治療施設「神の約束」に送られる少女は、同性愛の傾向があった。神の約束では同性愛者を異性愛者に転換させるための治療が行われていた。かなり複雑で重い内容である。だから観る前では抵抗を覚えるが、観てしまえば目が離せなくなる。そういう映画である。
ここで話を複雑にさせるのが、伝説の俳優リヴァーフェニックスが子供のころ入団していた『神の子供たち』である。彼は両親の考え方からカルト教団「神の子供たち」(現在のファミリー・インターナショナル)への参加を余儀なくされた。この教団は、大人、子供に限らずセックスを奨励していたため、教団に所属していた幼児同士もセックスをしたという。
あまりにも衝撃的な内容だ。だが、当時の1970年代頃、この手の考え方は実はそこまで珍しくはなかった。『ワンハリ』にも出てくる例のカルト教団も、そういう行為をしている。また、『イージー☆ライダー』は当時の映画だが、やはり同じように、謎の集団と出会うシーンがある。また、映画では実際に大麻を吸って撮影している。
この時代は、アメリカン・ニューシネマが流行した時代。wikipediaから説明文を引用してみよう。
まだジャーナリズムの熱意が高かった60年代には、アメリカ市民がベトナム戦争の実態を目の当たりにすることで、ホワイトハウスへの信頼感は音を立てて崩れていった。戦争に懐疑的になった国民は、アメリカ政府の矛盾点に目を向け、若者のヒッピー化、反体制化が見られ、人種差別、ドラッグ、エスカレートした官憲の暴力性などの現象も顕在化した。そして、それを招いた元凶は、政治の腐敗というところに帰結し、アメリカの各地で糾弾運動が巻き起こった。アメリカン・ニューシネマはこのような当時のアメリカの世相を投影していたと言われる。
そのような時代背景が、当時を生きる人々の考え方に大きく影響している。また、『月面着陸』の話も無関係ではない。月面着陸は1969年だった。(1969年7月20日午後4時17分) ワンハリで殺されたシャロンテートは1969年の8月9日が命日だった。
『チャーリー・セズ/マンソンの女たち』のセリフにはこうあった。
『1969年(事件を起こした時)、誰もが宇宙レベルで変化があると思っていた』
人類が宇宙に接触するこの時代、ベトナム戦争という誤謬も相まって、もう今までの人類ではいられなくなるような、新しい世界にいかなければならないような、そういう気配が漂っていたのだ。
さて、作品に戻ろう。時は1993年である。「神の約束」は、『神の子供たち』のようないかがわしい宗教施設ではないかもしれない。言っていることも、正論に見える。だがどこか、彼ら自身が洗脳されて間違っていた場合、取り返しがつかないような気配が漂う。同性愛という難しい問題、そして、そこにいるのが判断未熟な子供たちばかりという不安定な要素が視聴者の不安をあおる。わずか90分ではあるが、色々と考えさせられる映画である。