言わずと知れたウォルト・ディズニー(1901年12月5日 – 1966年12月15日)のドキュメンタリー映画で、4部に分かれているがそのすべてに教訓性があり、あっという間に時間が終わってしまう。
まず彼の『エネルギー源』だ。原動力とも言えるその源はなにか。
これがその原動力だ。人間は(何かを成し遂げたい)という強い意志がなければ動けない。車も船も飛行機も、(あの目的地へ行きたい)という人の意思があってはじめてそこに移動するし、その為の燃料やエネルギーを確保し準備を始める。
ウィリアム・ジェームズは言った。
一番最初の『心』を設定することこそが、すべてのはじまりなのだ。まずこれが極めて大きな教訓となる。これをないがしろにして、(ふーん)と飛ばして次へ行こうとする人間は、彼から何も得ることはできないからもうこれ以上読まないでいい。『豚に真珠』だ。
だが、この映画をわざわざ観るような人にはそんな人はいないだろう。子供はディズニーのアニメを観る。これを観るのは大人だ。大人が子供と同じレベルの心構えのわけがない。
映画黎明期の1920年代、ディズニーはチャップリンに憧れ、映画を作りたいと思う。常に超一流を目指し、自分より上を恐れなかったという。
と様々な話題作を作り上げる。
『オズワルド』での経験を生かして、その後『著作権』を強く意識するようになる。だがそんな彼らも大企業病とも言える症状を患ったようだ。合理的で創造性がなく、工場のような『死んだ会社』だ。そして、
の時期にストライキが起こる。この時代、共産思想が流行したこともあり、ディズニーはこの背後に共産主義がいる、あるいはこの運動自体が共産思想であるとして、彼は共産嫌いになる。
彼が共産嫌いだったニクソン大統領を支援していたことは有名で、真実は分からないが、稀代の映画師スタンリー・キューブリックの名作『フルメタル・ジャケット』では、最後にアメリカ兵がベトナムで『ミッキーマウス・マーチ』を歌うシーンがある。
ベトナム戦争を遂行したニクソンの背後には、我らがディズニーもいるよ。
そういうメッセージだったのかもしれない。
思い通りにならずにディズニーは『汽車作り』に専念しはじめ、会社経営から遠ざかる。子供のように家の庭に汽車を作ってはしゃぐ彼の姿は、その共産主義への強い抵抗の件からも狂人のようにも見えた。
だが、その活動があの世界的エンターテインメントに結びつく。『ディズニーランド』である。
自他ともに認める世界一のエンターテインメント企業を創り上げたウォルト・ディズニーには『偏り』も見えたが、それは言わば『武器の特徴』だ。武器とは斧、剣、弓矢、槍など、様々な種類があって、ある剣使いは『槍など使っていられない』と揶揄する。
ユングが言ったように、
ということだった。
彼が共産嫌いで、ベトナム戦争のバックアップをしてお金を出したなら、ベトナム戦争で死んだ死者たちの責任は彼にもある。だがあの時代は、あのダライ・ラマ14世でさえその思想に振り回されたのだ。フランス革命にも似た人間全体の思想の転換期のような時代の中で、しかし彼の第一希望は『世界の人々をエンタメで幸せにする』ことだった。
それはディズニーアニメを観れば伝わってくるだろう。何か偏った思想を押し付けることはなく、様々な世界の童話をカスタマイズして作品化するも、そこにその地の宗教色は出さない。今でも多くの人々がディズニーの作った世界を愛する。そこだけは、嘘偽りない事実なのだ。『国の為に戦わないといけない戦争』が2回もあって、3回目のベトナム戦争でも同じように国の為に戦ったなら、彼もまた世界大戦の被害者の一人なのだ。戦争を知らない人が彼らの気持ちを分かるわけがないのだ。
これは余談だが、第一次世界大戦の時の同じ衛生隊にはマクドナルドの創業者として知られるレイ・クロックもいたという。1902年生まれの彼はディズニーの1つ下だ。戦争というものは人間の根源に何かとてつもないものを生み出すのかもしれない。
また、ワンピース作者、尾田栄一郎の家にも汽車がある。