MOVIE RECIPEトップページはこちら。
当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。
まずは単純に『少女』が活躍する映画というまとめ方。
今回配合するレシピはこちらです!
小学生の頃に負った心の傷を引きずった状態で、高校2年生の状態で、メインストーリーが展開される。『あの花』もこれも面白いのだから、超平和バスターズの力は折り紙つきである。『空の青さを知る人よ』もマイリストに入っているのですぐに観るだろう。
13歳のときに鮫に襲われて片腕を失いながらも、サーファーを目指したベサニー・ハミルトンの実話を描いている。少年・少女時代というのは好奇心があふれ出てきて、かつそれを実行するだけの肉体と行動力が備わり、しかし衝動を抑えるまでの確固たる理性まではないから、こういう映画を観ておきたい。
これも観ておきたい映画だ。少女と言わず少年もそう。私も似たような刹那的な時代を過ごしたが、客観視するとこうも危なげなものかと、冷や汗をかいたものだ。
本当は最後にこれを持ってきたいが、難易度が高いのでこの辺りに入れておく。難解な映画だから理解者が少ない映画だが、よーく目を凝らして彼女の気持ちを考えたい。
これも同じようにかなりレアなケースだが、それはもしかしたら平和レベルが高い日本人の平和ボケかもしれない。こういうケースから目を逸らしたくないから、『17歳の肖像』の際のようなコメントが出てくる。
これも日本ではあまりないかもしれないが、起きる問題は世界共通だ。特にアメリカ人が共感できる内容だが、日本人でも彼女のような方向に転落することはある。
やはり転落することが多いのがこの年齢。家庭がうまくいっていないほどこうなりがちである。家に居場所がなかったり居心地が悪ければ、無理にそこにいないで外に出ればいいと考えるし、それが可能になり始める年齢になるからだ。
これもケースで言えばレアだが、実話である。少女が男として育てられる。だが、実際に女性が活躍できるスポーツでもあるので、それがある種のボーダーラインになっている。もしそれがなければ『ライン越え』だ。
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』ということだから、高校生の少女が主人公になる。ギャルといっても弟の非行を叱ったりもするから、根が真面目であるのがポイントだ。しかも非行といっても大したレベルではないから、元々規範意識が高い。
不思議の国での冒険から13年後。あの時が6歳だから、今回のアリスは19歳となる。どちらのケースも少女が主役だ。ウォルト・ディズニーは最初、1920年頃に『アリスの不思議の国』という実写とアニメーションが混じった映画を作成するが、映画界にとってこの少女は重要な立場にある。
フェルメールの絵画『真珠の耳飾りの少女』に着想を得て、トレイシー・シュヴァリエが書き上げた同名の小説を映画化したもの。スカヨハ演じるグリートという少女が主役。フェルメールの役はコリンファースが演じるが、彼女と彼が少し特殊な関係になっていき、いくつかの問題が起きる。
細田守作品も少女が主役が多い。それで言うと『君の名は』の新海誠もそうなる。『時をかける少女』、『竜とそばかすの姫』、後者の場合は『天気の子』、『すずめの戸締まり』など。
キャリーは女子高生。1976年の方は、最初のいじめのシーンが生々しいので逆にそれが恐怖心を演出している。しかしどちらにしても、スティーブンキングは人間の細かい心理描写に長けているので、人によっては共感できて心がかきむしられるだろう。
主役の女性はダンスの練習に励む18歳。そう考えると彼女と恋人になる社長の年齢が気になってしまうが、50年代の映画はもっと年の差が開いているのでマシになってきている方だ。
どの映画も基本、『同じような年代の人に観てほしい』という内容になっています。夢を持つことの大切さを教えてくれたり、刹那的な考え方の怖い末路を教えてくれたり。特に、人生には取り返しのつかないことが存在してしまっているので、一線だけは守りたいですからね。『羽目を外す』の語源は、馬につけていた馬銜(はみ)からきている言葉。それを外してしまうと、馬が野生化し、コントロール不能になるということから、羽目だけは外さないようにしたい、という教訓があります。この年代の人間は、馬銜の設定が緩いですからね。『外す』というよりも、設定自体が脆く、緩いと知っておきたいですね。
女優さんの美貌が目立つ映画がいくつかある。少女の場合は『キュート!』ということで。
今回配合するレシピはこちらです!
人間を年齢で判断するのは間違いですが、心の底は違う意見を持っていますからね。例えば、赤ん坊や10歳以下、あるいは80歳以上の老人に対して向ける目線は、ちょっと違ってくるわけです。細かいことはさておき、単純にこれらの映画の彼女らは、とても美人です。
音楽や撮影技術などと一緒で、俳優さんの個性や美貌も映画の作品の一つとして評価されますからね。例えば作中で絶世の美女と扱われる女優さんが、お世辞にもそうとは言えないような場合、それが気になって作品に集中できません。その意味で、『グレーテストショーマン』のレベッカ・ファガーソンは、彼女自体とても美しいのに、口パクだし、なのにヒューが大げさに感動してるから、そのシーンからは逆に虚無を覚えます。もし本当に歌っていたら最高だったんですけどね。それが気になってしまうわけですね。