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シュワちゃんの映画はこれ以外にも大体観ている。例えば『ラストアクションヒーロー』などは挿入歌も覚えている。『ツインズ』とか『キンダガートンコップ』とか、父親が好きだった影響で映画=シュワちゃん映画だった。そんな私がやはり彼の映画で1位にするのは『ターミネーター』となる。面白さというだけじゃなく、BGMや出で立ちも含めて圧倒的なインパクトを世界に与えた。
彼の映画は全部見たいのだが、実は出演作にはよくわからない駄作も多い。『ゴッドファーザー』の暗い雰囲気は嫌いだったのだが、成長してこの映画が『実話』に関連していることや、シチリア島からのマフィアの歴史、その錚々たるキャスト等を考えると、やはりこの映画が彼の代表作となる。そんな中、『セントオブウーマン』は違う方向で彼の実力が発揮された名作だ。
冷静沈着で冷酷無比。頭脳派のアウトローを演じさせたらぴか一である。よって、その威厳の高さから重鎮役を担うことが多い。『羊たちの沈黙』は、映画ファンに聞いたNo.1映画のアンケートで、TOP4にまで上り詰めた名作だ。ここにないのはただ私が感想文を書いていないからである。そんな彼が『ピカソ』のようなおちゃめな役を演じるのを見ると思わずにっこりしてしまう。
『プリティプリンセス』で王女様のイメージが払拭できず悩んだ時期があるというが、『プラダ』や『マイ・インターン』などヒット作が多い。『魔女がいっぱい』自体は子供向けの映画だったが、彼女の魔女は怪演大成功と言える。彼女の魔女を見るだけが目的でこの映画を観てもいいくらいだ。
年齢を重ねるごとに価値が下がってしまっている印象がある。ブラピとの結婚生活の状況も影響しているだろう。そうして冷静に考えると、彼女が最も活き活きとしていた時期の映画が最も活躍著しい。だから『マレフィセント』で盛り返したときは少し嬉しかった。ニコラス・ケイジ然り、こちらは堕ちて欲しくなどないのだ。
彼は英語のほかにスペイン語、デンマーク語、フランス語、イタリア語などが流暢に話せ、スウェーデン語、ノルウェー語にも堪能であるという才能を持っている。そんな彼の才能は映画でいかんなく発揮されては・・いない。渋い作品が多いと言えるだろう。あるいは、映画というエンタメが『英語世界のもの』なのか。『はじまりへの旅』は驚いた。私も世界から見て稀な生き方をしているのだが、そんな私に近い価値観を持っている人間がきちんと存在しているかもしれないことをこの映画で確認でき、嬉しかった。
『17歳のカルテ』で初めて彼女を見た時は、(こんな美女いたの?)と思った。ということは、彼女はこれ以降の作品であまり有名になっていないということだった。だが、容姿も演技力も何も問題はない。ナタリー・ポートマンと同じ類だ。ジョディ・フォスターの『告発の行方』やシャーリーズ・セロンの『モンスター』のように女優魂を見せない限り、美女は『元美女』というレッテルを貼られてしまう。『青い珊瑚礁』のブルック・シールズのように、単なる美女だけなら大勢いる。
タレントパワーが強い彼だが、実は作品で見てみるとそこまで名作という名作はない。『MIB』ももうずいぶん前のことだ。だが『アラジン』のように、ハマり役に出逢えれば観客を大満足させることができる実力を持っている。『7つの贈り物』も『幸せのちから』も脚本がいいだけで、別に彼じゃなければだめというところまではいっていない。その意味では『ALI』は名作と言える。これに低評価をつける人はこの映画がスポーツ映画だと思っている人だろう。モハメド・アリという人物は歴史的にも重要な人物なのである。
彼女の場合、『スパイダーマン』のキルスティン・ダンスト、『ダークナイト』のマギー・ジレンホールのように『マン・オブ・スティール』も彼女なしではありえないというキャスティングではないため、まだ評価が固まらない。だがなぜか彼女に期待している自分がいるので、これからまだまだ活躍してほしい。
『インクレディブル・ハルク』の流れでのハルク役で『アベンジャーズ』に出演しなかったことから、彼に妙な違和感がまとっているがそんなことはない。彼の演技力は筋金入りであり、そう判断した後に調べてみると、やはり専門家からの評価も高い。二面性があるキャラクターを演じさせればぴか一なので今後はそれ自体がネタバレになりがちだが、たとえわかっていても上位3つの役は見事にこなしている。そのうちもっとハマり役に出逢えるはずだ。
『ラ・ラ・ランド』で終わらず『クルエラ』を見事に自身の代表作に引き上げた。『女王陛下のお気に入り』のような立ち回りもできるし、『ヘルプ』もまた違った役で遜色ない。美女ぶりはマーゴット・ロビーの方が知名度を上げたが、年齢が近く容姿も少し似ている両者であれば、実力でのし上がっていくのは彼女になるかもしれない。今のところは一歩リードだ。
『ハリーポッター』がないが、あれは実は作品としてもあまり評価が高くない。世界にヒットする要素を持っていた事実は存在するが、どちらかというと『ロードオブザリング』の方が面白い。だが、子供時代の彼女はこの作品でキュートだし、他の作品とは比較できない良さがある。ただ、彼女が活き活きと躍動しているのは『ウォールフラワー』と言えるだろう。単純に、あのダンスがユニークで面白い。容姿がトップクラスで才色兼備なので王道のディズニー映画がハマり、逆に『リグレッション』や『ザ・サークル』のような尖った作品は彼女を『飲んで』しまっている印象がある。そう考えると彼女はタレントパワーで勝負というより、『世界に馴染む』ことに長けているのかもしれない。子役時代の名残だろうか。
エマ・ワトソンが王道で勝負した方がいい中、彼女は尖ったマイノリティ派の役を多く演じている。クロエ・グレース・モレッツも同じだ。だから1位には彼女のタレントパワーというよりも『衝撃的な脚本』という作品力の効果が働いている作品が来ている。まだ若い彼女らのこうした幅広い努力が基礎になり、いずれ大きな花を咲かせる可能性がある。ただ彼女は『マレフィセント』での王女役もハマっているので、まだまだ王道もいける。
『プラダを着た悪魔』で脇役を務めるが、妙に気になる脇役を演じてみせた。そういうことは中々できないはずだ。そこから4年後『ウルフマン』では妖艶な美女を演じ切り、『クワイエットプレイス』では見事に自身の代表作を演じ切ってみせた。『ガール・オン・ザ・トレイン』はジョニー・デップの『シークレット・ウィンドウ』のようだ。タレントが脚本のミステリーに飲まれていく様子を描く。ジャック・ニコルソンの『シャイニング』もそうだが、そうした演技もできる。だが、私のツボなのは1位の作品だ。
『ティファニー』での『ムーンリバー』は、彼女のために作られた曲だという。他の誰でもない、彼女以外の人が歌うことは想定されていない。そして見事にそれがハマっている。何の情報もなくこの映画を観れたのは幸運だった。あの曲が流れた時は時間が止まった感覚を覚えた。そしてすごいのは『尼僧物語』である。これはガチ中のガチの映画であり、多くの票は集めないだろう。だが、これは『実話』であり、その彼女の壮絶な人生を想像すると、敬意を抱かないわけにはいかない。また、彼女はミュージカル映画にも長けていて、『暗くなるまで待って』のような演技もできる。その恵まれた容姿にかまけなかった彼女は、称賛に値する偉人と言えるだろう。
『復讐の十字架』や『ケープタウン』、『アンロック』や『スマートチェイス』もそうだが、これらの共通点は『パイレーツと対極の役柄』である。上位3つの役は彼に見事にハマっているのだ。だが、それは年を取るとできなくなる。誰もがそういう悩みを抱える時期が来る。彼はもう十分に映画界に爪痕を残して体力も付けたが、今後まだまだ活躍していくためにはこの壁を突破できるかが問われている。
監督で選ぶことはほとんどない私だが、両手で数えられるくらいには好きな監督がいる。それは、『気付けば彼の監督映画だった』という作品ばかりだ。彼の映画は『エニイギブンサンデー』以外はほぼ面白い映画だと言っていい。その映画はフットボールが好きじゃないと低評価をつけるだろう。プーチンとのドキュメンタリー映画では、2022年のウクライナ侵攻を予見するかのようなロシアの気迫と狂気を映し出すことに成功していて、意味深で価値がある作品に仕上がっている。また、キューブリックの『博士の異常な愛情』を一緒に鑑賞する貴重な映像も観れる。
美女は若いうちは『王道美少女』でいいが、そのあとに困ってしまう現象が起きる。そんな中、彼女は幅広い作品に出て、その役を見事にこなしているように見える。(変なのに出ちゃったね・・)という感想を抱かないのだ。(こんなこともできるか!)という感想を抱くのである。『危険なメソッド』は(ここまでやるか!)という女優魂を感じることができるし、『ドミノ』のようなクールな役も演じられる。貴族衣装が似合うので、年を重ねてもまだまだ役には困らないかもしれない。
『地球が静止する日』が上位にある理由は、この記事が存在するからだ。人間にとってあまりにも見事なシーンが存在するのである。また、幅広い役を演じているからその価値を落としがちではあるが、『脇役もできる』ことや『真面目さ』のアピールに成功していて、彼の株は上がる一方だ。つまり、カメレオン俳優のように器用な真似ができなくても、率先して苦手なことに挑戦しているようにみえる様子が、好印象なのである。
『それでも夜は明ける』はエマ・ワトソンのフェイバリットムービーだという。その他の作品を考えても、彼にあるのは実力であり、間違いなく演技派の俳優と言える。よって、彼が役に困ることはないだろう。ただ、同じ黒人俳優ということで言えば、『アメリカン・ギャングスター』でデンゼル・ワシントンと共演したとき、そのあまりの存在感にキウェテル・イジョフォーの存在感が薄まっていた事実はすごい。デンゼル・ワシントンの偉大さがわかるわけだ。ただ、デンゼルができない演技を彼がしてくれる印象である。
たけし作品を観た時の最初の印象は、(この人ただのすけべじじいじゃないんだ)だった。だが、私が成長し、彼のことが理解っていくたびに彼の奥深さが見えてきた。『テレビは日本人をかなりダメにしたと思うね。でも大衆をダメにするものしか、多分儲からないんだ。』彼はわざと浅薄な人だったのだ。そして実は、映画には彼の実態の片鱗がにじみ出ていた。ただの浅薄な人間では到底描けない世界を描いていたからだ。彼は『命』というより『死』をテーマにすることが多く、それは突然やってくるはずだと考えていた。そのメッセージはそのまま啓蒙となり、また、だからこそ『命』が輝いて見えるという『哀愁』を教えてくれた。哀愁は、直接こちらに働きかけるというよりは、『後に残る』ものだ。
ロマンティック・コメディの女王と言えるほどの立場にいたのが彼女だが、2014年の『ANNIE/アニー』を最後に引退に近い状態となっている。2022年に復帰する話が流れているが、実態は結婚と育児に集中したいという考えがあったようだ。器用だからいろいろな役がこなせるだろうし『悪の法則』のような悪女路線でも全然いける。ここで終わってもいいし、まだ活躍も期待できるタレントパワーの強い女優だ。
タランティーノ作品は正直意味不明だから毛嫌いしていた。カットや展開、演出が独特だから物語が整理しきれず、何が起こっているか分からないわけだ。だが、こちらも経験値を積み重ねてくると分かるようになってくる。そういうちょっと癖の強い監督だ。分かるようになったからといって、別に彼の映画が最高だと感じることはないが、エンタメ性は高いので娯楽には向いている。『ワンハリ』のように実話を彼独特の演出で描けばもっと面白い映画ができそうな印象を覚えた。だが彼は元々1長編映画を十作撮って映画監督を引退すると公言していて、監督第十作目は映画『スタートレック』になるという話だが、テリー・ギリアムと同じで肩すかしもありそうだ。
最も次回作が気になる映画監督と言えば彼ということになる。『TENET』は賛否両論だったが、それだけ映画界が盛り上がった。タレントパワーならぬ監督パワーを持つ数少ない監督である。彼が『バットマン』を『闇の騎士』に仕立て上げ、クリスチャン・ベールがその期待を超えるプロフェッショナルを演じ、それに呼応する形でヒース・レジャーが史上最狂のジョーカーを演じた。
監督と俳優とで同じだけ活躍しているのは彼しかいない。根っからの映画人と言えるだろう。『ダーティハリー』時代の影響で『背が高いハンサム』の路線にしがみついている印象がある作品も多いが、上位にある作品はそういう肩書や印象に固執せず新境地を切り拓いていて、無様さが一切感じられない。年齢的にも、『グラン・トリノ』を超える作品は出ないだろう。
『真実を描く』監督としてメル・ギブソンに並んで人の目を集める人物である。そして後者に比べて圧倒的にキャリアが長いので彼を超える人物が現れるかは疑問である。両者には『ショッキングで衝撃的だが真実』という要素を描く共通点がある。それはそのままエンタメになると分かっているからだ。彼の映画が観れなくなるのは残念である。
『タイタニック』の時に虐待まがいの容姿への侮辱を受けたらしいが、残酷だが、世界のニーズというものが存在する。例えば彼女とて、『顔が吹き出物だらけで左右非対称の人』と比べた時、選ばれるわけだ。多様性は認められるべきだし、タイプは人それぞれだが、『世界のニーズ』もまた同じように、独立して存在する。『ただ痩せればいい』だけなら、『整形をしろ』と言われるよりもマシだ。暗に『君は世界に通用する美女だ』と言っているのだから。『マシニスト』のような例もある。終わった後はいくらでも太ってもいいわけだ。黒澤明は雨が降るまで絶対撮影しないし、キューブリックも2秒のシーンに150回以上撮り直す。宮崎駿も2秒のシーンに2年かけた。
『エリザベス』や『ロードオブザリング』等の威厳のある女性としての積み重ねで、『マイティソー』に出演したときはすでに完成されていた。だが、『あるスキャンダルの覚え書き』のような大人しめの可憐なタイプの女性も見事に演じていて、彼女の強気な演技が苦手な人も、他の作品を観れば魅了されることがあるだろう。その意味で、もっと幅広い役を演じてほしいものだ。
『レオン』の彼は異彩を放っている。そしてシド・ヴィシャスの奇天烈ぶりも見事に演じ切っている。眼鏡をかけた理性的なおじさんの印象しかない人もいるだろうが、彼の演技力は折り紙付きである。したがって、『チャイルド44』のような映画にも出演できる。そして『チャーチル』という大役を見事に演じ切ったのだ。最も好印象なのは『ダークナイト』のゴードン刑事だろう。
彼の演技力は折り紙つきなのだが、唯一引っかかるのは『歩き方』だ。どんな映画でもケヴィン・ベーコンになってしまっている。例えば、『レールズ&タイズ』での彼は決してモデルでも俳優でもないただのおじさんなのに、歩き方がそれになっている。それはあり得ないことだ。『狼の死刑宣告』でも、途中までは文句なしだが、急に銃の使い方がプロ級になってしまう。こういう粗っぽさはいかにもアメリカ人らしいと言えばそうだが、カメレオン俳優になるためには黒澤明やキューブリックをも唸らせる俳優にならなければならない。
彼の場合『ファンダンゴ』や『追い詰められて』、あるいは『さよならゲーム』のような路線ではなく、後に固まってくる『メンター的指導者』の役がハマっている。それは振り返れば『ボディガード』、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』、『アンタッチャブル』でもにじみ出ていた要素だった。どこか仙人のように卓越していて、超越的である。無私の心を持っていて、私利私欲に流されない強い心を持っている。だが前者はそうではなく、その欲望らに振り回される役だ。『守護神』が最も彼のその部分の良さがわかる映画と言えるだろう。『マンオブスティール』の父親役もシビれる。
キアヌ・リーヴス同様にクールな役が多く、むしろシリアスな役以外はこなせないように見える彼だが、『モネ・ゲーム』で逆にその印象を利用して巧みな笑いを演出している。『キングスマン』もその意外性があってこそのものだが、やはり彼にはシリアスな役がとてもよく似合う。それは往々にして追い詰められていたりするわけだ。そういうとき人はユーモアを忘れて緊張し、真面目になる。その意味ではジョディ・フォスターに似ているかもしれない。地味に見えるはずなのに彼の映画は全部観たいと思わせるのだからすごい。
彼の出演作はもっと多いはずで、意識して観ているわけではなく、モーガン・フリーマンほどではないが、名作に彼が出演していることが多いのである。その意味で、彼が主演の『チェンジング・レーン』はすごい。これは恐らく、キャスト、スタッフともに、いやむしろ鑑賞者の9割9分を含めても、真価を理解していないだろう。偶然、超越的な要素を描いてしまった作品である。私はちょうど、『このテーマ』を記事にしていたから『見えた』だけだ。
『スピード』で共演したキアヌ・リーヴスとの仲がとても微笑ましいものだという。美しさで言えば、『プラクティカルマジック』の彼女が絶頂と言えるだろう。だが『絶頂』というのはいささか浅薄な言い回しである。人間は死ぬまでそれを迎えないのだから。一つのポイントに過ぎない。容姿も実力も伴った彼女が『ゼログラビティ』や『オーシャンズ8』でで久々に超大作を演じてくれて嬉しかった。『完全犯罪クラブ』が実話だと後で知って驚いた。実はかなりのキレ者で、ある作品で超絶級のギャラの交渉に成功している。かつ震災時に日本に寄付してくれているなど、博愛精神にも満ちている。
まだまだこれからという彼女だが、実は『つぐない』の時に13歳で映画デビューしているのでベテランの域にいる。ただ、まだまだ超ヒット作がないという意味でこれからの役者だ。かと思えば『レディバード』のような評論家から100点の評価を得るような作品で主演も務める。『つぐない』や『フーディーニ』で若い時期に活躍していて、美貌を保ったまま活躍し続けている貴重な役者だ。『ハンナ』という意味不明な作品は除外しているが、それもすべていい経験になるだろう。まだ『美しさが崩れていない』ので、その壁が来た時にどうするかも注目される。
名優だが、なぜか超一流俳優にはなれない謎の負のオーラがまとわりついている。それは彼の異様な表情が原因だろうか。それを利用して、『ナイトクローラー』のような狂気的な役はハマっている。『ゾディアック』や『プリズナーズ』でも刑事として、狂気に触れることで疲れた役をこなす。『ドニーダーコ』、『サウスポー』、『ボストンストロング』、『ジャーヘッド』もすべて狂気と隣り合わせとなる。その意味で『ライフ』の方向の狂気と触れた時は、新境地を観た気がした。今のところ作品力という意味で、『マイブラザー』が1位だ。これも狂気と隣り合わせの役だ。
元々飛び込み選手だった彼は体力があり、ドウェイン・ジョンソンと同じような路線で『体当たり』敵にいろいろな役にチャレンジしている様子が見える。だからこの二人の共通点として、B級スレスレの映画にも多く出演しているということがある。セガールのように『完璧な武道家』という役がハマり、ヒットマンの役が多く、やはり『トランスポーター』が彼の代表作と言えるだろう。
タイカップと同じような壮絶な過去がある彼女だが、アン・ハサウェイ同様役の行き詰まりに悩む。「セクシーなブロンド役」ばかり求められたのだ。それを『モンスター』のような演技で壁を見事に打ち破るのだからすごい。私は彼女のような人が本当の役者に見える。足を切断しようとした松田優作もそうだし、1年車椅子で生活したトムクルーズもそうだが、役のために真剣になる人は、やはり役者が演技をする映画の世界では、輝いて見える。私がクリスチャン・ベールが好きなのもそれが理由だ。
彼には怪演を期待するのだが、意外に怪演ムービーがそう多くはない。名作『カッコー』でも別に怪演という演技はない。ではなぜそうしてしまうのかというと、『シャイニング』や『ディパーテッド』や『バットマン』らで彼が活き活きと怪演している印象があまりにも強いからだ。それだけに、もう二度と彼の演技が観られないというのは残念だ。ちなみに、『シャイニング』の映画の象徴ともいえる「叩き割ったドアの裂け目から顔を出した彼の狂気に満ちた表情」を撮るためにキューブリックはわずか2秒程度のシーンを2週間かけ、190以上のテイクを費やしたという。
コメディっぽい印象もある彼女だが、名作を考えると上位にはシリアスな映画ばかりが並ぶ。笑顔が印象的なはずなのにそうなるということは、彼女の根が真面目なのだろう。だから作品数も多いしヒット作も多い。『シークレットアイズ』はそんな彼女に、大女優ニコール・キッドマン、そしてキウェテル・イジョホーという演技派が加わって織り成す、見ごたえのある一作となっている。
『妹の恋人』が彼女の美貌の絶頂期、と言うのはあまりにも残酷だ。だが、例えば日本人ウケ、アフリカ人ウケというカテゴリーがある中で、やはりその考え方が一つ存在するのだ。『暗殺者』の彼女もまだ若々しくていい。だがそのうちやはり容姿に変化が起きてくる。ディカプリオが王子様路線から、いかつい路線に変わっていったのと同じだ。それがどうというわけではなく、まぎれもない事実なのだ。その意味で、『ベル・カント』の彼女は少し背伸びしてしまっている。どんな人間にも個性があり長所がある。それを生かし切れるかどうかが問われる。
彼女はスタイルが抜群なのだが、武器があるなら売れるためにいかんなく発揮していくべきだ。マリリン・モンローもエリザベス・テイラーもスタイルに恵まれていた。もっとも、マリリンの場合はそれで向けられる目に耐えられないという悩みがあったようだが、人目を浴びてお金を払ってもらうというのはそういうことだ。割り切った人間の勝ち。ただ、私が評価する映画は別に彼女のスタイルには一切関係がない。『ジョイ』の教訓性はとても高い。価値のある映画だ。『マザー!』は赤ちゃんの扱いが私は嫌いだったが、攻める姿勢は嫌いではない。ガンガン攻めていい。
『オーシャンズシリーズ』の作品力が高すぎる。ブラピもマットデイモンもこれに関与するタレントの名作にはすべて上位にこれがある。「歴代最高のセクシースター50人」で1位になったり、その類の賞を総なめにするほどのタレントパワーを持っている彼だが、圧倒的な地位を築いたからなのか後半はかなり社会派の映画が多くなっている。コーエン兄弟作品のような頭を使う映画も多い。だが分かりやすさで言えばやはり『ゼログラビティ』のマットがあまりにも粋で『泣ける』レベルの男気を魅せてくれている。
『カリートの道』での怪演がすごい。当時の各上だった俳優たちに引けを取らない演技として、『俺たちは天使じゃない』も同じように評価が高い。また、『カジュアリティーズ』や『ミスティックリバー』での狂気じみた役もハマっているから、ミッキー・コーエン役の『LAギャング』もハマっているわけだ。その狂気がマイケル・ダグラスとの『ゲーム』の読めない展開にも貢献している。だが、大外ししているケースもあるので、彼はあまり権力を持たない方がいいかもしれない。権力の中でそれを打ち砕こうとする破天荒な役がハマっているからだ。
『追い詰められた人』をやらせたらぴか一だ。彼女曰く『それでも愛してる』がキャリア史上最高の作品と言うが、天才らしい意見かもしれない。もちろんこれは名作だったが、彼女の立ち回りがキャリア史上最高という風には見えなかった。天才は独特の視点と意見を持っているものだ。他に流されない。ただ彼女も人間で、カミングアウトするときは笑顔が引きつっているように見えたので、人一倍内向的な面も持っているかもしれない。だが役者としてはそうした要素がすべて演技の糧になるはず。『ブレイブワン』は映画史上で考えても名作中の名作。例えば、この先どれほど年月が経とうが、この問題に関して答えを明言できる人が現れることはないからだ。
彼の映画はすべて観ていると言っていいだろう。それくらいタレントパワーがある人だ。役者としての魅力がある。私は『ブレイブ』の彼の哀愁がとても好きだし、『ワンメキ』で目がつぶれた後の伝説の立ち回りは、衝撃的だった。ティムバートンの世界は特に好きではない。これだけの映画に出ていて、あれだけ資産を築いているからストイックさを忘れるかもしれないが、ぜひ彼にはもっと映画で活躍してほしい。
知名度はあまりないが見たことがある顔。それがジョン・キューザックその人である。特段ハンサムというわけではないので注目を浴びづらいが、いぶし銀の演技が光る。ただ、まだ超名作というものはないと言えるだろう。このまま終わるか、あるいは最後までにもう一皮むけるか。それで彼が今後埋もれてしまうかどうかが決まってしまう。
ニコラス・ケイジ同様彼の名声は転落気味だが、演技力だけをニュートラルに見る私からすれば二人とも間違いなく演技力があるタレントである。いつでも超一流の最前線で復帰できる実力を持っている。キアヌ・リーヴスが『47RONIN』のような駄作に出たり、いくつもの駄作に出たあとに『ジョン・ウィック』のようなヒット作に出るように、彼らも役者を続けるなら必ずまた映画界を大きく盛り上げるプレーをしてくれるだろう。
スタローンは残念ながらもう時代遅れだ。『エクスペンダブルズ』で自分を『ランボー』の流れでの『消耗品』と自虐するのはいいが、ジェット・リーの扱いと主演の自分の扱いに差がありすぎる。そういう差別的な発想はもう時代遅れ。女にモテて自分が最後に勝ち残るという『棚上げ方式』は見ていて無様だ。だが、『彼の時代』までさかのぼってみると『ランボー』も『コブラ』も確かに彼は輝いている。『刑事ジョー』のように、その頑迷な彼が打ち砕かれる役の方がキュートで愛着がわくし、好感が持てる。イーストウッドも『ダーティハリー』の余韻に浸っていたが、彼と同じ領域に達したとき、また一皮むけるかもしれない。
『ジョジョラビット』が最高だった理由には、彼女のキュートさも大きく関係している。また『LUCY』はわかる人にしかわからない映画で、『1+1=2ではない』という言葉と、『なぜそのセリフが出てくるか』を考えないと、この映画の価値はわからない。『ブーリン家』も名作だし、『真珠』とかそっちのおしとやかな方向もできる。もちろん『ブラックウィドウ』のクールな役もハマっている。
『キューブリック作品を語る映画通』が妙に胡散臭く見えた時期があったのだが、それはただ私がキューブリック作品を知らなかっただけだった。鬼才とは彼のことである。『時計じかけのオレンジ』、『アイズワイドシャット』を観た時に特にそう感じた。今、ああいう展開を描ける人はいないだろう。時代もあるかもしれないが、だとしてもその時代その時代で、範囲の中での奇天烈なプレイはできる。黒澤明とも文通で認め合っていたというが、ディテールまでこだわる彼の芸術的なアプローチは、時代を超えて通用する結果となった。
スティーヴン・キングは人間心理を描写させたら右に出る者はいない。例えば『キャリー』などがそうだ。『グリーンマイル』や『ミスト』も、フィクションなのになぜかノンフィクションだと錯覚してしまう作りこまれた世界がある。後者で言えば『宗教の起因』のような描写などがそうだ。ディテールが細かい。ホラーやSFが多い印象だが、サスペンスやミステリーもある。『ミザリー』や『ショーシャンクの空に』などがそうだ。だがやはり『スタンドバイミー』の総合力は頭一つ抜きんでている。
『BTTF』は製作総指揮だが、この作品が関与している以上これは1位の座を譲らない。だが、『AI』といい、『ミュンヘン』といい、彼が関わる映画はどこか必ず名作の気配が漂っている。間違いなく超一流監督の一人である。そんな監督が尊敬していたのが黒澤明なのだから、日本人はものづくりに自信を持っていい。映画はまだ弱いかもしれないが、ゲームも車も、世界に通用する市場はいくつもある。
『パピヨン』が頭3つ抜きんでていて、次に『大脱走』があり、あとはほぼ同列というところだ。カーチェイスなど歴史的な名シーンはあるかもしれないが、現代で通用はしない。逆に通用するのが上位2作品である。特に前者は、久しぶりに私の想像を超えてくる内容だった。しかもしれが実話なのだからすごい。私は映画の内容をよく自分に置き換えて考えるが、ちょっと考えただけでは彼と同じ人生を歩む決断はできなかった。ほぼ『地獄のふちを歩いた』と言っても過言ではない壮絶な人生がここにある。
スティーブ・マックイーンが『パピヨン』が頭3つ抜きんでていて、次に『大脱走』があり、あとはほぼ同列という感じだが、ダスティン・ホフマンの場合も同じようにまず『パピヨン』がある。だが頭1つくらいで、彼の場合は他にも名作が多い。『レニー・ブルース』の迫力はすごいし、『トッツィー』のような演技もできる。『マラソンマン』は妙な魅力があるし、『卒業』のラストシーンは歴史的名シーンとなった。脇を固める役としてもモーガン・フリーマンほどではないが似合っているし、彼がいると安心するのはひとえに彼の演技力があるからだろう。
『ノータイムトゥダイ』が公開される数年前、あれだけ『もううんざりだ』と言っていたのに、コントのようなオチをみせたのは笑ったが、『財産を子供に残さない』と発言しているのは好感が持てる。だが彼はまだ作品パワーがある映画でしかハネてない印象があるので、まだまだこれからが期待だ。『ミュンヘン』も『ドラゴンタトゥー』も作品力が強い映画だ。
全作品を正直に面白いと感じるのは彼しかいない。キューブリックも黒澤明も偉大だが、面白いと感じない作品もある。完璧主義の性格が私と似ているのだろう。その中でも『ゲーム』は、かなり多くの作品を観た後半の私が観ても楽しめるエンターテインメントだった。
その他、『イコライザー』、『フィラデルフィア』、『ラストゲーム』、『フライト』も上位に入る。彼は、極めて悪い言い方をするとそれまで蔓延していた『黒人=ピエロになって媚びを売る』という図式を塗り替え、『黒人にも知的で鋭い人間がいる』というインパクトを世界に与えた。彼にかかれば『悪魔を憐れむ歌』のような私が毛ぎらうオカルト的な話も、立派なエンターテインメントになる。シドニー・ボワチエやモーガン・フリーマンも重鎮だが、彼も同じように重鎮である。
ホームレスを体験している彼だが、ハリウッドの活躍によって『最も稼いだ俳優』に選ばれたこともある。だがその体当たり的な出演態勢のせいで駄作にも多く出演している。ニコラス・ケイジと同じだ。彼も借金を返す為に『作品を選ばずに出演している』という事実が存在していた(現在は返済済みである)。多く稼ぐということはそういうことでもある。彼の作品に名作があまりないのはそのせいだ。その中で、『ファースター』は他と一線を画すシリアスな彼を観ることができ、なかなか見ごたえがある。
彼の作品に駄作がほとんどないのも、彼がスターである証拠の一つだろう。『作品を選んでいる』のだ。ディカプリオなどもそうである。ドウェイン・ジョンソンらのように作品を選ばないで数をこなす役者もいれば、彼のような役者もいる。よって、『マーヴェリック』ではその宣伝から公開時期から、かなり緻密な戦略が練られていたのがにじみ出ていた。もちろん『マミー』は酷評されたし、脇役として出ている映画もあるが、一つ一つに無駄がないところから、戦略的に映画俳優をやっているように見える。ちなみに私は『マミー』がかなり好きだった。映画館では時間が止まった感覚を覚えた。この現象は稀にしか起きない。その意味で、『コラテラル』のクラブシーンは鳥肌ものだった。映画館で見たかった。『カクテル』も『マイノリティ・リポート』も上位に来る。『ジャック・リーチャー』は『アウトロー』で終わらせた方がよかった。
いぶし銀の役が多いが実力はある。次のジェームズ・ボンドに選ばれてもおかしくはない器がある。『チャイルド44』は同じ系統のノオミ・ラパス、ゲイリー・オールドマンらと共演し、その実力をいかんなく発揮した。実力派にしかできない衝撃シーンがあるのだ。『ブラック&ホワイト』のような路線が失敗したので、『ダークナイト』、『ヴェノム』、『ウォーリアー』と個性的で硬派な役でキャリアを積み上げた今、そろそろその基礎が報われてもいい時期だ。
名作が多く、TOP10などはほとんど同列と言っていいかもしれない。人次第で、ここの順位がバラバラになるだろう。その王道はもちろんだが、『パンチライン』、『プリティリーグ』のような役もなかなか見事にこなしている。コロナに罹患したときは心配したが、大事にいたらなくてよかった。
美女ランキングをつけると必ず上位に君臨する絶世の美女。そして、美女だけじゃなく上位2作品ではちゃんと役者としての演技力も魅せてくれている。超王道映画にも出る重鎮ぶりだから、彼女が転落することはなさそうだ。だが半面、15位以下の映画の評価は著しく低いという二面性も持っている。私からしてもよくわからなかった映画だ。
観るべき映画としてリストされていたものの多くに彼女の作品があり、思わず彼女が出てくるたびに笑ってしまったほどである。だが、それもうなづけるほどの才色兼備の持ち主。『ビリーバスゲイト』、『白いカラス』のような妖艶な方向もあるが、やはり上位にある作品で演じられる王道の美女が彼女の魅力を引き出している。教訓性の高い映画も多い。また、『ウィル・スミス事件』の時には彼を会場で抱擁してあげるなど、愛に満ちた嬉しい一面を見せてくれたし、キャストからの信頼も厚いのだが、整形に手を出してしまうのが玉に瑕である。メグライアンもそれと不倫さえなければまだ一流だった。
『インディジョーンズ』よりも『ハン・ソロ』の方が上に来るほど、この役がハマっている。彼がスターウォーズで久々に登場したシーンは、久々にインディジョーンズのテーマ曲を聴いた時よりも興奮したのを覚えている。だが、それに匹敵するほどハマっているのがやはりインディジョーンズなのだ。そこに続いて『デビル』という作品がある。これはかなりの埋もれ作品ではないだろうか。IRAに絡んだ映画は『パトリオットゲーム』のシリーズでも見られるが、ブラッドピットとの絶妙な共演も、この作品を大い、かつ静かにに盛り上げている。
2019年時点でアカデミー主演男優賞を3回受賞している唯一の俳優であるダニエル・デイ=ルイスは、「『ブロークバック・マウンテン』での彼の演技は、比類なく、完璧でした」と語り、「映画の最後のあのトレーラーの場面は私が今まで見た全てのシーンのどれにも引けを取らないほど感動的でした」と述べた。『チョコレート』とこの作品は玄人から見て最高の演技だという。私は素人だから、やはり『ジョーカー』の怪演が忘れられない。これを超える怪演はあるのか。それが映画界の一つの鬼門となるだろう。
誠実さがにじみ出ている彼は、間違いなくジェントルマンの名にふさわしい。だから上位には王道の役がある。また、その王道があるからこそ『プリズナーズ』のような役もハマっている。あれは彼が誠実だということを知っているからこそ、観ていて苦しいのだ。その他にも、『ソードフィッシュ』、『ニューヨークの恋人』、『ヴァンヘルシング』、『ナイトミュージアム』、『ウルヴァリン』、『リアルスティール』等と作品があるが、『ウルヴァリン』は『サムライ』のスピンオフが出たほど代表作となった。
彼自身も『ファイトクラブ』の時の鍛え抜かれた肉体は理想だという。だからあれをキープできているわけではないのだ。体型維持はとても難しい。彼自身、ケビンコスナーの『追い詰められて』がデビューだが、その後目立った作品と言えば『テルマルイーズ』である。その時も『鍛えた体を持った若い男性』という役だったから、まずはその路線で攻めたのだろう。『トロイ』も負けないほどすごい肉体である。上位10作品はすべて名作で、『ジョーブラック』のようなファンタジー恋愛映画が上位にあるのは私の中ではかなりレアなケースである。やはり『12モンキーズ』の怪演はすごい。ああいうエンタメ性の高いシリアスな怪演が観たいのだ。
途中から彼の演技に納得がいかなくなったのだが、彼が失語症だと告白してリタイアし、合点がいった気がした。仕方のない事情を抱えていたのかもしれない。超名作で主演を務めた彼だが、『ストーリーオブラブ』、『サロゲート』、『ジャッカル』といった映画にも注目したい。これは中々の名作である。奥が深い。
『緻密な計算をする潔癖症』という印象がある彼で、マイケル・ファスベンダーともある程度被るが、その印象を生かして上位4作品はすべて名作となっている。『ドクターストレンジ』はハマり役で、スタークとの軋轢で心配したが、それすらも演出だったことを『エンドゲーム』で思い知る。エジソン役を彼がやるとわかったときは嬉しかったのを覚えている。
映画ファンのイケメンランキングでディカプリオを制してNo.1に輝いたこともある、亡きリヴァーフェニックスの弟である彼だが、兄弟揃って名優なのも珍しい。彼は、『根暗で執念深い男』という印象があるが、そうして基礎を育てて、ついに『ジョーカー』という役に出逢った。彼自身、同世代のクリスチャン・ベールやレオナルド・ディカプリオらと比較されてさんざん苦しんだろうが、しかしそれらや兄の存在が彼の生きるバネになり、『兄弟そろって名優』という結果を導いている。
私は別に監督で映画を選んだことはないので、監督がこの枠に入っているということは(この映画面白いな)と感じて後で調べたら同じ監督だった、というケースだ。こうして並べてみるともうどれもが名作である。マーベル映画が嫌いなのは彼やタランティーノなど何人もいるようだが、それらの共通点は確かに『演出で面白い映画を作る』ことを意識しているということである。マーベルはその意味では楽をしている。だが嫉妬もあるだろう。別に鑑賞者は差別などしていない。面白い映画に反応しているだけだ。
『傲慢で頑迷なアメリカ人』をやらせたら彼だ。だから印象は悪い。私が嫌いなタイプだからだ。だが、そのうちそれが演技力だということを知る。『ブラックレイン』などはそのスパイスがあるからこそ作品が完成しているし、『ウォール街』、『ダイヤルM』、『危険な情事』もすべてその基礎があってこその『崩し』である。その意味で、『ゲーム』は彼にとってのどストライク映画となった。『崩れていく』ということは、元があってのことだ。彼のように頑なで固まっていなければ完成しないのである。
ベネディクト・カンバーバッチと同じで『緻密な計算をする潔癖症』という印象がある。更にそこに『完璧主義でエリート』という印象も乗る。だが、彼と違ってマイケルは『追い込まれた人』、『ストイックな人』という印象も持っている。『ジョブズ』、『悪の法則』、『ハンガー』、『シェイム』などがそうだ。その意味で、そのすべての要素を併せ持っているマグニートーが彼にピタリとハマっている。
プライベートを見ても基本はおちゃらけていて、日本人ウケはあまりしない。アメリカ人にはウケる。陽気で常に冗談を言い、ナンパなイメージは、いかにもアメリカ人というところだ。アメリカではむしろ「最もセクシーな男性」とか「最もセクシーな独身男性」に選ばれている。だが、『追憶の森』のような演技もできるし、演技となると別人格を魅せることができる。私が上位にしている映画はすべて彼がシリアスな演技をしているものばかりだが、『インターステラー』は映画どころか人間界に残る貴重な『資料』となった。
ジェイソンボーンは彼の印象を決める最高の当たり役と言える。ジェームズボンドをやるにはまだダンディさが足りないが、逆にダニエルクレイグではボーンはできなかっただろう。『ボーンレガシー』も派生していかなかった。意外にも彼の映画は地味な役が多いので、上位にあるものは皆彼の能力がいかんなく発揮されているものばかりだ。ただ、その基本があるからこそ『リプリー』のような作品が成り立った。
彼女はフランス語がベースだから少し鑑賞前に抵抗があるのだが、なぜか見入ってしまうのは彼女の演技が本物だからだろう。『サンドラの週末』などは素人からすれば意味不明のテーマだが、専門家からの評価は高い。逆にこのような役を演じるのは難しいというわけだ。『世界でいちばん』に関しては超越してしまっている。この映画を理解できるという人は、同じく超越している。したがって、多くの支持は集められないだろう。皆がこの域に達しているなら、この世界はこのような形になっていない。
彼の映画はまだすべて観ていないが、観ている中ではこうなる。『七人の侍』がいいと言う人は、よほど高齢か、字幕付きで観る外国人か、リマスター版か何かを見た人か、エセ映画ファンか何かだろう。『マグニフィセント・セブン』の方がはるかに見やすい。そう。見づらいし、聞き取りづらいし、分かりづらいのだ。だがもちろん相対的に考えれば彼の立ち回りはわかるのでこの位置になる。だが『用心棒』の方がよほどわかりやすい。単純に『蜘蛛巣城』で本物の矢を受けたことに敬意を示したい。
彼女が『プルーフ』でラッセルクロウと不倫し、整形に失敗し、『インザカット』で路線変更を失敗し、『ゴースト/ニューヨークの幻』、『プリティ・ウーマン』、『誘う女』、『羊たちの沈黙』等の数本の名作出演を断っていなければ、まだ彼女をスクリーンで観ることもあったし、『マーヴェリック』で彼女を観たのかもしれない。だがまあ、ここまで名作を残すことができれば成功したと言えるだろう。他の99%の役者は埋もれてしまうのだから。ロマンティック・コメディの女王は間違いなく彼女だった。
彼の監督する映画も面白いものばかりだ。だからクリントイーストウッドの後を継いで両者で活躍する重鎮になってほしい。『マーヴェリック』、『キックオーバー』、『ハートオブウーマン』、『陰謀のセオリー』などを観ればわかるが、彼はとても器用で『稼げる人』なのだということが伝わってくる。エンタメがわかっているし、100やるべきシーンで『120』やろうとするのが伝わってくる。例えば、物まねタレントは前者どまりだ。だが本人は台本をなぞるだけじゃなく、その次にいこうとする。彼の演技というのはそういう、物まねタレントでも、台本思考止まりのマニュアル人間でもなく、余裕と主体性がある、エンターテインメントである。
『内向的でクールなナイスガイ』と言えば彼だ。アメリカ人には珍しいタイプなので、彼独特の路線を切り開いている。『タイタンズ』などの過去作品でそれが目立つわけではないので、途中で何かがあったのだろう。ほとんどが無口で、寡黙な男を演じていて、北野作品にも出てきそうなキャラクターを演じる。『ドライヴ』などは傾向が似ている。『ラースとその彼女』は名作だ。このような作品に真剣に取り組める考え方がすばらしい。小僧やそこらでは、これを浅はかに笑い飛ばすことくらいしかできないだろう。
つい最近までの情報では『プルーフ・オブ・ライフ』で共演したメグライアンとの不倫騒動の後にデニスクエイドと別居し、2001年7月16日に離婚していて、デニス曰く『ラッセルは役者としては素晴らしいが人間としてはクズだ』と言われていたが、今確認したら離婚したのは自身のクロウとの交際が原因ではなく、デニス・クエイドの浮気だった、という項目が追加されている。彼の迫真の演技は魅力的なのでこうした余計な問題でつぶれて欲しくないものだ。ケヴィン・スペイシーなどがいい例である。
彼を初めて観たのは『アンノウン』だったが、よく考えたら『スターウォーズ』に出ていた。子供の時は役者などどうでもよかったから覚えていなかったのだ。だがアンノウンが非常に面白くて、続いて『96時間』、『フライト・ゲーム』、『ラン・オールナイト』などがすべて面白かったので、名優だったのだと気づく。『シンドラーのリスト』の存在も知らなったのだ。名作出演が多い。だが彼が堂々と主演で躍動しているのは『マイケル・コリンズ』だと言えるだろう。その影響もあって、IRA関連の話に彼が出てくるだけで説得力がある。
若くして世を去ると伝説になる。誰かがそう言ったが、それも確かに一理ある。シド・ヴィシャス、ヒース・レジャー、尾崎豊、hide、リヴァー・フェニックス。キリストも坂本龍馬も、33歳やそこらで世を去っている。彼は映画ファンが選ぶイケメンNo.1でディカプリオを抑えて1位になったほどの美男子だが、出演作に名作という名作はあまりない。ジェームズ・ディーンとほぼおなじ23歳で世を去ったのだから仕方がない。逆にその若さでこれだけの作品に出ているのだからすごい。『インディジョーンズ』にも出ている。まだまだこれからだっただろう。彼はキアヌ・リーヴスと親友だった。弟、ホアキンにとって彼はどんな人物だっただろうか。
彼をハリソン・フォードと間違えてしまっていた時期があった。系統が似ているダンディな俳優なのだが、なんといっても『プリティウーマン』の印象が強いだろう。そして『愛と青春の旅立ち』という名作も持っている。『HACHI』はリメイクだから私が注目したいのは、『ハンティングパーティ』や『キングオブマンハッタン』だ。このあたりの映画で彼の引き出しが目に見える。もっと活躍してもいい俳優だ。
『ドラゴンタトゥー』の続編を彼女にしない理由がわからない。あれはあれで全然いいのだが、それだけハマり役だったし、最後の哀愁のシーンを含めて完璧だったというのに。だが、そこはデヴィッド・フィンチャーということか。彼の作品には『2』という類はないから、宮崎駿同様、そこで終わるから完成するという美学があるのかもしれない。
可憐で華奢というよりエネルギッシュで元気な女性の印象があるので、『アバウトタイム』のようなジャケットになる。また『恋とニュースの作り方』のような作品もあるし、『パッション』のような方向もある。『きみに読む物語』の彼女も、そうした基礎があるからこその、最後の哀愁と言えるだろう。今後年を重ねてヒロインができなくなっても『スポットライト』のような方向で作品を支えるシリアスな演技で活躍し続けることも十分あり得る。
『ハムナプトラ』がヒロイン真っ盛りの時期で、少し経つと『マイブルーベリーナイツ』、『オズ』、『喜望峰』、『アバウトアボーイ』のような主婦的な立ち回りをする。どこかしっかりとした顔つきだから作品が限定されてしまいがちに見えても、『女王陛下のお気に入り』のような役でそのイメージを逆に武器にする。また、『アレクサンドリア』は彼女の代表作となった。これは頭を使って生きている人であれば誰もが軽はずみには観ることができない作品だ。いや、人の一生だ。
彼は容姿だけじゃなく演技力も兼ね備えている。宣伝も上手いから、何度か『この作品で終わり』というフレーズを聞いている。そうでもしないといけないのが広告の世界だ。その意味で、トム・クルーズと肩を並べられる数少ない名優と言えるだろう。事実『タイタニック』で一世を風靡した彼が次に何に出るか、100本以上のオファーを蹴ってまで出演を決めたのが『ザ・ビーチ』である。彼との共演を観れる日がいつか来るだろうか。ブラピの後は彼しかいない。どの作品も彼が出ていれば面白いと期待してしまう。どの映画でもすべて全く違う顔を見せるので、才能に溢れた映画界の財宝と言えるだろう。
『傲慢な金持ちの天才』とか、『頭脳派の曲者』というイメージは上位2作品の影響だろうが、ピタリハマっている。『エンドゲーム』でのストレンジとのアイコンタクトは、鳥肌ものだった。逆に、『チャーリー』の時期のようなおぼっちゃま感が出ている作品は、無理があるように見える。単純に、髭が似合うということだろうか。それでも、『愛がほほえむ時』、『オンリーユー』、『ワンモアタイム』などのコメディ調ヒューマンドラマは見事に面白いので、幅広く活躍できるだろう。『毛皮のエロス』は、これが何を題材にしているかを理解していない人が多いだろう。キューブリック作品を評価してこれを評価できないのは、目に節穴が空いている。
観ている映画で彼の映画が一番多い。それはつまり、出演作が多いということもあるが、私が彼にそれだけ期待している、信用しているということである。知らない頃は『ゴッドファーザー』の人程度のものだったが、知れば知るほど彼が名優だということを思い知る。アウトローの方向でも、シリアスな方向でも、刑事の方向でも、コメディの方向でも、どの方向でも強い。率先して老人役もたくさん出ているが、それについては嬉しさ半分、寂しさ半分である。彼という逸材が確実に老いて、去っていく日が近づいていることを知るからだ。
彼のことは監督作品で好きになった。『普通の人々』、『シビルアクション』、『モーターサイクルダイアリーズ』、(なんか雰囲気が似てるなあ)と感じる映画に彼が関与している場合が多く、彼が日本人のように内向的な面を持っていることがわかっていった。例えば『大いなる陰謀』だ。こちらに考えさせることを目的としている。彼が普段からよく物事を考えていることがわかる映画だ。
『普通の人々』はすごい。よくもまあこのテーマを映画にしたなというくらい、ちょうど我が家にピタリ当てはまる映画だった。この母親と私の母親がそっくりなのだ。だから私はこれを母親に見せて、自分を客観視してもらったほどだ。母は『確かに、こういうところがあると思う』と認めていた。派手なイベントにスポットライトを当てれば何かしらの人目を浴びる出来事がある。だが、ここにライトを当てられるのはすごい。彼はこれでアカデミー監督賞を受賞、作品もアカデミー作品賞を受賞し、ハリウッドで初めて「演技と製作の双方で地位を確立した映画人」といわれた。
私は闇と共生している。闇を隠さないのだ。だから恐れられることが多々ある。だが逆にその一面を知らない人が、見下してくる時もある。これが人間の世界だ。私は闇を抱えているように見えないだろう。共生しているのが見えるからだ。包み隠さずキレる時にはキレる。だが、いつも明るく人を笑わせている人はどうか。なぜそこまで『躍起になる』のだろうか。彼の最期は、娘のゼルダでさえ「憶測では原因を語れない」と言ったから真相はわからない。だが、デニーロと共演しても対等に渡り合っているようにしか見えない才能ある彼の俳優人生は、考えさせられるものがある。間違いなく彼は稀代の逸材だった。