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なぜ魔性とは男に使われないのか。なぜ『魔性の女』という言葉しかないのか。
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アンジェリーナジョリーにはもうその手の『魔女』のイメージがついているが、その端緒となったのはこの作品だろう。ミステリアスな女性を演じさせたらピカイチという状況が、当時にはあった。今でも『マレフィセント』でその実力を発揮している。
[オリュンピアスを誘惑するゼウス(ジュリオ・ロマーノによるフレスコ画、パラッツォ・デル・テ)Wikipedia]
更にその4年後の2007年に、アンジーはこの作品で『THE・魔性の女』を演じる。この映画は8世紀ごろの作品が原作で、『ホビットの冒険』や『指輪物語』といった世界初のファンタジー作品と言われる名作の根幹にある伝説の物語。これ自体は大したことないが、極めて重要。そしてその重要な物語の中で、『極めて大きなカギ』を握るのが、彼女が演じる女だ。ラストシーンに注目である。
タイトルにある通りだ。まったく、悪魔のような女である。だがこれは現代ではつけられることがないタイトルだろう。このレベルであれば今は、昼や夕方の連続ドラマでも見ることができる。だがもちろんこれが現実の話であれば、別だ。
ロリータはウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』に由来し、ここから生まれた言葉が『ロリータ・コンプレックス』いわゆる『ロリコン』である。人間がこれだけいれば、その年齢で男を惑わせる者もいるだろうが、冷静に考えれば警察沙汰である。惑わせても心で(思春期だからな・・)と整理できるのが大人だからだ。
かつてはネグレクトや性的虐待も受けたマリリンモンローだったが、この映画では彼女自体がかなり男を惑わせる魔性の女として描かれている。彼女自身はそうするつもりはなくても、その気にさせるような行動に出たり、距離を詰めたり。それをしておきながら興味がないというのは通用しないわけだから、それを素でやるなら魔性の女である。
マッケイラ・ストロベリーという町で一番の美女と謳われる美貌の持ち主に、青年たちが翻弄されてひと悶着起きる、という展開がある。彼女が食べていたガムですら手を出したくなるほどの美女だという。
エマニュエル・セニエ演じるミミという女性が、まだラブコメの帝王になる前のヒューグラントを振り回す。彼女は4年前に『フランティック』という映画でハリソンフォードの気を引く謎の美女を演じているので、その流れで同じ監督であるロマン・ポランスキーに選ばれたと見える。
主人公の男の潜在意識に強く巣食う彼の妻が、物語で終始彼の足を引っ張り、魔性の女ぶりを発揮する。だが、間違えてはならないのは彼女をそうさせているのはディカプリオ演じるこの男であり、彼女自体に問題があるわけではないのだ。
主人公の妻になるナオミ・ベルフォートが、ど派手な出で立ちで、男の欲望を煽る魔性の女ぶりを発揮している。マゴロビは同年の2013年に『アバウトタイム』でも似たような魔性の女的な女性を演じたが、この作品の存在感が、彼女をハーレイクインにまで結び付けたと言えるだろう。
あまり全盛期と言うのは適切ではないが、リヴ・タイラーの妖艶さが光る伝説の作品。といっても、『メリーに首ったけ』のような方向で、エロコメディ要素が含まれているから特に教訓はないが、美女が光るのは間違いない。
物語の舞台となるのはイタリア、シチリア島。主人公の少年は12歳でありながら、自分より年上のマレーナに夢中でいた。マレーナは町中の男達にとって女神のような存在だが、町中の女性からは嫉妬の的であった。
ミシェル・ファイファーやアン・ハサウェイのキャットウーマンもいい。美女だから何をやってもいい。だがハル・ベリーのキャットウーマンが持つS気質の妖艶な魅力は、一線を画すものがある。私はMでもSでも何でもないタイプで、逆にSとして殴られでもしたら殴り返すほどだが、それとはまた意味が違った魅力が彼女にはある。
『ブリングリング』のエマワトソンなどもそうなのだが、ここでも主人公の少年の憧れの美少女として、彼女が魔性ぶりを発揮する。年齢も若いから本人にその自覚はなく、ただ女性として生きることを強く自覚し始めた時期というだけなのだが、同じく思春期として異性を意識する少年にとっては、魔性の女である。
現実の世界がクレオパトラが魔性の女の女王なら、映画界の女王は彼女になるだろう。シャロン・ストーン演じるジンジャー・マッケンナは、ジェリー・マクギーという実在する人物。この彼女の怪演は、『氷の微笑』のそれを超えている。
魔性というのは基本女性に使われますが、そこを紐解くとかなり複雑な話になりますよね。古代から考えることになりますから。そこで女性が『男を惑わせる存在』だとかいって、例えば現在でも中東では、女性は顔を隠したりする行為が常識となっています。それを破ればむちで打たれたり、刑務所に入れられ、人によっては殺害されることもあります。女性自身がそのような存在なわけではありません。ただし、こうした側面も持っていることは事実です。逆に男は、なまじ力を持っているので、暴力行為に走りがちです。
魔性の男ではなくプレイボーイ。ここまでに考えて見えたように、男はどちらかというと『狩り』の人生だった。そこにある差は、主体性の有無である。
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要はこの彼のように、率先して、自分から女性を射止めにいくというスタイルが『狩り』に似ていることから、原始時代よりその役目を担っていた男が、『狩りのように女性をナンパし、女性はそれを受け入れるか拒絶する』という一種の流れができたわけだ。
ピカソもなかなかのプレイボーイだったようで、その家庭環境は決して単純なものではなかった。だがホプキンスが演じるとどこか許せるという、彼の根の真面目さのようなものが垣間見えるほっこり作品とも言える。例えば、友人をシャドーボクシングで殴るシーンがあるが、男の私から見ても可愛いと思って仕方ない。
プレイボーイ、女たらしの代名詞と言えばこの男、ドン・ファンである。彼は1,502人の女を虜にしたいう伝説があるが、どうもこの男がそのドン・ファンだというのだ。だが、彼はとっくの昔に死んだはずでは?そもそも実在していたのか。
この男は実在していた。ジャコモ・カサノヴァ(1725年4月2日 – 1798年6月4日)は、ヴェネツィア出身の作家で、彼の自伝によれば、その生涯に1,000人の女性とベッドを共にしたという。ドン・ファンの生まれ変わりというのなら、彼こそがまさにその人物と言えるだろう。
チャップリンという男は、実は結構なプレイボーイだった。しかもロリコンである。という言い方は映画ファンとして愛が足りないが、ビシっとした角度で厳しく言うならそう言わざるを得ない事実を持っていたようだ。
この映画では、アメリカの政治家、チャーリー・ウィルソンが主人公で、ウィルソンはCIA史上最大の極秘作戦を敢行した立志伝中の人物として知られる。映画はまず彼が、『金持ちだけが入れる風呂』のような場所で、美女と酒にまみれてパーティをしているところから始まる。
ジゴロというのはまさに、女に養われている男女から金を巻き上げて生活する男、女にたかって生活する男、女から巧みに援助を得る男など)のことをいう。この男もまたビバリーヒルズの金持ち婦人を相手に稼ぎまくるジゴロであった。だが、その仕事上、妙な守秘義務が発生するがゆえ、隠匿されがちになり、それれが原因で事件に巻き込まれる。
オーウェン・ウィルソンはその容姿からか妙に軽い人間、ナンパ系の男を演じることが多いが、よく見るとトム・クルーズに似ていて、短髪にすれば違うファンを大きく獲得できそうな潜在能力を持っている。実際、彼の性格はそういうことを軽蔑しているらしい。『ワンダー』や『ミッドナイト』での彼は真面目で誠実だが、事実一切の不自然さはなかった。
ポルノの帝王とも言えるラリーフリントは、「ハスラー」誌の創業者でもある。彼はいささか世間から白い目を向けられがちな生き方をしているが、『戦争とエロ、どちらが健全か』という言葉は、詭弁にも見え、何らかの真実もかすめた重みのある言葉に見えた。
サーファーは、肉体も晒すし、その肉体は仕上がっていることが多く、女性は露出の多い水着姿だから、やはり露出を隠しているエリアや人々と違って、解放的になる。だが、彼の場合は固い意志のようなものもあるようで、そのサーファーのプライドが、この作品を低俗なB級作品にさせていない。
マシューマコノヒーはとにかくナンパ系のプレイボーイ役が多いが、海外ではあまりそれはデメリットになっていないように見える。むしろ、意気揚々としているからだ。この場合の彼も、超が付くプレイボーイ。だが、確かに女にはモテるが、誠実さの欠片もない男として、その欠陥を直す必要を迫られていた。
ここでもそのマコノヒーが登場する。これは、主役のチャニング・テイタムの実際の経験に基づいて作られているが、やはり一筋の健全性はあると言えど、ストリップという行為をして異性の欲望を煽れば、それなりに代償がある。その代償はハードルにも似ているが、その障害を乗り越えて正道を歩けるかどうかが物語を通して問われていく。
1984年にペンシルベニア州で実際に起こった、浮気性の夫を殺そうとした妻の殺人未遂事件を基にしたコメディ。これを後で実話と知って驚いたが、やはり実話かそうじゃないかというのは、天と地の差がある。もちろん本当の世界では、人はもっと簡単に、死ぬ。
この破天荒刑事コンビも、ウィル・スミス演じるマイク・ラーリーの方はプレイボーイである。基本的に彼の暴走が原因で事態が悪化してしまう。
ジャック・ニコルソン演じる音楽業界で活躍する63歳の男は、30歳未満の女性が恋愛対象の結婚経験ゼロの裕福な独身プレイボーイ。生物学的にその理由は分かるのだが、人間の世界であまり強くそれをまかり通らせようとすると、なぜかそこに不自然さも浮かび上がってくる。
マイケル・ダグラス演じる男が、グレン・クローズ演じる一人の女性に手を出してしまう。彼はそんなことをしなければ温かい家庭で幸せに暮らせたというのに、人はないものねだりをする。彼女には手を出してはいけなかった。前述した『悪魔のような女』の肩書は、彼女にこそよく似合う。
色々な意味で伝説のこの男。だが、私も目が肥えてきたらしい。これといい、『パフューム』といい、あのキューブリックが目をつけていた作品だというのだ。この感想文を見れば私がこの映画とどれだけ真剣に向き合ったかがよくわかるだろう。これからは私を『キューブリックの隠し子』と呼んでいただきたい(嘘)。
このようにして男はプレイボーイと言われます。やはり女性との差は、主体性の有無でしょう。最近では女性も狩りの立場に回るようになってきたかもしれませんが、例えばサッチャー時代なんか、彼女以外に女性がいないような状態でしたからね。クラクションを鳴らす9割は男性だと言われています。テストステロンという男性ホルモンが関係しているんですよね。つまり男は元々、好戦的で、主体的なんです。だから『女性が男性の後をついていく』というスタイルは、自然に発生したんですね。もちろん例外もあります。