『恋のドッグファイト』
ポスター画像出典:『Amazon』
映画を観ただけでは分からない人もいるかもしれないから、あらかじめこの設定だけは見ておいた方がいい。ベトナム出征前夜の海兵隊員達は、誰が一番ブスな女の子をナンパして、パーティに連れてこられるか競う”ドッグファイト”と呼ばれるゲームをやり出す。私が見逃していたのかしらないが、この設定に気づけなかったので少し混乱していた。
『ブス』というのは『醜い』という言葉と密接に関係していて、例えば容姿が太っている場合は、多くの場合でそれに該当する。なぜならそれは、自分が招いた現実だからだ。整形しなければいけない問題ではなく、自分で太った。
そこには、誘惑に勝てない弱い心や、自分を正当化したり、客観視できない視野の狭さや傲慢さ、あるいは強欲さが存在している。それらの悪しき感情に自分を支配されている状態は、孟子でも『善』とは言わない。また、『性悪説』を唱えた荀子でも、外部から後天的に善を積み上げて、善人になると主張しているわけで、こういう行動は『善なる行動』とは言えないわけだ。
だから太った場合は醜い。最近では太ることも多様性の一つだと認める風潮があるが、あるタレントが『カレーは飲み物』だと言って、マラソンでそれが原因となって心肺停止になり、瀕死体験をし、『生きて話ができることを喜んでいる』と言ったが、医学的に見ても、
動脈硬化
心筋梗塞
脳梗塞
糖尿病
等の生活習慣病にかかりやすいわけで、太ることを正当化するなら、彼のように生に執着するのは矛盾がある。結果、やはり往々にして、太ることはあまりよくない。最悪の場合がいいが、しかしその過程が『自堕落な生活の上で』のことなら、あまりそこに美しさはなく、むしろ怠惰の正当化がその多様性の大きな波に隠れて行われているのであれば、そこにあるのは醜さしかないのである。
また、人間は左右対称のものに美しさを感じる生き物だ。だから、世界遺産を代表とする世界に知られている建造物の大体は、左右対称になっている。美男美女と呼ばれる人々も大体が、左右対称の顔をしている。また、体も左右対称でバランスが取れている場合と、片方だけいびつな場合は、やはり前者の方が美しいと思ってしまうものだ。
では、今回『ブス』に選ばれた女性は、なぜ選ばれたのか。そして、彼女は本当にブスだったのか。そうじゃないなら、何が美しいのか。その辺りのことを考えると、色々と考えさせられる映画である。