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『ジャッジ・ドレッド』 レビュー(感想)と考察

『ジャッジ・ドレッド』

ポスター画像出典:『Amazon

 

西暦2139年。核戦争後の人類に残された「メガシティ・ワン」は、秩序が乱れた犯罪都市と化していた。そこで政府は街の秩序を立て直すために究極の法システムを導入する。それは「ジャッジ」といわれるエリート集団である。彼らは逮捕した犯罪者をその場で裁判、判決、刑執行を行える権限を持っていた。その集団の頂点に立つ男が、人々から恐れられている「ジャッジ・ドレッド」であった。

 

この説明を今改めて確認すると、クリスチャンベールの『リベリオン』とそっくりなのだが、あの作品ほどの衝撃はなかった。全く同じシナリオなのに印象が劇的に違う理由は、恐らくこの映画で主人公が『妙に格好つけている』からだろう。『エクスペンダブルズ』に出るような消耗品キャラクターたちは、『あの時代、俺達はそうやって生きてきた』という主張が込められている。

 

だから、時代的にこれが普通のことだったのだろう。スタローンが目立って格好いいことが軸になっているから、一種のヒーローもののようになってしまい、それがどこかB級的な流れを生んでしまう。

 

『リベリオン』が凄いのは、恐らく製作陣も全員無意識で、偶然ひっかけてしまったのだが、『圧倒的な外圧』と『7つの習慣』でも有名な『インサイド・アウト』(自分の環境は自分で作る発想)が、人間にどれだけ必要なのかという人間にとって極めて重要な人生哲学に触れていることだ。