『尼僧物語』
これが実話というのは今調べて初めて知った。だとするとこの映画は更にすごい。オードリー・ヘプバーンは好きだが、『麗しのサブリナ』は苦手だし、彼女のことをえこひいきすることはない。そして、尼僧(にそう)という尼さんの話、2時間半という長さ。1959年の古い映画など、様々な眉間にしわを寄せる要素が、少し私の態度を斜めにしていく。だが、観終わった後私はこの映画を『名作』として位置付けた。そして今調べて更に実話だと知り、その価値がまた一段階上がったのである。
父の死後、僧職を捨ててナチに対抗することを決意した当時のベルギー及びベルギー領コンゴで看護師をつとめる実在のマリー=ルイーズ・アベ(シスター・ルーク)の半生を、オードリーヘップバーンが演じているのだ。こんなにも私に近いレベルで自分に厳しくする精神世界を描いた映画に出逢えるとは思っていなかった。まるで『空海』や『禅 ZEN』で、空海や道元を見ているのと同じだった。
私は無宗教だが、恵まれた環境があったおかげで『内観』という自分の心と一週間向き合って座禅を組む修業をしていたり、剣道、ボクシング、会社経営など、多くの『自分に厳しくする』ツールと向き合い、例えば8000の名言と向き合って内省するなどして、こうして文章を書いてきた。
世の人が、『お坊さんじゃないんだから』とか、『修行僧やん』と、軽々しく口にすることがあるだろう。私はそういう時、彼らとは完全に違う温度で、『そりゃそうだろ、その通りだよ』と断言するような人間である。その『温度差』を覚えてしまうような人は、この映画の価値を見抜くことはできない。一度人生を深く潜った人間は、そうしてこの世界にあまり差別的な目を持たなくなってくる。
例えば『エネルギー不変の法則』だ。ロマン・ロランは言った。
宇宙を成り立たせているエネルギーの総量は、形を変えても一定、という法則である。例えば、木を切り倒して薪にして燃え盛る火にくべると、もともとあった木という存在のエネルギーは、熱エネルギーと気体になったエネルギーに換えられるだけで、『エネルギーの総和』は変わらない。
ロマンロランの言葉の意味が見えてくるようになる。だから例えば、『ドラゴンボール』でベジータが『自分の無力さと情けなさ』にキレて超サイヤ人になった話と、『尼僧物語』の話に関連性があることも見えてくる。
『漫画やん』とか、『中二病がすぎる』という言葉を軽々しく口にするような人間は『私以上の”半可通”』である。彼女の気持ちが分かるか。彼女ほど自分に厳しい人生を送っているか。彼女だけではない。そうして愛と理性の道を突き進むすべての探究者に、敬意を持ちたい。