ここでは名作だと運営者が感じる映画を年代ごとでランキングし、掲載しています。
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放射線の研究で1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した偉人、マリ・キュリーことキュリー夫人を描いた映画ということで、貴重な作品だ。専門的な会話がいくつも出てくるが、天才の会話を見ているようで見ていて楽しい。
1946年、戦後すぐの映画としては、展開が読めずに見応えがある。現代人が見ればもちろんチープさが目立つし、クオリティは低い。だが、それはクリエイティブな部分の話で、内容、そして作品で訴えるメッセージそのものは、普遍的かつ不変的である。これは間違いなく時代を飛び越えて生き続ける映画と言っていいだろう。
何しろ1949年の映画だ。70年も前の映画に現代人を喜ばせる要素はそうは多くない。通用するとしたら有名なBGM、そしてこの舞台となる第二次世界大戦後の米英仏ソによる四分割統治下にあったオーストリアの首都ウィーンという時代背景である。
1944年の映画にしてはかなりよくできていると言える作品だ。ここまで古いと正直何もかもが低クオリティに見えてしまうが、そういうことを考えてもなかなか見応えのある映画である。
戦前の米国映画は、「ボーイ・ミーツ・ガール」という典型的な法則に支配されていたという。つまり、一人の青年が一人の少女に会い、恋に落ちる。そこへごたごたが起きて二人の仲はピンチになるが、その危機は克服され、二人はめでたく結ばれる。というハッピーエンドである。
『奥さまは魔女』の魔女には、どこかキュートな印象がないだろうか。『うる星やつら』とは、浮気者の高校生・諸星あたると、彼を愛する一途な宇宙人美少女・ラムちゃんを軸に描かれる物語だが、魔女や宇宙人といった恐ろしげな存在も、『人間の男性を一途に愛する』という健気なポテンシャルを持っていて、かつ容姿が人間の好みの範囲内に収まる場合、なぜか許せてしまうものである。
やっとのことで仕事を得た失業労働者が、仕事に必要な自転車を盗まれてしまい、息子とローマの街を歩き回って自転車を探すだけの話だ。だが、ドキュメンタリー的撮影手法を用いて戦後の貧困にあえぐ当時のイタリア社会をリアルに映し出しているということなので、その歴史的シーンだけで貴重だ。
何しろ1949年の映画だ。70年も前の映画に現代人を喜ばせる要素はそうは多くない。通用するとしたら有名なBGM、そしてこの舞台となる第二次世界大戦後の米英仏ソによる四分割統治下にあったオーストリアの首都ウィーンという時代背景である。
これはもちろん翻訳された日本語だが、これで『誰がために(たがために)』と読むわけだ。だが、現代人が『たが』などと言うだろうか。『だれ』としか言わない。したがって、こういうグローバリズムを無視したガラパゴス的な邦題をつけた作品にはすべて『古臭い』先入観が漂ってしまうのが事実だ。
1944年から1946年にかけて制作されたソ連映画で、“イワン雷帝”ことイヴァン4世の生涯を描いた作品。古すぎるから、それが玉に瑕だ。内容がスターリンの気に触れたので上映禁止となったりと様々な問題があるが、彼の存在は歴史の専門書にもロシアの歴史として必ず大きく出てくるほどなので、もっと後になってゆっくりと映像化してほしいものだ。
英国映画協会が10年ごとに選出するオールタイム・ベストテンでは5回連続で第1位に選ばれ、AFI選出の「アメリカ映画ベスト100」でも第1位にランキングされている。現在を席巻する世界の監督もこの映画に影響を受けたという人が多く、期待値は高くなる。だが、現代人がどこまで理解できるかだ。
1940年代に上映された映画を読み順で一覧にしています。