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『パーフェクトストーム』 レビュー(感想)と考察

『パーフェクトストーム』

ポスター画像出典:『Amazon

 

 

1997年にセバスチャン・ユンガーが実話を元に執筆したノンフィクション小説『パーフェクトストーム -史上最悪の暴風に消えた漁船の運命』の映画化作品。『パーフェクト・ストーム』は、1991年秋の大嵐で行方不明になったアンドレア・ゲイル号を巡る人々を描いた書籍である。1991年のマサチューセッツ州であったメカジキ漁船の話だ。船乗りというのは彼らだけじゃなく、常に危険と共にある。『海の近く』に住んでいるというだけで危険だということは、東日本大震災を経験している日本人なら誰もが知っていることだろう。

 

大勢の実在した人の命が関与しているだけあって当然見応えがあり、教訓性が高いが、あと一歩名作にならない理由としては、ここに『一線を超えたフィクション』が演出されているからだろう。例えば、イエス・キリストがよみがえったという事実は誰も分からない。だが、よみがえったと信じているのがクリスチャンであり、しかしそれ以外の人々にはそれは首をかしげるしかないわけだ。

 

今回も、同じようなことが描かれている。誰も確認できないはずなのに、展開されている人間ドラマがある。それが、もし本当のことなら感動を抑えられないのだが、そればかりは分からないわけだ。それは例えば9.11の映画『ナインイレヴン 運命を分けた日』と同じことが言える。あの映画でも実在したあのテロを背景に、あったであろう事件を元に描かれるが、あのドラマがあったかどうかは定かではない。

 

あのドラマもこのドラマも『もし本当であれば感動する』のだが、これは同じように考えた演出家が作り出した、『もしこういうことがあればきっと皆は感動する話』に過ぎないのではないだろうか。もしそうなら拍子抜けである。それならいっそ、『マンオブスティール』のケビンコスナーのように、最初から完全にフィクションと分かっていた方が感動することができる。同じ海の話で、ケビンコスナーなら『守護神』もそうだ。

 

だが確かに、蓋然性はある。要は、分かっている部分は彼らの性格なわけだ。それは、生き残った家族や友人たちに聞けば見えてくる事実である。例えば『赤い服が好きだった男』が、その日も赤い服を着ていたことが想像できるように、ある程度の性格がわかっていればその人がその時、どういう行動に出るかということは想像できる。

 

『彼ならきっとこう言っただろう』

 

ということで、ある程度の蓋然性ある言動は予測できるわけだ。だがやはり、それだけでは世界を騙すことはできない。この映画が『タイタニック』を超えられないのは、タイタニックが沈没した船よりも、その上で起きた儚いラブロマンスに重点を置いているからであり、この映画はタイトルからしても、この天災に重点を置いてしまっているから、どうしても『リアリティ』を求めてしまい、そこに意図的な何かがあれば、違和感を覚えてしまうのだ。

 

同じ天災を土台にした映画なのに、『タイタニック』はラブロマンスに見え、『パーフェクトストーム』からは捏造された事実の印象が拭えないのは不思議なところである。