『ローズの秘密の頁』
観ても観なくてもどっちでもいい映画というのは、実話映画にはそう多くはない。実話で映画化されるものは往々にして偉人や歴史的シーンを切り取っていることが多く、それは何らかのプラスな影響を鑑賞者に与える。この映画はどうかというと、実話ではないのでそれ以上の何かを鑑賞者に与えなければならない。実話じゃないからどんなふうに描いてもいいのだから、その部位を遺憾なく発揮するべきだ。
ではこの作品はどうか。批評家たちの評価は低く、
「『ローズの秘密の頁』の原作小説は高い評価を受けており、俳優たちは厳選されている。彼/彼女らの立派な努力にも拘わらず、この作品は「ページに記されたままであった方が良かった」と思わせる出来になっている。」
とのこと。確かに、観た後あまり記憶に残らない。例えば『シャッターアイランド』のようにギリギリのところまでエグって、サイコホラー的な要素にも突入することで異彩を放つことができる。だが、この映画の売りは『登場人物の不透明な実態』なのに、その不透明さを演出しきれていない。もっと、異常犯罪者ギリギリのところまで演出すれば、鑑賞者がキャラクターに興味を持つことができる。
シーソーのように、ゆらゆらと鑑賞者の疑念や思惑を揺らしながら、真相を解明するまで不透明さを楽しんでもらって全容を隠し続ける。そこに一つのエンターテインメントがあるわけだが、もう少しそのシーソー演出があれば記憶に残る映画となっただろう。