映画はシベリアのグラグを逃れ自由を求めてインドまで4,000マイルを歩いたとするポーランド人のスラヴォミール・ラウイッツの The Long Walkが原作である。やはり、実話が関係しているだけあって見応えがある。
観る前に、wikipediaの説明ページを見ておくといいだろう。
1939年、ポーランドは国土をナチス・ドイツとソビエト連邦に分割占領された。ポーランド人兵士ヤヌシュ (ジム・スタージェス) は、ソ連占領下地域にてスパイ容疑で逮捕され、ソ連の将校 (ザハリー・バハロフ) に尋問されるが、罪を認めることはしなかった。ヤヌシュは20年の懲役を宣告され、妻 (サリー・エドワーズ) をポーランドに残して、1940年にスターリン体制下のソ連の強制労働収容所へ送られる。
シベリアの収容所での過酷な環境で囚人が次々と死んでいくのを目にしたヤヌシュに、収容所に長くいるロシア人俳優カバロフ (マーク・ストロング) が脱獄話を持ちかける。同じく収容所生活が長いアメリカ人技師ミスター・スミス (エド・ハリス) からはカバロフの話を本気にしないよう言われるが、本気なら付いていくとも言われる。
この程度の内容を事前に把握しておけばかなり状況整理が容易になり内容に入り込めるだろう。
彼らが歩いた道のりは想像を絶する厳しさだった。その気の遠くなる物理的な距離の時点でもう凡人は耐えられない。更に、脱走という常に存在するプレッシャー、そして、氷点下のバイカル湖に、モンゴルや中国にあるゴビ砂漠やヒマラヤ山脈といった危険すぎるエリア。
想像を絶するとはこのことである。だが、彼らは『生命』だ。むろん我々もそうだが、生命というのは『生き残る』為に燃やす執念がすごい。
作家、五木寛之氏の著書『大河の一滴』にある、この一文を見てどう思うかだ。
あるシベリア帰りの先輩が、私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。
『冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這い寄ってくるのを感じると、思わず心が弾んだものだった。それは隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからねシラミは人が死にかけると、体温のある方へ一斉に移動するんだ明日の朝はこの仲間の着ている物をいただけるなとシラミたちを歓迎する気持ちになったものだった。あいだに寝ている男が死ぬと、両隣の仲間にその死人の持ち物、靴や下着や腹巻や手袋なんかを分け合う権利があったからね。』
こうした内容は、同じ強制収容所経験者の名著『夜と霧』でも見ることができる。彼らは朝会話を交わしていた仲間が死体として山に積み上げられるのを横目で確認しながら、生きる為にスープをすすらなくてはならなかった。
人間は生きる為に何でもやる。いや、『生命』だ。我々生命は、生きる執念を燃やす。それは繋ぐためなのか。全ての人間が『繋ぐ』ことに執念深いようには見えない。だが、心底の部分で、人間という枠を超えた『生命』のレベルで我々は、彼らのような人生を目の当たりにして、感じるものがあるのだ。