『クルエラ』
ポスター画像出典:『公式サイト』
ディズニーのアニメーション映画『101匹わんちゃん』の悪役クルエラ・ド・ヴィルの若き日の姿を描くオリジナルストーリー。この映画の為にその作品を再鑑賞したのだが、ここまで名作だとは思っていなかった。大人になり、『システム2』を駆使するようになり、3000本の映画を観た私が見て、そう判断できる映画だったのだ。
その映画の感想文にも書いたが、『クルエラ』は、あの作品からこの展開があることは一切想像できないほど底の浅い脇役に仕上がっているが、それは80分しかない時間と、当時のアニメ映画の描き方なども影響しているだろう。
だが逆にそれが想像力をかきたてる材料になっていていい。あの二人の小物たちと、この悪の親玉にだって過去があり、こうなった理由があった。そこにスポットライトを当て、ディズニーの名作映画に更に奥行きが作られた。『マレフィセント』と同じく、ディズニー・ヴィランシリーズのヒット作と言えるだろう。
特に、『当時のイギリス』を知っている人は更に楽しめるだろう。世界の人が必ずしもそれを知っているわけではない。例えば、シド・ヴィシャスが何者で、彼らが生きている時代にどういう音楽や、カルチャーが流行したか。
だがそう考えれば妙にお洒落である。例えば当時の日本で考えると、音楽で言えばまだ『御三家』の西城秀樹だとか、『関白宣言』などのさだまさしとか、松山千春や、クリスタルキング、アリス、山口百恵などが流行していた。演歌も今以上に根付いていた。
だが我々はそれをよくテレビの映像で見て、(古いなぁ、ダサいなぁ)とか思えない。この感覚はイギリス人にもあるのだろうか。
世界の人が日本に求めるのは、『日本にしかない美や文化』だという。京都、侍、着物、そして演歌も、世界の人からすると『お洒落』な文化だというのだ。あるアフリカ人は、
『日本にしかない文化を大切にするべきだよ。例えば演歌は世界でも有名だが、それを大事にするべきだ』
と言う。我々が当時の日本人の姿を映画で観てもなんとも思わないが、世界の人からすると、このクルエラを見ているようなお洒落さを感じるのかもしれない。そして逆にクルエラには、古臭さを覚えるのかもしれない。
こういうアメリカンジョークがある。
21世紀、世界はグローバリゼーションの世の中になった。では、グローバリゼーションとはいったい何のことだろうか。
アメリカの子供の夢がサッカー選手で、イタリアの子供の夢が漫画家で、日本の子供の夢がメジャーリーガーだということ。
人間というものはないものねだりをし続ける生き物なのかもしれない。