ポスター画像出典:『ヤフー映画』
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』のマーゴットロビーが製作も主演も務めるが、それが逆に引いてしまう要素になっている。つまり、(え?こういうのが作りたかったの?)となるわけだ。主体的に選んでしまうと、反応的と違って言い訳が効かない。監督になるともっとその要素が出てしまうわけだ。だが逆にそれは諸刃の剣で、ハマった時は世界中から大絶賛される。監督の人格そのものさえ称賛される。
だがその逆もまた然りだ。これを観ると彼女は、『こういう魔性の女的なキャラで、無知な男をたぶらかす役』がはまっていると自分で思っているのであれば、それは思い上がりであるということになってしまう。
『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は、あくまでも彼女がやむを得ずその役をやっていたように見えたから魅力的に見えたが、とにかく主体性とはそういうものだ。いつもとは違う目で見られる。
コロナ問題もあるだろうが、売り上げが3千万円程度という問題外の結果に終わっているし、彼女以外のスタッフが、監督から製作総指揮に至るまですべて無名の人物であるということも影響しているのか、B級ギリギリの内容になっている。だが、もちろんそこまでにはならない。だが、彼女がこの役を演じるのはまだ早いか、あるいは演じるべきではない役だったと言えるだろう。
初監督作品ということで、自分がお金を出していた場合、『無名の人しか雇えなかった』とか、テストとして、ということもあるだろう。試行錯誤することはいいことだ。何もしない人よりはるかにいい。