この映画がなぜ面白いかというと、自分が好きな系統に毛色が近いからだろう。孤高に戦う男と、慣れ合わないプロフェッショナルな仕事人たちの生き様が、自分の人生とリンクするのだ。『紅の豚』が好きなのも同じ理由である。
男の人生には色々ある。家庭を持ち、妻や子供たちを支えて、更に次の子供達(孫)の土台を作る。そういう家庭の大黒柱のような生き方も立派な生き方だ。むしろ、多くの老若男女から支持されるのは、そういう生き方だろう。
だがこの世には、例えば人が目をそむけたくなるような事実と向き合い、処理しなければならない仕事もある。死体、排泄物、害虫、医療、そして戦争。それらすべての職を全うする人達が陰で支えるおかげで、我々は安穏な暮らしができているのだ。
茂木健一郎氏の著書『挑戦する脳』にはこうある。
『リヴァイアサン』の中で、ホッブズは、人間はもともと『万人の万人に対する闘争』の状態にあったとした。誰もが自らの生存を目指し、利益を図り、そのためには他人を犠牲にすることを厭わない。そのような『自然状態』は余りにも耐えがたいので、人間はそのもともと持っていた自然な権利を『政府』に譲り渡す。そのようにして形成された政府は一つの『リヴァイアサン』として自由に意思を決定し、行動するようになる。
つまり、人間には元々『リヴァイアサン』のような猛獣的なエネルギーが備わっていたが、それを野放しにすることは耐え難いと考え、政府に譲り渡し、自分の代わりに政府に『闘って』もらうようシステム化したわけだ。『自分は闘いたくないから』である。
政府に権限を委譲し、言うなれば『面倒な仕事』を押し付け『綺麗な身』でいられることを忘れてしまった人間たちは、きっとこの映画に登場する人物たちの生き方、あるいは『浪人』という武士道に生きる人間の孤高の生き様を、受け入れきれない。