『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
ポスター画像出典:『ヤフー映画』
ルイーザ・メイ・オルコットが1868年に発表した小説『若草物語』を原作としている。やはりそれだけ前に生まれて今なお名作としてたたえられているだけあって、それを描けばそれもまた名作となる。女性からの支持を多く集める映画だが、それだけ女性よりだと、逆に男性よりである。子供が生まれた時、それが娘であれば、そこに女性がいる。また、結婚したなら相手となる女性がいる。男は女と一緒にこの世界を生きているのだ。
だとしたら、『妊娠・出産・育児』に関する話もそうだが、女性専門のようなそういう話は、男も一緒に考えるべきである。したがって、『男性にこそ読んでほしい!』とか、『世の男は全員知るべき!』といった女性の声をよく聞くだろう。
その言い回しは私にとっては鬱陶しい。私は私で押しつけが嫌いだから、見るなら自分の意思で見るタイプだ。だが女性たちがそう言うのは理由があって、『それまでの間強いられた時間があった』からだ。邪険にされ、理解されなかった。だから共感できる内容に触れた時、(ようやく理解者が現れた!)と喜び、その感情が爆発して漏れる形で、そういう言い方になる。
この男女の差異を作ったのはもちろん人間だが、『世の男』や『世の女』というよりは、先人たちが作った風潮の方に原因があるだろう。
小学校では着替えも同じ部屋でしていたが、そのうちすぐに区別されるようになり、異性を意識するようになる。そこで壁ができるからそれを乗り越えたいという衝動が生まれ、恋愛が生まれたりするわけだが、子供のころは壁がないのに、『途中から生まれる』この人間世界の風潮が、男女の差異を強くしてしまっている。
だが、実際にこうした映画や、女性向けのような恋愛映画を真剣に見てみると、意外に男にも教訓性があって見応えがある。映画に女性ファンも大勢いるのは、女性が主人公の映画もたくさんあるから、というのが理由の一つだ。ぜひ映画を観て、公明正大で俯瞰的な視野を磨きたい。