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まずはこれ。ほとんどの場合が、男性が戦争等の『やむを得ない場所』に行って、待つしかない状況を強いられた女性。
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『幸せの黄色いハンカチ』のリメイクだから、そっちを観てもいい。刑務所に行った自分なんかを待っているはずがないと不安がる男を、本当に女性が待っているかいないか、というところが見どころ。
南北戦争の経験者であるホプキンス演じる父。それゆえに止めるのだが、息子たちは第一次世界大戦に行くべきだと立ち上がる。やはりそのそばには、女性がいる。また、戦争以外の部分にも注目。
インディ・ジョーンズのモデルの一人ともなった男の自伝。彼のような冒険家の家族は、それを支えるために『ただひたすら待つ』しかできないこともあった。だが彼女の場合、さすが冒険家の妻というところも。
第二次世界大戦中の1943年、ギリシャのケファロニア島で、降伏したイタリア軍部隊の将兵117人がドイツ国防軍により虐殺された事件(アックイ師団虐殺)を元にしている。この作品でも『待つ女』がいる。
漁師を待つ女たちもまた、戦争や刑務所に行った人たちと同じような心境にある。共通点は『危険なところに行く』ということだ。生きて帰ってこれる確率が、その他の人たちよりもはるかに低い。
この類の状況にある女性を見ていつも思うのは、『待っている人もまた、行った人たちと同じ心境に近い』ということ。中には、(自分も一緒に行けるなら行きたい)と思っていた人も大勢いたでしょう。この中でも、事実そうして発言する人がいますからね。いつまで待つかもわからない。自分の人生の時間も有限だ。その意味で、『マイ・ブラザー』という映画と『幸せの黄色いハンカチ』を併せて観ると、中々面白いかもしれません。
悪口ということではなく、常識や行動が人とちょっと違う女性がいる。
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夫であるケネディとその弟が暗殺されたという稀有な状況を生きていた大統領夫人ということもあって、想像を超える緊張感の中生活していたかもしれない。だが、『高級売春婦』と呼ばれるなどの時期もあり、パパラッチが彼女を追いかける時代があった。
オーストリアの皇女だった彼女は、オーストリアとフランスの同盟関係強化の一策として、母マリア・テレジアの命によってフランス王室に嫁ぐことになる。オーストリアでは皇女、フランスに移ってからは国王ルイ16世の妻というだけあって、『一般市民(第三市民)』の気持ちへの想像力は足りなかった。
アインシュタインはこう言っています。『人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ 。』よって、ズレというならまずその基準は誰の人生のことを言うのか、という疑問が頭に浮かびますね。しかし人間の世界では例えば『飛び切りの美男美女』に違う目を向けますし、頭一つ抜ける何かに注目したがります。『群を抜く』。その『群』にいるのが大勢の人間であり、この場合は、群から出てしまった、抜けた、飛び越えた人などが該当することになるでしょう。
傘を持った女性がキーポイントになる映画がある。
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それはまずメリー・ポピンズのことである。まずこの映画では、ディズニーがどうやってこの作品をディズニー作品にしたかということを、作者のパメラ・トラヴァースを説得する様子を描く。
メリー・ポピンズ
そしてこれがそのメリー・ポピンズの映画だ。
この映画はそれには関連がないが、シティバンクのシンボルマークが大きな傘となって空から降りてくる、主人公の仕事がナニー(お手伝い)であるなど、メリー・ポピンズを連想させるイメージ・シーンがある。
ディズニーのあの執念深い交渉を見ると、『メリーポピンズ』にどれだけ実力があるかがわかります。トラヴァースもすごいし、そこに目を付けたディズニーもすごい。また、ここにはメリー・ポピンズ以外にも該当できる作品があれば、随時追加していきます。
なぜか英国女性がアフリカや中東等に旅をする映画がいくつかある。
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アフリカにいる女性が、第一次世界大戦に巻き込まれ『アフリカの女王号』なる小さな船に乗り込む物語。彼女の場合イギリス人で、ドイツ領東アフリカで布教活動をしていたという状況だ。
イギリス人ではないが、デンマークの50クローネ紙幣に肖像が使われた人物でもある、アイザック・ディネーセン。上記と状況が似ていて、ほぼ同時代、そしてこの場合は英領東アフリカが舞台となる。この場合は実話だ。
“砂漠の女王”と呼ばれたイギリス人女性ガートルード・ベルが描かれる。イラクとヨルダン両国の国境線を引いてイラク建国の立役者となった重要人物で、ここには『アラビアのロレンス』も登場する。つまりこれまた、第一次世界大戦時代だ。
またもや第一次世界大戦。その後の英国の植民地インドのチャンドラボアへ向かう、英国女性の物語。この微妙な時期に、微妙な関係のインドとイギリスで生きる人間の微妙な人間関係を見ることができる。
アングロ・インディアン、すなわちイギリス領インド帝国生まれのイギリス人紀行作家であるアナ・リオノウンズ。つまり『アンナ』がタイの前身である『シャム王国』の国王から、英語やイギリスの習慣を教えるよう求められるところから物語が始まる。この場合は1860年やそのあたりの時代となる。
なぜかほとんどが第一次世界大戦あたりの時代。1900年前後に集中していますね。日本が開国を求められたのが1850年頃ですから、もしかしたらこのあたりの時代になって、ようやく『女性が海外へ旅する』ことのハードルが低くなり始めたのかもしれません。
可愛そうとか言いようがない、ひどい扱いを受ける不遇の状況にある女性が描かれることがある。
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曹操がリン・チーリン演じる小喬に惚れているのだが、彼は執念深く、手に入れた富と権力の力で、『ある行動』に出る。『彼女』の気持ちを考えると、いたたまれなくなる。
ダイアナ王妃の血筋でもあるジョージアナ・キャヴェンディッシュ (デヴォンシャー公爵夫人)の半生が描かれるが、彼女が嫁いだ場所で、彼女の居場所はなかった。
マリーアントワネットの場合も、ある種望まれなかった。ルイ16世との『夜の時間』がなかったのだ。これはルイ16世側に問題があったとされ、彼女を愛していなかったわけではないようなのだが、このあたりの問題は皇族にとっては重要な問題だった。
18世紀初頭のイングランドを舞台にアン女王の寵愛を奪い合う女性2人のしたたかな攻防を描いた宮廷ドラマ。まず、エマストーン演じる女性の過去が、すでに育児放棄のような壮絶なもの。更に、女王に選ばれない方が『望まれない方』という意味でも該当する。更に、アン女王自体が、何人もの子供を死産したりしてしまっているので、その過酷な状況は『神に望まれない女』という解釈もできる。
元アマチュアレスリング選手マハヴィル・シン・フォーガットと彼の娘であるフォーガット姉妹の半生を描いているが、やはり父親は最強レスラーを育てるために娘ではなく息子が欲しかった。
1520年頃。『エリザベス女王の母アン・ブーリンの壮絶な人生』。アン・ブーリンは、ヘンリー8世と駆け落ち的な恋をして、英国国教会が作られた…というくらいまでなら知っている人もいるかもしれない。だが、エリザベス女王の母親は壮絶な人生を送った。彼女とその家族の人生のために、『息子』が欲しかったのだ。どうしても跡継ぎである『息子』が。
『鬼滅の刃遊郭編』の主題歌であるAimerさんの歌詞に『選ばれないなら選べばいい』とあり、それは主体性を燃やす私のような人間に響く言葉です。漫画の主人公なんかは皆そういう性格ですよね。ただ、ここに挙げた女性たちのほとんどは、『選ぶ選択肢がなかった』という状況にまで陥っているように見えます。捨てられていたり、そうじゃないと殺されるとか生きられなかったり。ただ、奥が深いんですよね。それでも『選ぶ』ことはできるのがこの人生です。『シャッターアイランド』のラストシーンあたりを熟考すると、見えてくる選択肢ですね。
映画に出てくる赤髪の女性は、往々にして元気で、無邪気で、自由奔放で、謎めいている。
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フィフス・エレメント
ミラ・ジョヴォヴィッチ演じる謎の赤髪の女性が、物語のカギを握る。
赤い髪=自由奔放で個性的という印象が世界的に蔓延しているのでしょうか。映画では往々にして、赤髪の女性がそういう性格のことがあります。ちなみにある映画では、女性が『黒髪』に染めたのを親が見て、『そんな魔女みたいな頭して!この不良娘!』だとと叱るシーンがありました。日本でもかつて茶髪に染めただけで不良と言われましたから、『非常識っぽさ』を演出するために、あまり見かけない赤髪をチョイスしようとするのかもしれません。
赤髪のそれとはまた違うニュアンスで、『自由』を求める女性たちがいる。
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孤児として施設で育ち、教師となった女性が描かれるが、彼女は自由を求めていた。シャーロット・ブロンテ原作のこの物語で描かれる彼女は、男女平等意識という反骨精神があり、女性から告白することも厭わない。これらは当時の社会常識から大きく逸脱した行為で、財産や身分にとらわれず、自由恋愛して結婚するという点は、ヴィクトリア朝の文学において画期的だったという。
『スーサイドスクワッド』でハーレイクインが注目されたので、スピンオフ的にこの作品に至ったのだろう。彼女が男なんかに支配されるような器じゃない!とする女性なので、女性だけで徒党を組んで、男たちと戦う。
メリルストリープ演じる女性が、ロバートレッドフォード演じる男性と親密になるが、彼女は彼を自分の側におきたいと考える。だが彼はその物や人までも「所有」したいという欲望を批判し、結婚することも自由な生き方をやめることも拒否し、ただ一枚の紙切れに過ぎない結婚について諭す。
1910年代のイギリスで婦人参政権を求めて闘った女性たちの姿を描いた作品。要は、『女性も政治に参加させろ!』という女性たちの叫びと結束が描かれるが、そのために命を懸ける姿が描かれる。中には衝撃的なシーンも。実話である。
特に女性は自由が封じられてきた歴史があります。中東ではヒジャーブというスカーフで顔を隠す女性を見ることがあるはずです。ヒジャーブという言葉の意味は、『覆う、隠す』という意味がありますが、性的な意味で女性を魔女扱いする風潮があるわけです。『セックス・アンド・ザ・シティ』ではそれに抗う女性の姿が描かれますが、昨今では緩やかに、しかし確実に平等意識が強くなっているように見えます。300年後、人はどうなっているでしょうか。