『死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実』
ポスター画像出典:『フィルマークス』
アルパチーノが演じたこのジャック・ケヴォーキアン(Jack Kevorkian, 1928年5月26日 – 2011年6月3日)という医師は末期病患者の積極的安楽死の肯定者で、自作の自殺装置を使った自殺幇助活動にちなんで「死の医師(ドクター・デス、Dr. Death)」と呼ばれた。
日本でなじみのある男は『ドクターキリコ』だ。私は幼い頃からドクターキリコを見ていていつもどこか腑に落ちなかった。漫画ではブラックジャックに視点を合わせるから、それと対極にいるキリコのことは、確かに『悪党』とか敵キャラのように映った。幼いからその正体はつかめない。だが、何かが引っ掛かる。そういう感覚を残すようなキャラクターだった。
出典:手塚治OFFICIAL
中学生、高校生の年へと私は成長していく。17歳の時肝臓がんで父を亡くし、そして20歳を超え、起業をしたり、統合失調症の叔父が死んだり、言語障害と内面に問題のある従業員と向き合ったり、私としては500人の偉人の8000の言葉、歴史、哲学、宗教、神話を学び、3000本の映画を観る。
また、29歳で尊厳死を選び世界の人々を葛藤させた、ブリタニー・メイナードの言葉を、私は忘れない。
『この世界は美しい場所です。旅は、私にとって最も偉大な教師でした。最も偉大な支援者は、近しい友人や仲間たちです。こうしてメッセージを書く間にも、私のベッドのそばで応援してくれています。さようなら、世界。良いエネルギーを広めてください。次へつなげましょう。』
彼女は尊厳死を選ばず延命措置をしていたなら、このようなメッセージはこの世に存在したいなかったかもしれない。彼女は痛くて辛くて、仕方がなかった。これ以上生きるなら、もう自分を維持できる自信がないとして、死を選んだのだ。
問題なのは、『こっそりと死ななかったこと』だと言う人もいる。ふざけるんじゃあない。あんたが死を選択したことで、生きることを諦めてしまう人が出たら、責任は取れるのか。そういう怒りを覚えるのだ。
わずかに感じるヒロイズム的なナルシズムを嫌ったのだろう。なぜいちいち自分の不幸と死をひけらかす必要があるんだ。死ぬのならこっそりと死ねばいい。そしたら誰も止めないし、影響の範囲もわずかしかない。人に通知する以上、そこにはある種のヒロイズム、つまり『英雄視されたい願望』があり、それに酔いしれるのはナルシズムだ。
そういう意見もある。確かにそれもその通りだ。では、視点を変えてみよう。
戦場で人が死ぬとき、例えば『プライベート・ライアン』で見れるように、仲間が撃たれ、モルヒネを打って凌ぐも、もうモルヒネも効かない。『もう一度打ってくれ』と言われた時、言われた側は、『死の外科医』になる。
では、あなたはモルヒネを打って安楽死させる?それとも、打たずに無視して、苦しませてから死なせる?そして、あなたはそれを人に話す?それとも話さず、戦争でなにがあったかを、一生闇に葬る?どの選択肢が彼の為になる?どの選択肢が世界の為になる?どの選択肢が悔いのない人生に繋がっているだろうか。