ポスター画像出典:『公式サイト』
現代人がこの映画に高い評価をするのは当然かもしれない。このドキュメンタリー映画のタイトルの理由は、これが彼らのチームのチーム名だからである。作中に『ラッカと検索すれば我々が出てくる』というシーンがあるが、そういう判断があるということは、このタイトルにすることで全世界の人がこの映画の普及に合わせてラッカ(シリア)の現状を知ってくれることができるからだ。ただ、原題は『City of Ghosts』なので日本人だけへの訴求だが。
この作品は衝撃的過ぎて、子供は見ない方がいいかもしれない。ドキュメンタリー映画は元々衝撃的な映像が流れるが、
という順番で危険である。当時『イスラム国』と言われたISは、困難な生活を強いられた人々が間違った方向を睨みつけ、盲信たる猛進をしてみせるテロ組織である。ムスリムである彼ら『RBSS(Raqqa is Being Slaughtered Silently、「ラッカは静かに虐殺されている」)は言う。
『ISはイスラム教ではない。宗教を欲望で悪用し、映像を使う』
この話で思い出すのはやはりニーチェの言うルサンチマンである。ニーチェは、『ルサンチマン(弱者の強者への嫉み)』の感情のせいで、人間が唯一無二の人生を台無しにすることを嘆いた。キリスト教もそうした人間のルサンチマンから始まったのだと。
自分の上に裕福な人や権力者がいて、自分たちにはこの人間関係、主従関係をどうすることもできない。だが、その人たちの上に、神がいると考えれば救いが見出せる。神がいれば必ずこの不公平な世の中を、公正に判断してくれるからだ。
そういうルサンチマンたる感情からこの世にキリスト教が生まれ、イエスを『主』として崇めるようになったのだと。このあたりの人の心の動きを押さえることで、この世界にどのようにして宗教が生まれ、そしてそれが根深く蔓延していったのかということが見えてくるようになる。
支配する者 | 来世もまた権力を維持したいと願う |
支配される者 | 来世は今よりも良い境遇であるように願う |
つまり、『キリスト教=奴隷の宗教』と解釈し、
と主張したのだ。ここで言う『弱者』は=強いられている者。貧困、圧政、外国の軍事介入、他宗教の傲慢、どんな理由かは知らないが、そうして追い込まれた人々らが『来世』なり『神』なりといった『現在の自分や人生ではないなにか』に夢を見るようになってしまい、それを盲信するが故に独自的な方向へと逸れる。そしてそうして見誤る人間たちの集合体だからこそそれを真理(正しい道)に戻そうとする『本当の意味での救世主』がおらず、逸れるだけ道を逸れてしまうのだ。
だが、それもニーチェの言う考え方に耳を傾ければ違う解決策が見えてくる。ニーチェは『ニヒリズム(虚無主義)』だと言われていて暗いイメージを連想させてしまいがちだが、実際はそうではない。ニーチェは、
『世界には君以外には歩むことのできない唯一の道がある。』
と言い、
『しかしその道がどこに行くのかを問うてはならない。ひたすら歩め。』
とも言っているが、 このようにして『唯一無二の命の尊さ』を強く主張した。この事実から考えればわかるように、彼はブッダの言う、
『天上天下唯我独尊』
の言葉の意味を理解していることになる。この言葉の真の意味は、『私以上に偉い人間はこの世に存在しない』という、釈迦の思いあがった軽率な発言ではない。
『この世に自分という存在は、たった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』
という意味なのだ。このような事実を理解している人間が、『未来に対して暗く、絶望的な人』であるわけがない。彼が『神は死んだ』と言い、『=虚無があるだけ』と言ったのは先ほども言ったように、奴隷と主人の人間関係が当たり前だったときの『呪縛』から、いい加減解放されるべきだと言いたかったのである。それは、彼が想定した、『永劫回帰』という考え方を見てもわかることである。ニーチェは、
ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒
というループを無限に繰り返す考え方を提言する。もし、前世や来世等の発想があると、人はどうしてもその『もう一つの可能性』に未来を託し、あるいは希望を抱いてしまう。それが結果として現実逃避を生み出し、『今この瞬間』の否定につながる。
きっと来世ではもっとやれるはずだ!
しかし、もし永劫回帰という考え方があれば、今この瞬間、あるがままを受け入れるしかない。今この瞬間の、この自分以外にはあり得ない。『もう一つの可能性』などない。
だとしたら、今この瞬間、これが自分の人生なんだ!
と現実を直視し、今を全力で生きるようになる。ニーチェはそのようにして、その永劫回帰であったとしても、その事実を憂うのではなく前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を意味する、『超人』であれと説いた。ニーチェが『この世に神は存在せず、人間だけが存在しているのだ』ということを強く主張したのは、こういう背景があるからなのだ。
ISの中には多くの子供たちがいる。子供たちが『ISは格好いい!』というイメージを持ち、彼らを美化してしまい、洗脳されてしまったのだ。日本人も彼らに殺されてしまった。RBSSはその活動の代償に現在進行形で彼らに命を狙われ、亡命先でもいつ死ぬかわからない綱渡りの状況を生きている。ISの支持者は世界中どこにでもいる。誰かが死んでもその根幹に共通する『殉職の美学』にも似た『神への忠誠心』がある以上、これを防ぐことは容易ではないのだ。
ただ、闇は光に勝てない。RBSSのような人が声を上げ、世界に訴えかけて仲間を集めてこの世に『光の網』を広げるなら、闇が生きずらい世界が訪れ、それが抑止力となる。闇はISに限った話ではなくこの世界から未来永劫いなくなることはない。だが、光を優位にし、闇を劣位にすることはできる。そのための彼らであり、この作品なのだ。