『みかんの丘』
ポスター画像出典:『Yahoo!映画』
舞台はアブハジア共和国。時代も1990年代前半で、『とうもろこしの島』と同じ状況が舞台となっている。
紛争中に、ケガをして運び込まれたチェチェン兵とジョージア兵がやってくる。チェチェンの兵は、出稼ぎで兵士をやっているようだ。だから恐らくはアブハジア共和国側の助っ人で、ジョージア兵とは敵となるわけである。彼らは宗教も違っていて、部下を殺されたり、という強い遺恨を抱えていて、一歩間違えれば殺し合いをしかねない一触即発の状況だった。
だが、中立的な立場で彼らの傷の手当てをする頑固じいさんの影響もあり、彼らはじいさんの家では殺し合わないことを約束。しかし、いつお互い爆発してもおかしくない状況が続いていく。
お互い、もう少し再会する時間や場所が違えば、殺し合っていただろう。だが、彼らが出会ったのはそういうじいさんの家だった。水と油のように絶対に交じり合うことがないように見えた彼らだが、その家で起こる出来事を通し、次第に変化が現れるようになる。私は、同じアブハジアの映画を人にすすめるなら、『とうもろこしの島』よりも断然こちらを推薦するだろう。
人間は本当は全員平等で分かり合える仲間だ。だが、この数万年という長い年月の間に大きな変化があった。人間の集団生活の規模が大きくなり、徐々に人間の暮らしにも変化が起き始める。
人間というのは動物と同レベルの知能しかなかったので、その名残がなかなか消えない。知能の発達とともに徐々に理性的になるのだが、それまでの動物のような生活をすぐに切り替えたわけではなく、時間をかけて徐々に変わっていくわけだ。この時はまだこのあたりのことについては秩序がなかったので、生まれて来るこの父親が誰かははっきりしなかった。
原始時代の狩猟採集時代の方が、狩りに出る男次第で生きていけるかどうかが決まるから、男がリーダーであるような気がするが、実際には狩猟採集社会が終わり、農耕社会になったときに、ようやく男は権力を持ち始めたようだ。だからこの当時の男性も、
- 女性
- 労働力(子供、人)
- 土地
このあたりの『力』を自分のものにしようと主張するようになった。しかしそのせいでやはり争いが生まれ、農耕社会の秩序が保つことができなくなる。ルールが必要だと解釈するようになり、徐々に秩序が作られるようになる。
- 一夫多妻
- 殺人
- 他人を傷つける
- 盗む
- 嘘をつく
こういった行為がタブーとされるようになった。国家ができ、宗教ができ、文化ができ、言語ができ、倫理や道徳やルールができていく。その根幹にあるのは『そこにいる人間たちの都合』である。しかし、人が増えてしまえばそれだけ『異質同士の衝突』が増える。我々ははじめ、戦争をして殺し合い、サバイバル的に生き残るために発展させてきたのではなく、『みんなで一緒に生きていくため』に発展させてきたのだ。
そんな人間の長い長い歴史を、このアブハジアという小さな小さな国の物語から学ぶことができる。