監督のグザヴィエ・ドランという人物は、説明がないが『わたしはロランス』、『トムアットザファーム』や今回のように、性別不合について描いた作品と常に密接している。『ある少年の告白』は監督ではないが、役者として出演している。性別不合を差別するつもりはないし、人としてするべきではない感じも、風潮も、両方ある。だが、彼の映画には抵抗を覚えるのが本音である。
それはなぜだろうか。『強引な正当化』に反応しているのか。『ロマンチックな男性同士の恋愛』に、抵抗してしまっているのか。私のような人間はもう、死んだ方がいいのか。新しい時代を生きる人々は、性別不合を完全に受け入れて、人間の世界はこれから先、もっともっと変化していくのだろうか。それは、『進化』なのだろうか。