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『ブルーバレンタイン』 レビュー(感想)と考察

『ブルーバレンタイン』

ポスター画像出典:『ヤフー映画

 

 

ライアン・ゴズリングとミシェル・ウィリアムズが、間違いなく確実に演技派であり、実力があることがわかる映画である。だが、タイトルからも分かるように内容は比較的『ブルー』であり、暗い雰囲気が漂う。だからこの映画は玄人向きである。評論家の評価も高い。だが、登場しているキャラクターはむしろ、『一般人』である。普通、一般人というのはブッダとは離れたところにいる。ブッダとは『悟りを開いた者』という意味で、よくある間違いが、『釈迦』と混合させることだ。

 

その人の名はゴータマ・シッダールタ。釈迦とは、彼が釈迦一族の王子ということでついている尊称のようなものである。だが本当の尊称は『ブッダ』であり、つまりブッダというのは彼以外にも大勢いるのである。

 

ブッダは真理を理解し、選択を間違えない。だが、そうじゃない人はどうだ。つまり、今回の彼らのような一般人は?普通に人生を生きて、自堕落に陥ってしまう本能に抗う強い人生へのモチベーションや、哲学、信念や心情がない人はどうすればいいか。

 

三大欲を筆頭に、人間の欲はひっきりなしに襲い掛かってくる。例えば、そのブッダが言ったのはこうだ。

『人の欲望というものは、たとえヒマラヤの山を黄金に変えたところで満たされることはない。』

 

そこで、『足るを知る』ことこそ、真理なのだと説いた。足るを知る者は富む。これは三教、つまり仏教、道教、儒教すべてで教えていることだ。真理に逆らわずに生きると、人も含めてすべての森羅万象が、『スムーズになる』という不思議な現象がある。

 

 

例えば、宇宙の森羅万象は、諸行無常である。諸行無常の意味は、『移り変わっていくもの』。

 

時間は流れ、宇宙はうごめき、命の火は消え、物質は分かれる。風は吹き荒れ、大地は鳴り響き、海は揺らいで、炎は燃え盛る。

 

ただ一つとして固定されているものがない。これが事実なのだ。こうした真理に逆らわず、受け入れ、それに則って生きることで、人は苦しみや悩みから解放されたりする。その真理が分からない。それが一般人というものである。だから彼らは選択を間違える。欲のコントロールの仕方も分からない。どこまで制御し、何を強く主張し、どんな生き方をすればいいかが分からない。

 

自分というハードでは未熟だ。だから人は宗教というソフトに頼ろうとする。だが、釈迦自体が『本来人に宗教も信仰も必要ない』と言っているように、ハードたる本人が内省的な人生を送れば、結果はついてくる。

 

 

これはゲーテの言葉である。東洋人だけが内省を勧めているのではない。しかし、内省ができるのはごく少数である。ほとんどの人は後始末、つまり、反省を強いられる人生を送る。

 

今回の登場人物も皆、そういう後始末に追われる人生を送る。これらの解読は、今見たように素人向けではない。だが、極めて素人的である。素人だからこそ、人生をどうしていいか、分からないのだ。

 

 

皆が目を向けているところは同じところなのだ。だが、そこに向かっていこうとする道のりが異なっている。そうなると、『夫婦』や『家族』は成り立たない。そこに向かって、同じ道を、足並み揃えて、共に歩んでいくのがその人間関係だからだ。

 

ニーチェは言った。

 

その会話はしかし、同じ道の上で同じ机の上で、同じ椅子に座って行うべきだ。違う道からでも遠距離会話はできるが、脆い人間の心は、それでは寄り添えない。

 

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