ポスター画像出典:『映画.com』
『新約聖書』の著者の1人である使徒パウロの生涯を描いた作品だから、歴史的にも貴重なワンシーンだ。時は紀元67年、ローマ皇帝ネロによるキリスト教徒迫害が行われているローマが舞台である。このネロの姿は『クォ・ヴァディス』でも見ることができるが、視点が違うため『ベン・ハー』などと併せて観たい。
マメルティヌスの牢獄に捕えられて処刑を待つパウロの姿とその生涯を、監獄の看守マウリティウス、医者のルカの目を通して描く。このルカという人物だけでも、20億人のクリスチャン、そしてキリスト教を学ぶすべての専門家から注目されることになる。
レザー・アスランの著書『『イエス・キリストは実在したのか?(Zealot the life and times of jesus of nazareth)』にはこうある。
ルカの書いている話の中で正しいのは一つだけだ。ユダヤが公式にローマの一州になったのは、ヘロデ大王の死後10年目の紀元六年で、この年にシリア州総督キリニウスが、ルカの言う様な『ローマの全領土』ではなく、ユダヤ、サマリア、イドマヤの全住民と土地、奴隷のすべてについて登録を行わせたことである。これには、イエスの家族が死んでいたガリラヤ地方は含まれていない(ルカのもう一つの間違いは、キリニウスの行った住民登録年代である紀元六年を、イエスの誕生年としていることである。多くの学者たちは、イエスの誕生は『マタイによる福音書』に記されている紀元前四年頃としている)。
(中略)ルカの描いた幼少期の物語を理解するうえで重要なのは、当時、まだローマの支配下で生きていた彼の物語の読者たちが、ルカのキリニウスの住民登録の説明は事実として正しくないことを知っていたと思われることである。実際の出来事から一世代ちょっとあとにこれを書いているルカ自身が、自分の書いていることは厳密に言うと不正確であることを知っていた。現代の福音書の読者には容易に合点がいかないであろうが、ルカはベツレヘムでのイエスの誕生物語が歴史的事実と解釈されることをまったく意図していなかった。
ルカは、現代世界の私達が言う様な『歴史』という概念を持っていなかったのかもしれない。歴史とは、注意深く分析すれば、客観的にも、実証的にも、分析可能な過去の出来事であるという概念は、現代社会の産物である。歴史とは、『事実』を暴露することではなく、『真実』を明らかにすることだと思っていた福音書記者たちにとって、それはまったく異質の概念だったであろう。
神話と現実を区別していなかった福音書
『ルカの福音書』の読者は、古代世界の多くの人がそうであったように、神話と現実を厳密に区別せず、この二つは彼らの宗教的体験の中で緊密に絡み合っていた。つまり、彼らにとっては実際に何が起こったかということよりも、それが何を意味するかということの方に関心があったのである。
非常に興味深い内容だ。また、『キリスト教』を作ったのはイエスの弟子のパウロだ。だがパウロは生きているイエスに会ったことは一度もない。さて、パウロとルカという重要人物の裏情報を知ったところで、この映画を見てみよう。