ポスター画像出典:『ヤフー映画』
アメリカには『アメリカンジョーク』の文化があり、『スタンドアップコメディ』が一種の文化となっていることからも、魅力的な人間が持ち合わせていなくてはいけない一つの要素に『ユニークさ』がある。それは日本にももちろんある。だから芸人という立ち位置は、萩本欽一、ビートたけし、明石家さんまに、ドリフターズ、そしてダウンタウンやとんねるずたちの強い貢献もあって、現在は確固たるものになっている。
だが、アメリカ人からすれば『日本人はなぜいつも暗い顔をして真顔なんだ』と言うわけだ。ということは、日本よりもうんと幅広く、冗談や軽口を言う文化が根付いていて、それはむしろ強迫神経症に近い。
それが強く浮き彫りになったのが、2022年4月の米アカデミー賞で起きた『ウィル・スミス事件』である。あの時日本人の多くは妻を侮辱されて腹を立てたウィル・スミスの援護をしたが、アメリカではジョークを言ったクリスロックの方を援護する声が多かった。あの件の是非はさておき、どちらにせよ世界で論争を巻き起こしてしまうほど、アメリカ人は少し『特殊な要素』を背負った人々だと言えるだろう。
例えばジムキャリーがウィル・スミスを強く非難したわけだが、彼は『マン・オン・ザ・ムーン』でスタンドアップコメディの天才として生きたアンディ・カウフマンを演じたこともあるし、コメディ王とも呼ばれる立場だからそう行動したかもしれないが、それは『Mr.ビーン』のローワン・アトキンソンのこの言葉を『曲解』して『援用』したものである。
これは『何もかもジョークにしていいんだ。だからネタにする僕らを非難するのではなく、戦争やテロをやめたら?』という意味が込められているのであり、『人を傷つけてもジョークを言っていい』のではない。
『俺たちニュースキャスター』のように、コメディ俳優で固められたがっつりコメディ映画なら分かるが、アンハサウェイのような一流の俳優もこういう映画に出るとなると、アメリカ全体が『何らかの強迫観念』を強いられているように見えるときがある。
高倉健は決して出ないわけだ。その辺りのところに違いがあり、このような映画を通して様々なことを考えるのである。海外の評論家の評価も「今年最も楽しめる映画の一つ」とか「驚くほど酷い映画」とか、評価が分かれている。私はとにかく内容を全く覚えていないが、その程度の映画である。