『ある貴婦人の肖像』
ポスター画像出典:『Amazon』
貴族の恋愛映画なので、私は苦手なほうだ。好きな人は好きだろう。他にも私はホラーやゾンビが嫌いだし、逆にそういうものは好きな人はがっつり好きなので、こればかりは趣味としかいいようがない。
せっかくだから、この名作を通して私が貴族の恋愛映画が嫌いな理由を考えてみよう。私は窮屈なのが嫌いなのだ。貴族の恋愛は、どこか窮屈である。まず服装からしてそうだ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』では、キーラナイトレイがまずその窮屈な服装について文句を言うところから始まるが、私は仕事でも、スーツにネクタイというスタイルが嫌いなタイプであり、常に私服で行っていて、夏などは裸であることもある。
それから、礼儀作法や体裁を気にしているなど、貴族の排他的な区別思考も嫌いだ。差別に近いものを感じる。自分たちだけが上級国民であり、その他の身分の人とは格が違うというのも腹が立つ。
実は、私の実家の隣人は、検索すれば名前が出てくるくらいの資産家で、軽く5億円はするであろう大豪邸に住んでいた。だが、生まれてこのかた、一度もこの住民と話をしたことがないのだ。軽い挨拶があった程度。そして、節々でうちも含めた『その他の家庭』を侮辱するような発言をしている。『私は元々医者の娘です』だのなんだの。そして、大きな松の木が庭にあるのだが、その落ち葉が民法に違反して、我が家の庭に落ちてきていた。これは、訴えれば枝を切り落とすこともできるのだ。
とにかく私は、こういう身分の人間も、生き方も、彼らが大事にしている『粗末なもの』が嫌いなのだ。何のあこがれもない。憧れるべきではないのだ。彼らはただ偶然、お金を持っているだけだからだ。偉いのは創業者たちや、先祖だけだ。
ただ、この映画で少し面白いのは、夫に従属するだけの古風な結婚を嫌うニコールキッドマンが演じるイザベルが、自由を求める女というところである。自由の為には、一生独身でも構わないと言う。そして、莫大な遺産にも執着をしない人間がいたりして、そういうところは見応えがある。それは『粗末なもの』ではない。私が言うそれは人間の傲慢や強欲であり、排他的な思想だ。
だが、それを助長させる財産に執着しない様は、人としてとても高潔であり、それは決して粗末なものではない。