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まずは『特に何も起きない』平和に近い世界。
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この映画が軸になって今回のレシピが作られている。『チイサナセカイ』の代表的映画だ。彼女の父親は彼女に心臓に障害があると勘違いし、学校に登校させずアメリの周りから子供たちを遠ざけてしまう。やがて母親を事故で亡くす。すると一体どういう人間に育つだろうか。
子供から青年に成長していく姿を描くために、2002年の夏から2013年の10月まで12年間を通して断続的に撮影されて作られた、珍しい映画。その撮影方法自体が珍しいから注目されるが、ポイントがそこなので、特に物語に大きな波があるわけではない。だが最後まで色々なことが気になる点において、なかなか上手である。
上流階級の家庭で住み込みの子守(ナニー)として雇われる女性が主人公。だから何か大きな事件が起きるわけではないが、それだけに共感ポイントがたくさんあるかもしれない。
ロビン・ウィリアムズが60歳近くの女性に扮し、お手伝いとして家族の監視をするお話。要は離婚の話が出てしまうのだが、子供たちとは仲が良いし大好きだし、妻ともやり直したいから、新しい男の影など、様々なことが気になって、そのような行動に出たわけだ。
最も印象的な『ムーン・リバー』を歌うシーンが自宅だったり、男性との出会いや、物語のほとんどがアパートで繰り広げられる。またタイトルのティファニーがどこで回収されるかも見どころだ。
昭和33年(1958年)の東京の下町を舞台とし、当時の港区愛宕界隈を意識した夕日町三丁目に暮らす人々の温かな交流を描くドラマ。日常を切り取って懐かしんだり、当時を想像する映画だ。
重い知的障害を持つ弟がいたり、夫の自殺から7年間も家から出たことがない肥満で過食症の母がいたりするので、どうしてもその複雑な家庭が軸になって話が展開される。ジョニデとディカプリオの豪華共演ということもあるが、特に大きな展開はないのに最後にはなぜか哀愁を感じる不思議な映画である。
両親の死で心を病んでしまった妹がいて、彼女を何とかしたいといつも兄は思っていた。だが根本解決が行われずに12年。そんな時、そこに一人の男性がやってきた。それは、彼女に年齢も近く、ちょっと不思議な男性だった。
砂漠地帯にあるダイナー兼ガソリンスタンド兼モーテル「バグダッド・カフェ」。ベースがホテルで、食事処があったり、ガソスタがあったりするので、様々な人がそこに集まってくる。規模がとても小さいので、特に大きな事件は起きない。だが、彼女たちはなんだか、楽しそうだ。
ロサンゼルスの一流レストランで総料理長を務めていた男が、ひょんなことからフードトラックの料理人に。規模が縮小するわけだから大きなことにはつながらないが、彼らの心には大きな変化があったようだ。その幸せそうな雰囲気にうっとりするファンが続出。
小さなる子供が、美人コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」の予選を通過したので、本選に出る為に家族みんなで応援しに行くだけの話だ。だが、それは半ば強制的であり、家族それぞれが個性的な人生を送っていたので、ただそれだけなのに話が複雑になる。
趣味に逃げているもてない小太りのおっさんが、恋愛と向き合おうとする。一見するとその程度の映画だ。だが、彼が向き合おうとしているのは『人生』でもあり、最後には彼のことを応援している我々がいる。
夏の時期に妻と子供がいなくなり、どこか心が解放的になって独身時代の『男である自分』を思い出したのか、当時の自分と現在の自分との間で葛藤を繰り広げ、美女に惑わされる男の様子が描かれる。
群像劇的に人間ドラマが展開されるから、ヴィランが街を壊したりということは起きない。不思議だが、そうなると人は『この程度のこと』とどうでもよくなるが、ヴィランがいなければいないで、『こういうこと』が気になるものである。
第89回アカデミー賞で作品賞を含む4部門にノミネートされ、ヴィオラ・デイヴィスが助演女優賞を受賞する評価が高い作品。だが、内容がある種マニアックなので日本では上映を見送られる。確かに、玄人向けの映画である。ほとんどがこの小さな家で物語が展開される。結構奥が深い。
ただ帰省をめぐって、両親と疎遠になった家族が描かれるだけの話。正直途中までは、確かに感じる子供たちの冷たい態度が気になる。だが、よく見ると冷たいのは子供たちではなかった。『この世界』だけだった。さて、彼らが『また』子供の頃のように温かさを思い出すことができるのは、『どこ』だろうか。
とある日本の一家の日常が軸になって展開されるが、『夏休み』のような雰囲気もあるのか、なんだかとても哀愁を覚える。黒澤明やリチャード・ギアが関わっていることも関係しているだろう。
女性がただタイプライターを打つタイピストになるというだけのかなりニッチな内容なのだが、全体的に女性が元気で活発に活動している様子が描かれるので、とても前向きになれる映画だ。
普通は漫画や映画では成長・拡大していく様子が描かれます。その方が長く持つし、自分たちの人生と照らし合わせ安いから共感を得やすい。しかし『縮小』していく様子は負のイメージがあり、闇を感じさせるからあまり描かれない。でも、縮小すると顕微鏡でその小さな世界を覗くように、普段見えない景色が見えたりするんですよね。
大したことは起きない。だが、ある程度色々なことが起こる。
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ホテルを通して様々なことが起きるのだが、連続殺人が起きてその犯人を見つけるというような展開はない。『バグダットカフェ』よりは規模が大きいからそれなりの展開はあるが、終わった後、あのホテルは一体どういう存在だったのか、と一考する自分がいるだろう。
ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリーといった実力派俳優が、狭い部屋で小競り合いをするだけの話。だが、これを映画として成り立たせるのは実力がなければできない。あまり何かが起きすぎてもおかしいし、何も起きないと映画にならない。
17年振りに帰郷した男が、家族に何か確執的なものを抱えている様子が徐々に描かれていく。100分程度で、大事件は起きないが、実力派が揃っているせいか中々奥が深い話に仕上がっている。
戦争が絡んでくるので『特に何も起きない』とは言えないが、戦争シーンがメインではなく家庭がメインの話となっている。全体を通してのイメージは『自然』。大自然の中で生きているイメージが強いこの映画は、我々に何を主張したいだろうか。
大自然と言ったらこっちの方が少し強いかもしれない。時代背景もほぼ同じで第一次世界大戦があった1917年あたり。20~30年あたりの時期だ。家族の話がメインとなるが、なんだか妙に哀愁を覚える。日本では『Always』とか『少年時代』のようなものなのかもしれない。
何も起きない小さな世界と言えばこれだ。こちらからしてもただの無名のおっさんが、頑固な性格でなにやら文句を言ったり人生に抗っているだけの無様な様子が見える。だが、我々は思い知ることになるのだ。
ただ仕事に行くために欠かせない自転車が盗まれるというだけの話なのだが、第二次世界大戦直後の話ということや、実際にこれが1948年の映画ということもあり、その説得力がすごい映画となっている。
フェルメールの絵画『真珠の耳飾りの少女』に着想を得て作られている。よって、その世界的名作の世界観を大きく崩すようなことがあってはならない、というブレーキがあるので、支離滅裂なことにはならない。だが、映画になるだけの人間ドラマはあって、中々面白い。
『ダニエルブレイク』に似ている。頑固なおじさんで、何も教訓など得られそうにないように見えるのだが、意外と彼が人生の教師として活躍してくれる。
それで言うとこれがその代表である。日本人はこっちの方が馴染があるだろう。最後までこの変なおじさんの名前を知らないのがいい。それだけそこには『距離』が空いていたのだが、空いて『いた』のだということを、我々は最後に身に染みて再確認するのだ。
作家で大学教授のトバイアス・ウルフの若き日を描いた自伝小説の映画化作品だが、それを疑うほどフィクション映画としても十分通用するエンタメ性がある。それは、ロバートデニーロとレオナルドディカプリオという二人の天才がここに関わっているということは、否定できないだろう。
ひょんなことからパッとしない男たちがストリップをやることになる。普通、『マジックマイク』のチャニング・テイタムやマシューマコノヒーのように鍛え上げられた肉体があってこそのそれだが、彼らには特別それがあるわけではない。だが、なぜか最後には哀愁がある。それは彼らが一生懸命だからだったのだろう。
少年が過ごすひと夏。小さくもいろいろなことが起こる。起こるのは、小学校にでも行けば誰の身にも起こる。だがそれは往々にして大したことではない。時にはいじめのようなこともあるが、大体はその規模程度のものだ。だがこの場合、『彼ら』の身に起こったのは、どちらかというと『心の変化』だった。
レズビアンカップルが精子提供を受けたり、子供がいたりという状況がすでに『ノーマル』とは言えずニッチだが、彼女たちの様子を見るとノーマルじゃないのはその程度のことで、後はすべてに等しく、他と同じ。そのあたりが奇妙で不自然で、しかしとても自然で不思議だから、見入ってしまう物語だ。
鬱病的な病を抱えている父親が、家族を抱えながら人生を生きる物語。このような人と真正面から向き合う人が愛想を尽かせる気持ちも、このような人が、しかし決して悪人ではないと子供たちが慕う気持ちも、私にはよくわかる。私にも統合失調症の優しいおじがいた。しかし、その面倒を直接見ている祖母は、疲弊していた。
歌手志望の女性が、本格的な音楽活動をしている男と出会い、本格的に音楽活動をしようという流れができる。だが色々あって、例えば彼女がビートルズやクイーンのような路線に入ることはない。しかしなぜだか心が温まる。最初から最後まで『人生に音楽が小さく入り込んでいる』世界観が、素敵に描かれる。
病気やLGBT問題があれば、それはノーマルの世界ではなくなります。それが無い世界や日常がノーマルですからね。ただもちろん、病気の人を差別する発想は愚かであり、LGBTを異常だと言うなら、もうこれから先はその人が軽蔑の目を向けられるようになるでしょう。こうして観ると、『ただ必死に生きているだけ』なんですけどね。それ以外のことは、人間全員、同じなんです。