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この人物は敵か?味方か?
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ある見習いCIAエージェントが、敏腕捜査官のワックスという男と出会う。だがこの男の奇天烈ぶりに、彼も我々も、振り回される。もしかしたら彼は敵か?こういう役をやらせたらジョン・トラボルタはピカイチ。彼がまた最前線で怪演してくれる日を待ち望んでいる。
それと併せて観たいのがこの作品。この場合もワックス同様、一体どちらなのかわからない奇天烈ぶりを発揮する。その怪演ぶりはジョン・トラボルタと比肩するだけのもので、デンゼル・ワシントンはこの映画でアカデミー主演男優賞を獲得した。
そのデンゼル・ワシントンが『アメリカン・ギャングスター』の後にこの映画に出たものだから、彼がどっちかが全く分からない状態で鑑賞がスタートする。実際にはこの間に4作品ほどあるが、アメギャンの印象が強すぎたので(CMの演出然り)、振り回された人も大勢いるだろう。
女性に相続権がないこの時代、父親が死んだら家も土地も遠縁の男子が継ぎ、娘たちは路頭に迷ってしまうと、母親はなんとか娘たちを資産家と結婚させようと躍起になっていた。そんな背景の中で、一人の男が、この娘たちの軽蔑するような態度を取る。
ブラピ演じる工作員が、マリアンヌという女スパイとひかれあう。だが、親密になったはずの彼らの間に亀裂が入りかける。果たして彼女のことを、本当に信じていいのか。
なぜか謎の陰謀論についてベラベラと喋るタクシードライバー。その挙動不審な行動が彼の信憑性を奪っていて、観ている我々も彼が一体どういう人物なのかわからない。だが、我々にそう感じさせるのはメル・ギブソンに実力があるからだ。
警官を射殺したとされるリー・ハーヴェイ・オズワルドを大統領暗殺の容疑で逮捕する。この男は、あのJ.F.ケネディを暗殺した男として注目を集めていた。果たしてこの男は本当にケネディを殺したのか?それは、現在に至るまで闇に葬られている。オズワルドは『暗殺された』からだ。
死刑廃止論者である元大学教授のデビッド・ゲイルが、元同僚の女性コンスタンスをレイプ・殺害した容疑で死刑宣告を受ける。ここまでは知っていいだろう。問題はこの後である。『カイザーソゼ』の歴史があるケヴィン・スペイシーだから、アメギャン現象が起きる。
ある事件が起きる。その事件の犯人像が浮かび上がる。考えたくはないが、どうもそれが知っている男の可能性が拭えないのだ。このティム・ロビンスという俳優も、『隣人、ショーシャンク』の件があるから、アメギャン現象が起きる。
BTTFで有名な監督のロバート・ゼメキスは本作の脚本を絶賛しており、「この脚本の素晴らしいところは登場人物が次に何をするかわからないことだ。物語の結末や主人公の行く末を知りたくなるんだよ。読み出すと止まらなかった」と語っている。
1996年のアトランタオリンピックで爆発物を発見して多くの人命を救った英雄であるにもかかわらず、FBIやメディアに容疑者と見なされた実在の警備員リチャード・ジュエルを描いている。主人公の俳優は『アイトーニャ』で同じような怪演をしてみせたので、それがここに繋がっている可能性がある。
ロバートデニーロはこの作品から『狂気に満ちた男』が板についてくるようになる。一体この男はどちらなのか。途中までの段階でそれを見極められる人はいるか。
『ケープフィア―』などの作品も経て、この作品に繋がる。これが傑作なのは、彼は最初間違いなく『ファン』であったということだ。だが、それを見失い、そして最後にまたそれを思い出す。このあたりがこの作品の奥深いところである。
双子の少女を強姦殺人した罪を持つ死刑囚ジョン・コーフィは、とても大男だった。だが、その風貌や罪状に似合わないほど弱く、繊細で純粋な心を持っていた。彼は本当に加害者なのか。それとも違うのか。違うならなぜ死刑囚にまで陥ったのか。
『この人物はどっちだ?』というテーマが出てくると私は個人的に嬉しくなります。それを見極めながら鑑賞するのが好きだからですね。単純に物語が進んでいくよりも、そうしたいくつかの伏線が交錯した方が見ごたえが出てくるからですね。
これは前述したように、この男の怪演が面白いレシピとなる。
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映画をたくさん観ている私からしても、彼が一体何を考えているか分かりません。それは恐らく、彼がコメディアンだからでしょう。『ハングオーバー』のザック・ガリフィアナキスもそうですが、(自分は俳優ではない)という考え方が無意味なプレッシャーからの解放に繋がっていて、変に気負っていないから飄々としていられる。最初から『気軽にかき回す役』として出ているわけですね。また単純に、芸人として俳優とは違う観点を持っていることも影響していそうですね。
これは正義か。それとも過ちか。あなたにそれを見抜くことができるか。
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BTTFで有名な監督のロバート・ゼメキスは本作の脚本を絶賛しており、「この脚本の素晴らしいところは登場人物が次に何をするかわからないことだ。物語の結末や主人公の行く末を知りたくなるんだよ。読み出すと止まらなかった」と語っている。
実在した元娼婦の連続殺人犯、アイリーン・ウォーノスの生涯を映画化した。結果だけを短絡的に考えればもちろん犯罪者、しかも殺人犯を肯定することなど到底できないが、しかしどうしてだろうか。スポットライトを当てれば、違う感想を持ってしまうのは。
刑務所から脱獄した男が8歳の少年を人質にとって逃避行をする。どう考えてもこの男は悪人だが、どうも観ているうちに、彼に違う目を向ける我々がいるのだ。
スティーブン・キング作品なので、何がどうなっているかをあまり書かない方がいい。ミステリーを楽しみたいからだ。我々は最後の最後まで、彼が正しい人なのか、彼が取っている行動が正しいと言えるのか、それを本当に心底から明言できるのか、という規範意識を揺り動かされる。
例えば国境を越えれば、もうその時点でその国の管轄に入り、隣国の法律は該当されないようになるわけだ。それは仕方がないことだ。法を取り締まる人間が必要で、その人間は、国が違うと言語も価値観も違う。アメリカとメキシコなら、英語とスペイン語だ。世界が急に変わってしまうのだ。では、このケースは許されるのか。
もし犯罪が行されても、狡猾な弁護士の弁舌や心ない裁判長の対応などの要素が、偶然にも最悪のタイミングで重なってしまえば、理不尽はまかり通る。ちょうど、自動で動く監視カメラの死角をつけば、そこで何かしてもバレなようなイメージだ。そういう現実が、この世界に確実にある。だが、今回のように被害者が重い犯罪に巻き込まれたら?それでもそれがまかり通っていいのか。
暴力に対し、暴力で対抗する。事務的に書けばそれだけのものとなる。だが、その発端となった人物が悪人であればあるほど、(彼なら死んでも仕方ない)と思ってしまうのが人間である。では、このケースの場合はどうか。
ダーティハリーことこのハリー・キャラハンという刑事は、組織と規律から逸脱していくアウトロー的、かつ直情径行(ちょくじょうけいこう。感情の赴くに任せて思うとおりに行動すること)で信念を貫徹するのが性格だった。アウトローというのはすでに(法律の外)という意味である。よってこの男は刑事のくせにアウトローなので、支離滅裂。だが、それがこの男の魅力なのだ。
前述したように、暴力に対し、暴力で対抗する。それは短絡的に考えると稚拙であり、詭弁である。だが、情状酌量の余地だとか、超法規的措置があったり、あるいは大統領自体が不正行為に関与していることもあるこの世界では、法律や目に見える常識・規範だけが勧善懲悪の役目を果たしているとは限らない。
上の三つを統合したような映画。もし自分が彼女と同じ目に遭ったら、どうするだろうか。ある人にこれを勧めたら『でも暴力はいけない』と言った。だが私が『じゃああなたは戦場で、隣で仲間が死んでいく中で、同じセリフが言えるか』と言ったら、『確かに・・』と口をつぐんだ。これは、そんなにすぐに口に出して結論を言える話ではないのだ。
規範意識とは例えば、誰もいない見渡しのいい大きな公道で、信号が赤になった。どう考えても、どう見ても、遥か先まで見渡せるその道には、車一台の気配もない。しかし信号が赤であるときに、信号を守るべきか、それとも進んでいいのか、ということを考える際に使う意識のことです。そもそも信号ができた理由は?でも、ルールはルールで死守するべきもの?ここに挙げた映画は、あなたの規範意識を揺り動かすことになるでしょう。
上のレシピの『善悪の境界線』を考えた後に、この映画を考える。
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これは少し異質になるが、この明らかなホラー作品がB級ではなく全国の映画館で上映されるまで人気を得たのは、ここで突きつけられるテーマがこれらと同じ類のことだったからである。
義賊(ぎぞく)とは、国家や領主などの権力者からは犯罪者とされながらも、大衆から支持される個人及びその集団のことです。石川五右衛門などがよくその代名詞に挙げられます。その時にはびこっている、つまり蔓延していて、根付いている常識や法律といった権力が、もし間違っていた場合どうすればいいか。それを打ち破り、『更新』する必要性が求められます。世界の革命家たちはそうして状況の打破のために立ち上がりました。そのような現実が、この手の話の奥行きを深くしています。