MOVIE RECIPE
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『MOVIE RECIPE』-映画がより楽しくなる魔法のレシピ-
- レシピ数:5
- 紹介映画:53
当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。
1.『~1900年』
1900年までのアジアを舞台にした映画を、なるべく時系列順で紹介する。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『NHKスペシャル 中国文明の謎1』
- 『NHKスペシャル 中国文明の謎2』
- 『NHKスペシャル 中国文明の謎3』
- 『孔子の教え』
- 『キングダム』
- 『始皇帝暗殺』
- 『項羽と劉邦』
- 『三国志英傑伝 関羽』
- 『レッドクリフ』
- 『三蔵法師・玄奘の旅路』
- 『ドラゴンボール』
- 『空海』
- 『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』
- 『女帝[エンペラー]』
- 『敦煌』
- 『モンゴル』
- 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』
- 『酔拳2』
紀元前2000年頃。中国幻の王朝『夏』について取り上げる。映画ではなくドキュメンタリー特集だが、これは中国の歴史を語る際に非常に重要な一コマを切り取っている。中国文明が長江や黄河の近くで興り、紀元前2000年~1600年頃に、中国に『夏』か『殷』という中国最初の王朝が誕生した。
紀元前1600年頃。話は殷に繋がる。夏を滅ぼし、中国に君臨する。中国のこの時代には、『漢字』のもとになる『甲骨文字』が誕生した。亀の甲羅や動物の骨の表面に奇妙な文字が書かれているのが見つかり、この甲骨文字は発見されたのである。
紀元前250年頃。そして時代は秦へと移り変わる。ここに登場するのが始皇帝だ。中国を初めて統一した男である。帝の神=北極星。そしてそれは自分であるということで、権威づけのためにこの世界に『皇帝』というワードを創造したのが、この始皇帝である。
紀元前3世紀・戦国時代の中国。残虐な暴君として描かれがちだった始皇帝を、一人の悩める人間として描いた作品であり、彼を取り巻く人物の人間模様と後に史記で語られることになる虐殺と粛清の背景が物語の中心となっている。
紀元前195年晩年の劉邦が楚漢戦争を回想しつつ韓信を粛清していく姿を描く。前漢(ぜんかん)、つまり漢の初期の王朝を興した劉邦。それに『楚漢戦争』で敗北した項羽の二人を軸にした物語である。
200年頃。『三国志演義』に登場する劉備の部下の武将・関羽の「過五関、斬六将」のエピソードが描かれる。レッドクリフで描かれた『赤壁の戦い』が208年で、ここで最初に展開される『白馬の戦い』が200年であることを考えたら、あの映画の少し前の話ということで、曹操と関羽の関係を知っておくにはいいだろう。
西暦208年、曹操率いる20~80万の魏軍に対抗するため、劉備の『蜀(しょく)』、孫権の『呉(ご)』が手を組むことになる。だが、それでも劉備・孫権の連合軍はわずかに5万という劣勢であった。周瑜や諸葛亮孔明といった天才軍師の力を借りながら、この大勝負を覆すことが出来るか。
629年8月、中国では国外への旅行は禁じられていたが、玄奘はどうしても『本当の仏教』が学びたくて、インドへ旅に出る。しかし、意外なことにその旅はどこへいっても歓迎され、16年ぶりに祖国に帰ってきたときも、中国の皇帝に喜ばれた。この命がけの玄奘の大冒険は『西遊記』のモデルとなった。
この漫画も最初のモデルはこの『西遊記』だった。玄奘が命がけの旅をしなければ、日本にこの名作漫画も生まれていなかった。当初は鳥山版『西遊記』を目指しストーリーを進めようとしていたが、担当の鳥嶋に「西遊記そのものではないか」と言われてしまった事実があるという。
800年頃。空海と最澄は共に唐に向かって本場の仏教を学ぶのだが、より深く多く学んだのは空海だった。ゆえに、最澄は空海に教えを乞うほどであった。800年頃にあった富士山の噴火などのシーンや、仏教ならではの曼荼羅など、独特で非日常的な現実に、しっかりとした真理を説く空海の姿が際立つ。
留学のため唐に渡った若き日の空海が、詩人・白楽天とともに唐の都長安を揺るがす巨大な謎に迫る姿を描いた歴史スペクタクル大作。となっているが、フィクション性が高いので、上記作品を観た方がいいだろう。ただここには楊貴妃が出ているという特徴もある。
1040年頃。『幻の都敦煌(とんこう)と李元昊の西夏』。1900年、中国のある人物が偶然に莫高窟中の第16窟の壁の中に隠されていた耳窟から大量の文献を発見した。一体なぜ壁の中にこんな貴重なものが隠されていたのか。原作は井上靖の小説「敦煌」。
シリーズを通して、時代的に欧米列強の侵略に動揺する清朝末期の1860~1900年頃が描かれる。伝説の武道家である黄飛鴻(ウォン・フェイホン)を主役として、中国の歴史と併せながら物語がアクション的に展開される。
1870年頃。全作品にある『酔拳』から2となるが、続いているわけではないのでここから観ても問題ない。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』同様、伝説の武道家ウォンフェイフォンをジャッキー・チェンが演じる。その作品が『シリアスな一面』を描くのに対し、この作品では彼の『ユニークな一面』を描いている。
運営者
やはり中国の歴史が大きいですね。日本に偏ったある専門書などには『2000年間形を変えていないのは日本だけ。アメリカはまだ300年も経っていないし、中国など100年経っていない』とありますが、それは地理的な有利さを書いていないのであまり美しい評価とは言えません。つまり、『いや、タイや日本は場所的に、他国との争いがなかっただけだろう』と言われてしまうわけです。平将門が『新皇』を名乗って東に作ろうとした独立国、琉球王国や蝦夷地、土方歳三が作ろうとした『蝦夷共和国』のことだってありますからね。それで言うと中国は更に広く、そうなるとそこに広がる世界も多岐にわたります。それをまとめるのは簡単なことではありません。
そう考えると始皇帝の中国統一はすごいですね。帝の神=北極星。そしてそれは自分であるということで、権威づけのためにこの世界に『皇帝』というワードを創造したのが、この始皇帝す。更に始皇帝は、中華発想を利用します。バラバラに広がる中国ですが、『中夏』としてこのエリアの中央には『夏』がある。そのようにして、夏の権威を乱用し、自らを権威付けしたのです。
中央から都に官僚を派遣して統治させる中央集権体制を築く。この体制自体は実に2000年にもわたって受け継がれているので、始皇帝はこの意味では、中国にとても大きな貢献をしたことになり、かつ645年にあった大化の改新でも、この始皇帝の作ったシステムを真似て『天皇を中心とした中央集権体制』にしたのですから、やはり中国をメインに考える必要があります。もちろん、現在の日本と中国の関係はそう良いものではありませんから、そのあたりを感情的に考えると、日本を棚に上げたいですけどね。しかし、『レッドクリフ』なんてアジア人が集結して作った中国史上で稀に見る財産です。本来は、あのようにして平和に協力したいですね。
2.『1900年~』
1900年以降のアジアを舞台にした映画を、なるべく時系列順で紹介する。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ドラゴン怒りの鉄拳』
- 『戦場のレクイエム』
- 『孫文の義士団』
- 『1911』
- 『さらば、わが愛/覇王別姫』
- 『ラストエンペラー』
- 『グランド・マスター』
- 『中国侵攻作戦』
- 『高地戦』
- 『無言歌』
清朝末期であるからして、1910年やそこらとなる。ここで日本人が悪役として出るのだが、当時人気が出たのも、大日本帝国の余韻が残る『悪の顔』を潰す爽快感がそこにプラスされたように見える。この映画自体は1972年の映画だ。
1948年。『淮海戦役』国共内戦中3大戦役の1つとされる淮海戦役を背景に、中国も参戦した朝鮮戦争のエピソードを織り交ぜながら、激戦で全滅した部下の名誉回復に奔走する1人の兵士の苦闘を描いた戦争悲劇。
清末の中国では革命派と清朝廷の対立が激化していた。1906年、革命派のリーダーである孫文が香港入りし、同志たちと会合する事が決定。この情報をつかんだ清朝は大規模な暗殺団を香港に派遣した。実話かどうか定かではないが、孫文を軸に大勢がこうして命を懸けたというところが見どころである。
1911年。初代中華民国臨時大総統となった孫文。『中国革命の父』と言われた彼は、どのようにして中華民国を作ったのか。ジャッキー・チェンの記念すべき100作品目という名目を使うほど重視された映画である。
日中戦争や文化大革命などを背景として時代に翻弄される京劇役者の小楼や蝶衣の目を通して近代中国の50年を描く。衝撃のラストシーンから得られる感慨をより深いものにするためには、じっくり3時間、この映画と向き合うことが求められる。
清朝最後の皇帝で後に満洲国皇帝となった愛新覚羅溥儀(ふぎ)の生涯を描いた歴史映画である。彼を語るには3時間ではもちろん短いが、映画としてそれだけの時間は十分長い。最後には哀愁を覚える。そういう映画である。
1930年代中国。中国南部広東佛山の武術家葉問(イップ・マン)が四十歳の頃、佛山に北部東北のクンフー界の重鎮、宮宝森(ゴン・パオセン)がやってくるところから始まる。彼はブルースリーの師匠であり、リーは5年間葉問のもとで修業している。
1937年『日中戦争』ドキュメンタリー映画。時は日中戦争(1937~1945年)。つまり、中国に侵攻するのは日本である。古い映画だが、名前と当時の帝国主義たる大日本帝国から考えられるような一方的な展開はない。むしろ中国がどのようにして日本を『跳ね返したか』ということが詳細に描かれている。
1960年『反右派闘争の結末』。1960年、中華人民共和国の反右派闘争(1957年に毛沢東共産党主席が発動した反体制狩り)によって、多数の人間が甘粛省の砂漠にある政治犯収容所に送られ、強制労働についていた。
運営者
朝鮮は下記に、日本はまた別のレシピにまとめています。また、ここに『クンドゥン』というマーティンスコセッシの映画も該当することになります。ダライラマ14世の伝記映画ですが、チベットという場所で生活した彼ですから、中国政府がやってくるシーンがあります。チベットやダライラマは、中国に対してどう考えているか、どう付き合っていくつもりか、そして戦争が起きた時、どう関わっていくか等に触れているわけです。
ダライラマは、宮崎駿同様に『マルクス主義者』の一面がありました。しかしそれはテキストにすると妙な重さを感じますが、単純に『世界の皆が平等で、平和であると願うことは素晴らしいことだ』と考えていただけです。宮崎駿だって『紅の豚』のポルコの立ち回りを観れば、同じように考えていることが分かりますよね。ただし、ダライラマのような高名な人間は、戦争の道具に使われます。中国が彼、そして彼の周りにいる人間に対し何をしたか。衝撃的な事実を、この映画で目の当たりにすることになるでしょう。