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『グッバイ、リチャード!』 レビュー(感想)と考察

『グッバイ、リチャード!』

 

 

W・H・オーデンは言った。

 

ジョニー・デップの映画が好きだから、えこひいき目に見るということもあるが、中には『ローンレンジャー』や『チャーリーモルデカイ』のように完全なる駄作がある中で、これは中々面白い映画だった。

 

だが、私だから面白かったのであり、万人受けするかは分からない。『私だから』というのは思い上がりではなく、まずそうしてジョニー・デップの映画を理解しようとするスタンスがある。そして映画を3000本観ている。また、哲学宗教神話、真理等について学んでいて、8000の名言を内省し、若くして父を亡くして、もちろん死について考えてきた。

 

リチャードは末期の肺がんだが、父は末期の肝臓がんだった。叔父は統合失調症だったし、両親はクリスチャンで、私はそうではなく、私はそれを強要され続ける人生だった。これが『私』だ。

 

だからこの映画は売り上げも低いし、時間も90分しかなく、評論家からも

「薄っぺらい登場人物と誤った演出に基づくジョニー・デップの演技のために、ストーリーがグチャグチャになっている。『グッバイ、リチャード』は出だしから失敗しており、ミスは頻繁に発生している。」

 

と酷評され、確かに彼らがそう言うように、節々のぞんざいさは目立つ。

 

だが、逆にそれがアクセントになっている。要は、我々の周りにいる人間は役者ではないのだ。セリフを詰まらず言う人間ではなく、言葉を探しながら、どもったりしながら、あるいは、『さっきの言葉間違えた』などと後で訂正したりして、もっと自由で混沌としている。『薄っぺらい人間』というなら、逆に芯がある肝の据わった人間を見ることが珍しく、むしろほとんどいないと言っていい。そう考えた時、この映画は妙にリアルな臨場感を醸し出す。

 

 

私が好きなシーンは最後だ。色々と考え、人生を葛藤し、迷い、答えを模索した人にしか分からない最後だ。

 

 

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