『チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛』
17世紀のチューリップ・バブル時代のオランダの首都、アムステルダムを舞台に、トム・ストッパードで、モガーの小説『チューリップ熱』(原題:Tulip Fever)を脚色。モガーはフェルメールの絵画から着想を得ており、絵画の世界を小説にしようと執筆した。
この映画は2,500万ドルの予算に対し、世界での興行収入は800万ドルとなっていて大赤字なのだが、では駄作なのかというと、歴史的には非常に貴重な価値ある映画となっている。
元々これは、ジュード・ロウ、キーラ・ナイトレイ、ジム・ブロードベントが出演、ジョン・マッデンが監督、スティーヴン・スピルバーグとドリームワークスが製作を務める予定だったことを考えても、内容はスピルバーグが目を付けるほどのものだということがわかる。
まず、『世界の覇権の推移』を見てみよう。
ヨーロッパの覇権の推移
基本的に『覇権』というのは『帝国』を作って世界に幅を利かせたことが影響していて、例えばローマ帝国が幅を利かせている時、では遠い日本ではその影響があったかというと、ほとんどないわけだ。したがって、世界の覇権の推移は『ヨーロッパの覇権の推移』という形でまとめられることになる。この辺りが世界の中心として考えられ、常にエネルギーの変動が激しかったのである。
ざっと見ていったときに、ローマやイギリスなどの時代の映画はある。マケドニアもアレクサンドロス三世だし、クレオパトラもローマ時代で、『エリザベス』がスペイン、イギリス辺りの時代で、モンゴル帝国の場合はチンギス・カンの映画『モンゴル』がある。だが、オランダが覇権を取ったわずか100年足らずのこの時代の映画が存在していないのである。
上記にある様に、
急速な経済成長を遂げ、アムステルダムは世界の貿易・金融の中心地となり、スペインに代わって世界貿易をリードする『栄光の17世紀』を迎える。
これが当時のオランダの勢いだ。では一体なぜオランダが覇権を取ることができたのか。そして、なぜその覇権は長続きしなかったのか。この時あった『チューリップバブル』という事実は、映画『ウォール街(ストリート)』にも強く影響するほど、非常に教訓性の高い内容となっているのである。
経済学の巨人と言われたガルブレイスは、1636年のチューリップ狂の経験以来、 何も変わらないある法則を見極め、こう言っていた。著書『バブルの物語』にはこうある。
『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』
売れてないもの、多くの他人から評価されていないものがあるからといって、そこにあるものが粗品とは限らない。