ポスター画像出典:『ヤフー映画』
100分という短めの映画で、B級だろうが一流だろうがどんな映画にも体当たりで挑み続けるドウェイン・ジョンソンの映画だから、どっちに転ぶか分からない不安があった。
だが、この映画は中々見応えのある映画だった。彼のガタイなら、それを頼りに暴れまわればそれだけでプロレスになるが、皆がプロレスを好きということはない。だから、どっちかというと『ワイルド・スピード』の方が、ジェイソン・ステイサムと一緒にそれに身を任せたので、その力づくな映画に幻滅した人もいたはずだ。
だがこの映画は、ただの力任せではない。その軸もあるが、しかし彼は『厳選』してその力をふるう。いや、ワイスピでももちろん戦う相手は悪党なのだが、またそれとは意味が違う。
この場合、『厳選』するのだ。その言葉に意味がある。そして、その圧倒的な暴力と狂気の裏には、普遍的な光も供え持つ。それゆえ、(なぜ彼はこうなってしまったのか)という同情心が生まれ、最後には哀愁を覚えるのだ。