ポスター画像出典:『Amazon』
戦場記者メリー・コルヴィンを描いた実話映画。私はもし寿命が2000年あったら『世界一周』ではなく、『地球の隅々を見て回る』ことをしたいと考えている。だが、そこに『戦場』や『危険地帯』、『深海』などは含まれていない。命あっての物種なので、その他にもやりたいことがたくさんあるのでそういう発想にはならない。単純に、『先端』や『崖の上』で恐怖心を覚える自己防衛本能と同じだ。
もし無通症であれば無敵だと思うかもしれないが、人体の限界があるので、その感覚や恐怖心こそが自分の命を守るセキュリティソフトとなっている。ゆえに、戦場カメラマンや、戦場にあえて赴き現実を伝えるジャーナリストの考え方には興味がある。本当に彼女らのような存在は必要なのか。それ以外に現地の事を理解する手立てはないのか。もしかしたら自己満足ではないのか。それで自分の人生に背徳感がおさまるだけで、効率を考えたらあまり合理的ではないのではないだろうか。
様々な考えが頭をめぐる。私のようなタイプは、本当にこういう人達の活動で『世界が変わる』という変化が起きるのであればこれらの行為はとても尊いと考えることができる。この辺りが不透明だから、あまりそういう人になる人がいないのではないだろうか。全ての人は救えない。一つの戦場に命がけで行って取材に成功しても、世界にはまだまだ違う戦場があり、もっと言えば戦場だけがこの世の混沌の地ではないのだ。
世界平和の為にわかりやすくテコ入れするべき場所が戦場なのは分かるが、例えばコロナ問題でひっ迫する医療現場然り、テコ入れするべき場所はいくらでもある。人間が世界平和を実現させるために必要なのは『起きてからの報告』や『後始末』ではなく、『起きる前の対策』であり『前始末』だ。だが、もちろん活動の否定などしていない。とても難しい決断をした勇者だと伝わってくる。とにかく、人が命をかけた姿を見て、何も思わない人間はいない。多くの事を考えてしまうのだ。