『ワン・デイ 23年のラブストーリー』
ポスター画像出典:『ヤフー映画』
人の気持ちは分からない。分かるならテレパシーが使えることになる。だが、虫や動物が異性にアピールする時の動作は研究されて分かっている。だとしたら人間にも同じことが言える。ただし、昆虫博士のような『恋愛専門家』はそこらへんにいるわけはなく、本はあるかもしれないが、『そんな本を読んで勉強する奴』は、どこか人として低俗のような気配が人間界には漂っている。つまり、どこかでこういうロマンチックなドラマを期待しているのだ。
だが、この複雑極まりない多様性が広がる広い世界でそれぞれが思い思いの人生を生きて、再びその交錯した道で、道が一つに交じる可能性は低い。特に、お互いが外国に一人で旅行をしていて、そこで偶然出会ったケースの場合で、更にその時目を合わせて話し合うこともしなかったなら、ほとんどの確率でその人と出逢うことはできないだろう。だが、わずかでも重なり合う要素があればその可能性は飛躍的に上がる。例えば地元が同じで、学校も同じだった場合などがそうだ。
では、それだけの要素があれば必ず人はまた出会うことになるだろうか。いや、それは他を一切遮断して生きている私が断言するが、『どちらかが強く望まない限りあり得ない』のである。
そう考えると、再び出会い、話をすることがあれば、それだけですでに可能性は極めて高くなっている。これらのことに『何となく』気が付いている人間は、どこかよそよそしい態度を取る。口にはしないが、心底の部分で違う本音を持っているかのように見える。
人間は虫や動物と違い、心がある。心があるからすべてが複雑化する。そのおかげで、偉い賢人たちが見つけたような真理を見出すことができたし、原始時代の動物たちとほぼ変わらない生活を送っていた人間が見て、とても信じられないような科学技術を身につけることができた。また、それが故に歪み方も複雑になり、動物たちの間ではとても考えられないような、不自然で猟奇的な『過ち』を犯してしまうこともある。
そして恋愛はどうだ。本当は好きなのに、実際は好きじゃない人を無理に好きになって、心に嘘をついて生きることがある。まったくもって不自然で、複雑な生き物である。だが、だからこそ心が揺り動かされるドラマが生まれるのもまた、事実だ。