ポスター画像出典:『Amazon』
DCコミックスのヴァーティゴレーベルから発行されたコミック『ザ・ルーザーズ』の映画化作品ということは知らなかった。確かに、冒頭のやり取りが妙に作りこまれているというか、完成されているというか、入り込めないというか、そういう妙な違和感があった。その違和感の正体は、漫画の名シーンを実写化したことが原因だったのだろう。(なんだこの独特の雰囲気は)という感想を抱いてスタートした。
キャストは豪華で、気になるシナリオもあって、スペシャリストたちの個性的な活躍が楽しく、いい感じなのだが、何かが一歩足りない。それは、興行収入が黒字ギリギリというところに着地しているところでも証明されている。
また、90分程度というところに覚悟のなさを感じているのかもしれない。長ければいいというものではなく、90分でも名作はある。だが、何かが一つ足りないだけで作品は価値を落とすものだ。その意味で、デヴィッド・フィンチャーという監督は完全主義で知られていて、私は彼の映画を『後で知って』全部好きになっていた。(この映画面白いな。他と違う!)という感想を抱いて後で監督を調べると、彼だったということが多いのだ。そして、何と彼の監督作品の『すべて』が私が面白いと太鼓判を押せる映画になっている。
ある映画分析動画には、黒澤映画とアベンジャーズの映画を観比べて違いを評価するものがあった。外国の動画だ。黒澤映画では、背景で雨が降っていたり、風が吹いていたりして、必ず『動的』であり、意味がある。だが、アベンジャーズのこのショットは、特に意味なんてない。何も考えられていないと、言うのだ。
だが、私も含めて多くの鑑賞者は、アベンジャーズであれだけのメンツが揃ったことに興奮していてそんなことに気づけない。そういう、玄人目線でしか分からない部分で『何か』があり、その一つ一つの組み合わせと積み重ねで作品が完成しているのだ。その意味で、私はデヴィッド・フィンチャーの映画に無意識に完璧さを見ていた。そして、今回の映画ではおそらく、『表層だけ豪華』とか、そういった目くらましが行われていて、そういう要素の何かが鑑賞者に影響を与え、結果に繋がっているのだろう。
だが、コンパクトにアクション映画を何も考えずに楽しみたい人は大勢いるから、これはこれで需要があるようにも見える。