『ラビング 愛という名前のふたり』
ポスター画像出典:『Amazon』
異人種間の結婚が違法とされていた1950年代のアメリカ合衆国バージニア州を舞台とした、白人男性と黒人女性のラビング夫妻の実話映画。この実話に深い感銘を受けたコリン・ファースが映画化を熱望、プロデューサーに名乗り出て、映画化が実現したという。
この異人種間の恋愛や結婚は、性別不合のそれよりも遥かに世界に受け入れやすい話となる。この二つは同じように、『なぜ違法扱いになるのか』と主張する人が見られるのが特徴だが、世界の多様性が当たり前だと理解していて、むしろその独自の文化にある種の憧れを抱きながら喜んでその地を観光するように、人種が違うこともあまり『異人種』としては認識していない人が多い。
全員同じ人間だと。
だが、この時代のアメリカは、同性愛者らと同じような扱いを受けていた。同性愛についても、禁止されていたイギリスでそれが発覚し、逮捕された話が、あのスティーブ・ジョブズも尊敬する男、アランチューリングの伝記映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』で見ることができる。それもちょうど1950年代の話だ。
この時代は例えば日本でも『ヒロポン』として覚せい剤が薬局で売られていたりなどしていたし、神奈川の黄金町は麻薬の巣窟と化していて、警察が近づくことも躊躇したという。それも、黒澤明の映画『天国と地獄』で見ることができる。
1958年(昭和33年)の売春防止法施行後、一旦大人しくなったが、その間隙を縫って麻薬の売買が盛んになった。
こうした世界的な背景を考えてから映画を観ると、また違う風景が見えてくるようになる。世界は戦後間もない頃ということもあったのか、今よりもうんと混沌としていたのだ。
例えば日本で言うなら、天皇のことをこうして『陛下』もつけないで呼ぶことなど言語道断だった。いまだに高齢者になると、例えばタクシーなどで天皇の話をすると黙りこみ、不機嫌になる人もいるくらいだ。『あまり天皇陛下のことを軽々しく話すべきではない』ということなのである。そのようにして、人間の心に深く食い込んだ概念は、その人間の一生を左右する。黒人を差別する人間は、差別しない人間からすれば愚の骨頂のように見えるが、彼らも彼らなりに、植え付けられた概念というものが存在するのだろう。
それは、多くの事例を見れば浮き彫りになる事実だ。今回のような話は、決して稀ではない。よく考えればわかるが、このラビング夫妻だけがターゲットにされたわけではないわけだ。『黒人全体』に対して、差別的な発想を植え付けられているのである。
その人達をまとめて集めて俯瞰視してみると、彼らもまた哀れな被害者の一人である。オギャアと生まれてすぐにそうなったわけではないのだ。彼らの生きる周辺にうずまく『呪い』とも言える色濃く穿った固定観念が、こうした複雑な人間ドラマを生みだしてしまっているのだ。