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『マザーレス・ブルックリン』 レビュー(感想)と考察

『マザーレス・ブルックリン』

ポスター画像出典:『ヤフー映画

 

 

1950年代の時代をリアルに描くために、よく観察すると目に入る光景が全て『50年代』になっている。現地に住む人には通じないところもあるかもしれないが、車や街並みなど、外国人では気づけないほど背景まで作りこまれていて、こだわりを感じる。

 

ただ、やはり探偵ものであれば、もっと『人並外れたなにか』にスポットライトを当てないと、シャーロックホームズのようにはなれない。例えば日本なら中居正広が主演をしたサヴァン症候群の『アタリ』があったが、あのように、障害はあれど、爆発的なインパクトがあれば、

 

古畑
コロンボ
ホームズ
コナン
アタリ

 

のそれらと同様、『彼が何とかしてくれる』という一つの楽しみが増え、シリーズ化さえ可能になりやすいが、こういう場合、(この人が障害を持っている必要はあったのか)という疑問が浮かんでしまう。実話ならいいのだが、フィクションでなぜあえて、このような中途半端な設定にしたのか。私の周りには、

 

吃音性
トゥレット障害
統合失調症

 

を患った人がいたので他人事ではないから、逆に見る目がシビアになってしまう。

 

ただし、この映画は主演のエドワードノートンが監督をしているということが一つのポイントだ。彼はこう言っている。

「1950年代半ばのニューヨークで何が起きたのかという問題について常に関心を持ってきた。その時代に存在した数え切れないほどの組織的腐敗とレイシズムが現代のニューヨークの在り方を決定づけたから。」

 

レイシズムとは、

人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然であるという思想、イデオロギー

 

白人至上主義的な有色人種差別、特に黒人差別は現代でも続いているが、当時はもっとすごかった。『招かれざる客』を見ればわかるが、1967年公開のその映画では、もはや『黒人を差別することが当たり前』のような、(なぜ異物を家に入れたの?)とでも言うかのような、そういう展開が繰り広げられる。

 

世界から見れば明らかにおかしいが、だが彼らは本気で思っていて、それが根強く現代でも続いてしまっているわけだ。そう考えると、もしかしたらこの『非常識な常識』を破ることができるのは、彼のようにどこか異質な要素を兼ね備えた者しかいないという、構想があったのかもしれない。