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まずは孤独な状況に陥った男性編から。
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何らかの感染により、2012年にこの世界のほぼ全員が死滅した、というような状態で主人公の男が生活をしている。そこでは、彼が孤独とどう向き合って生きていくか、ということについて再三再四、葛藤し、もがき苦しんだ後のような状態から、物語が始まる。
何らかの原因で孤島、つまり無人島で過ごす人が描かれる。彼は一体なぜそうなってしまったのか。『アイアムレジェンド』同様、人が本当に孤独の世界で生きるとこうなる、ということが伝わってくる。
ある宇宙の事故によって火星から出られなくなってしまった一人の男が描かれる。上記2作品と違うのは彼の『性格』であり、実はたいしたことがないように見えて、その違いが一つの教訓を生んでいる。
タイトルを見てわかるように、127時間という時間を一人で過ごさなければならない状態に陥った男が描かれる。だが、他のケースと違うのは、これが実話ベースであり、かつ、彼が『正常な健康状態』とは言えなかったというところだ。
20世紀を代表する億万長者として知られ、「資本主義の権化」「地球上の富の半分を持つ男」と言われた実在の大富豪、実業家であるハワード・ヒューズ。だが彼はやはりその様な異質な立ち位置に行くくらいだから、精神的に特殊なものを心に抱えていた。
ある男が孤島の精神病院、あるいは収容所のようなところにやってきた。彼はどうやら連邦保安官のようだ。何かを調べにここに来た。だが、どこかおかしい。何か違和感がある。果たして、この映画がなぜここで紹介されるのか。
ある男が離島で暮らしている。彼はどうやら過去の何かによって恐怖心があり、その島を一度も出たことがないという。だがそれでも彼の求める平和な生活が島にあったから問題はなかった。だが・・。
登山家ハインリヒ・ハラーが世界最高峰ヒマラヤ山脈への登山に向かうが、第二次世界大戦のためにインドでイギリス軍の捕虜となる。その後彼は脱獄し、チベットへ。この一連の行動を見ても、彼が常に孤独に行動していることがわかる。そして彼はこれ以上に『孤独』な要素を兼ね備えていた。
『彼』は元々そういう存在だからそこに不満を持っていなかっただろうが、『今回の体験』を通して、確実に彼は『何か』を知ってしまった。ゆえに、そのあとに残るのは何らかの感情であり、その心が『孤独』の概念を生み出す。ペンは自分を孤独だと思わない。心がないからだ。
逃亡している男がいる。だが彼は、本来逃亡する必要はないのだ。しかし、『証明』しなければならない状況に追い込まれた。もうそうするしかないのだ。誰が味方か、誰が敵かもわからない。証明せよ!
生まれつきの奇形。しかもその状態があまりにも異例である。自分がこのような姿でこの世に生まれたらどうするか。何を想い、何を目的に生きるか。そして、どう死んでいくか。
祖国フランスを追放され、南米ギアナのデビルズ島で過酷な強制労働を科せられた男がいた。だが彼は冤罪でもあった。完全なる自業自得ではないのだ。私が唯一、(真似ができないかもしれない)と弱音を見せた男の生きざまがここにある。
あるヨット好きの男が、それをビジネスにも持ち込んでいたが、生きていくためには『仕事』をしなければならない。そこで男は、あるレースで優勝すれば、ヨットによる単独無寄港世界一周航海を史上初めて達成することに好機を見出す。だがその選択肢は・・。
この作品に低評価をつけてしまう人がいるが、それは偏見である。だが彼女らのような人は、『いる』。この事実から目を逸らす人は差別的で、排他的で、利己的である。
この男はまず暗殺者であるからして、その生涯はもう孤独なものとなる。だがこの映画の日本のキャッチコピーは「人生は、最期がもっとも美しい」ということだから、ここに『孤高』があるように見えるが、彼の人生は果たしてどちらだろうか。
この映画は宇宙というあまりにも広漠とした世界が舞台となるがゆえ、一歩間違えれば登場人物の誰もが暗黒の闇に堕ちる。いや、それで済めばいい。普通、一瞬でも気を抜けば死が待っている。その凍り付くようなある種の恐怖が、この物語の『綱渡り』に臨場感を作り上げる。
中華人民共和国の反右派闘争。世界的に有名な争いじゃなくても、死者は出る。死者が出れば、そこにいる人の気持ちが激しく揺り動かされる。中国の空に、哀しい声が、鳴り響く。
天才チェス・プレイシャーのボビーフィッシャー。彼はロシアのチャンピオンであるボリス・スパスキーと戦わなければならなかった。だが彼の場合、これだけではない。彼の『その後の人生』にまで目を向けると、彼のこの映画での立ち居振る舞いに意味が見えてくる
アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを描く。もうこの時点で想像力のある人なら、『逆に、今まではなぜいなかったのか』という現実とその理由について察し、その道があまりにも険しいものであることに気が付くだろう。
『彼のような依存症』を馬鹿にしてはならない。そもそもがリビドー(性的な衝動)というものは莫大でもあり、甚大でもある。大いなる成功者は皆『前者』となるが、彼のように『後者』となり、その武器を『足枷』にしてしまう人は、大勢いるのだ。
孤独、孤立、孤高。この意味はすべて違います。前者は今回挙げた映画のように『望まないでそうなっている』状態を意味し、孤立は『自分が何かをしたことで群から離れた』状態を意味します。そして孤高とは、孤立と同じように『何かをする』のですが、そこには信念があり、真理にも則っている。孤立との差はそこにあります。ゆえに、これらのすべては分けて考えることができるし、そうした方が教訓性が高くなるんですね。