言えばやはりカエサルということになるだろう。『ジュリアス・シーザー』という作品もある。
208年にあった『赤壁の戦い』を舞台に三国時代の中国の様子が描かれる。趙雲の獅子奮迅の活躍や、関羽・張飛が奮闘する八卦の陣での合戦シーン、また天才軍師である周瑜や諸葛亮孔明等、様々な卓越した戦士たちが登場する。
1066年頃。ノルマン人の『征服王ウィリアム1世』はグレートブリテン島に渡り、そこにあったイングランドを制圧した。『ノルマン・コンクエスト』である。これは、彼がどのようにしてそこまでに至ったかということを幼少時代から遡って描く歴史映画である。色々とクオリティを求めてはならない。
11世紀後半のレコンキスタで活躍したカスティーリャ王国の貴族エル・シドことロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールの生涯を描いた作品。1080年頃の当時、スペインやポルトガルがあるイベリア半島では『レコンキスタ』という複数のキリスト教国家による再征服活動が行われていた。つまり、イスラム教の勢いが上がってきたので、キリスト教がそれを鎮めるというものだ。歴史的に重要なシーンとなる。
1200年頃に活躍した、モンゴル帝国の創始者であるチンギス・ハーンの生涯の前半が描かれている。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。
13世紀(1237年)のロシア(ウラジーミルスーズダリ大公国)。「バトゥのリャザン襲撃の物語」をモチーフに描かれる、強大なモンゴル帝国軍にたった1人で立ち向かったロシア最強の剣士コロヴラートの、爽快なソードアクション』となっているが、実際にはモンゴル帝国の創始者チンギス・ハンの長男であるジュチ。この男の次男バトゥという側面もある。
1300年頃、スコットランドの独立のために戦った実在の人物ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた歴史映画。この映画はあの『笛の音色』が無ければ、少し価値を落としているだろう。それだけエンタメ作品としての仕上がりがいい映画だ。
1400年頃のイングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、のちのフランス王シャルル7世の戴冠に貢献したジャンヌ・ダルク。この映画では、彼女がそうして立ち上がった『動機』の、更にその向こう側の『心底』の部分にスポットライトを当てているので、極めて見ごたえがある作品と言っていい。
1810年頃。『大コロンビア、ボリビア、ベネズエラ第二共和国、ベネズエラ第三共和国』の初代大統領であり、ペルーの8代大統領であるシモン・ボリバルの生涯を描く。
1810年。ナポレオンを止めた数人の一人に数えられる、ウェリントンの話である。…と言いたいところだが、彼が登場するシーンはわずかで、実際にこの作品で言いたいことは『戦場は地獄だ』ということだろう。
1857年にあったインド大反乱の女性指導者ラクシュミー・バーイーを描いている。この場合は『謎の誇大演出』があるので、見づらい。歴史的にはかなり重要で、専門書にも名前が書いてあることが多い人物だけにもったいない。
1904年、日本は南下政策で不凍港を得ようとするロシアと衝突していた。日露戦争である。もしロシアに満州を占領されたら、そこを橋頭保にされて日本にとっての脅威となりうる。帝国主義が当たり前の時代のど真ん中で、それは何としても阻止する必要があった。陸軍には乃木希典(のぎまれすけ)、そして海軍には東郷平八郎がいた。
第二次世界大戦後期に行われた連合軍の空挺作戦であるマーケット・ガーデン作戦を題材にしている。この映画の裏にいるイギリスのバーナード・モントゴメリー元帥と、上記作品のパットン将軍というのは、ライバルのような関係でもある。二人とも飛び抜けた存在だったということだ。
第二次世界大戦の沖縄戦で衛生兵として従軍したデズモンド・T・ドスの実体験を描いた戦争映画。彼がなぜ突出した戦士だったのかということは、映画を観れば分かる。
第二次世界大戦時にソビエト連邦の狙撃兵として活躍し、英雄となった実在の人物ヴァシリ・ザイツェフを主人公に、当時のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)における激戦(スターリングラード攻防戦)を描いたフィクション。
第二次世界大戦終戦直後の連合国軍占領下の日本を舞台に、昭和天皇が戦犯として裁かれることをいかにして回避したかを、フィクションを交えながら描く。日本国内でのロケも行われ、商業映画としては初めて皇居敷地内での撮影も許可されている。アメリカ陸軍元帥ダグラス・マッカーサーが登場する。
革命家チェ・ゲバラの半生を描いた、2008年のアメリカ・フランス・スペインの合作伝記映画。フルヘンシオ・バティスタによる独裁政権をフィデル・カストロと共に倒すキューバ革命までを描いた『チェ 28歳の革命』と、ボリビアでの敗北と処刑までを描いた『チェ 39歳 別れの手紙』の二部作に分けられている。
2003年頃にあったイラク戦争に4度従軍したクリス・カイルは、多くの戦果から軍内で「伝説(レジェンド)」と称賛されると共に、敵からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金をかけられていた。キャッチコピーは、「米軍史上最多、160人を射殺した、ひとりの優しい父親」。
ここに挙げたのは歴史の専門書にも載るような重要な人物ばかりです。しかし、まだまだ映画化されていない人もいるので、今後が楽しみですね。また、実際にはそうして名前が有名になっていない人の中にも戦争の勇者はいたことでしょう。その意味で、「バトルフィールド 1」というゲームでは死亡するとその『名もなきプレイヤー』の名前が表示される素晴らしい演出があります。本当はそうして、すぐに死んでしまった『歩兵A』にもれっきとした人生があり、彼らの中では彼らが主人公だったのです。
歴史の勉強をすると『十字軍』は極めて重要なキーワードとして出てくる。映画でも彼らの存在感を知れる作品がある。
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十字軍が聖地エルサレムを奪って約100年後、1184年のフランスから始まる。この映画では十字軍の英雄ボードゥアン4世と、イスラムの英雄サラディンが軸になる。彼らが主役ではないが、この時代にあって彼らを無視することなどできないという状況だ。また、ラストシーンで一瞬だけ現れる雰囲気ある人物にも注目。
時代は12世紀末。上記作品とほぼ同時代となる。十字軍の兵士としてフランスで戦っていたロビンフッド。彼は実在しないが、ここにも『獅子王リチャード1世』という十字軍の重要人物が登場する。上記作品と併せて確認したい人物である。
実は、歴史的に極めて重要な部隊の十字軍ですが、そこまでそれを題材にした映画は多くない印象です。あってもマニアックなものとなり、有名どころは限られているでしょう。ボードゥアン4世とサラディンはお互いを認め合っていて、それがあるからこそ取れていた均衡というものがあったという『キングダムオブヘブン』の描写はうなづけるところがあります。両者とも戦士でもあり、人格者たる一面も持っていましたからね。しかし、あの映画の『無だ。だが、すべてだ。』という言葉はあまりにも深いですね。