Contents|目次
MOVIE RECIPEトップページはこちら。
当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。
子供ながら重要な立場にあるキャラクターが登場する映画がある。
今回配合するレシピはこちらです!
オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの自伝の映画。彼がひょんなことからチベットに逃げるようにして移動するが、そこで出会った少年は、ダライ・ラマ14世だった。
その他、『ノウイング』や他の映画もいくつか挙げられますが、下記に他のジャンルを用意したので、細分化します。やはり映画のフィクションの世界でも、実写は実在する子役が演じますから、大人を超えるような役を演じる子供が登場する映画は、そう多くありませんね。いつかその一線を超える天才子役が出るのでしょうか。
この二人の育った環境と能力に注目。
今回配合するレシピはこちらです!
もしスーパーマンの両親が人格者ではなく、人のために尽くすよりも人を恨むような人間であれば、スーパーマンは『対人間兵器』として育てられたでしょう。例えば、戦争で理不尽な目に遭った親だとか、虐待を受けた人等、様々なケースが存在しますからね。どんな残忍な犯罪を起こした人間も、赤ん坊の頃はそうではなかった。細かい話はさておき、それが決定的な事実です。
日独伊三国同盟(にちどくい さんごく どうめい)は、1940年(昭和15年)9月27日にベルリンの総統官邸で調印された日本、ドイツ、イタリアの軍事同盟である。
今回配合するレシピはこちらです!
同盟を組んだのはあくまでも大人であり、その中でも軍人たちであり、更に言えばその上層部だ。ここで描かれるのは『末端』とも言える、何も知らないうちにその加担者となった子供たちである。
ナチス・ドイツの少年捕虜が、1945年5月のドイツ降伏後、デンマーク当局に引き渡され、ナチスが砂の中に埋めた200万以上の地雷を撤去するために西海岸へと派遣される。彼らからするとナチスは悪魔そのもの。少年であろうとも関係ない。だが、彼らは少年だった。
やはりそのすべてのケースで、末端である子供たちは『巻き添え』を食らっている状態です。大人の事情で末端の赤ん坊まで巻き添えを食らう。それが戦争ですからね。この悲劇はその子らが『末端ではない』という事実を大人たちが理解することで解決します。しかし、そうした人間の麻痺や思い上がりは、人間がいる限り未来永劫続くでしょう。ただ、核爆弾のような『地球規模の取り返しのつかない力』までたどり着いた後の人間には、ある種のブレーキがかかっているようにも見えます。今でも『キューバ危機』など、一歩でも間違えれば大惨事ですけどね。
子供は大人や環境に強く影響される。それがわかる映画がある。
今回配合するレシピはこちらです!
第二次世界大戦中、ドイツ人少年のジョジョは周囲からいじめられていたが、ドイツの英雄だったヒトラーだけが心の友だった。彼らはドイツ人がゆえ、ドイツこそ正義という考えを植え付けられていた。
アフリカ・シエラレオネの内戦(1991年 – 2002年)での、「ブラッド・ダイヤモンド(紛争の資金調達のため不法に取引される、いわゆる紛争ダイヤモンド)」を巡るサスペンス。ここでは平和な国で常識とされる秩序は通用せず、子供たちがマシンガンを所有して睨みつける様子が描かれる。
『イスラム国』と名乗り世界を一時恐怖に陥れた『ISIL』の本拠地は、シリア。ラッカはシリアの都市。シリア内戦最中の2013年にISILに占領され、2014年の独立宣言以降はラッカを「首都」を宣言し、以降はISILの拠点となった。彼らは子供たちを含めた人々を洗脳するために、映画のような宣伝動画を作っていた。
子供は真っ白く生まれます。真っ白い色は、他の色の影響を受けやすい。その色が黒なら、黒く染まるのも早い。つまり、大人やこの世界という『環境』が子供の色という人格を創り上げるといっても過言ではありません。人格が成長すれば環境から切り離して強い主体性を持つこともできますが、それは容易ではありませんからね。大人には責任があるのです。
フィクション、ノンフィクション関係なく子供の境遇に注目したい作品。
今回配合するレシピはこちらです!
この映画のラブシーンがなんちゃら、とかいう感想をハートをつけてコメントしていた人がいたが、映画を観ていないらしい。彼の心境を軽んじているからそこに目がいくのだ。
前述したように敗戦後のドイツの少年兵が、地雷撤去を強制される話。史実も関係していて、その撤去だけでも地雷撤去を強要された2 000人以上のドイツ兵のうち約半数が命を落としたり手足を失ったりしたといわれている。
楼閣の女郎の私生児として生まれた彼は、京劇俳優養成所に連れられる。多指症故に入門を断られるが、実母に指を切断され、捨てられるようにして預けられる。つまり、『捨てられたあげく、指を切断され、少年院に近い施設に入れられる』のだ。これがスタート。そしてそれは序章に過ぎなかった。
5歳の時に両親とはぐれてしまい、オーストラリア人夫婦に引き取られたサルー・ブライアリーがGoogle Earthを使って本当の家族を探し出す様子が描かれる。はぐれた事実も、そのまま育った事実も、探す旅に出る事実も、すべて稀有である。
子供というのは人間の未来でもありますし、力も弱く、心も脆い時期です。理性ある大人だったら皆子供たちを守りたいと思います。ですから、私は騒音などがある際、動物や子供が出す音だったらイラつきがほとんどありません。もしひどい場合でも、怒りの対象は『それを管理している大人』に向きます。大人の責任は子供とは違って格段に重いですよね。