『プルートで朝食を』
ポスター画像出典:『Amazon』
性別不合の人の人生はあまり共感できないものが多く、毎回勉強のために観ている。それに悩む人が命を絶つ話も近くであるし、(そこまでする必要はない)と考えているが、同時にやはり複雑な目を向けてしまうのが現実なのである。そして彼ら、彼女らにそれだけ理解者が少なく、死が頭をよぎるほど苦しんでいるというのならと、理解したいからこそ、学ぶ目を向ける。
『異物』のように見えるのはもうあとわずか数十年のことなのかもしれない。若い世代は多様性を受け入れるべきだ、『という初期設定』の中で生まれ育っているから自然と受け入れやすくなっているが、また違う初期設定の中で生まれ育った世代は当然、違う受け止め方になる。
だが、この映画が意外と受け入れやすかったのは、ドラマがしっかりとしているからだ。『さらば、わが愛/覇王別姫』でもまったく同じことが言えるが、性別不合ではない人間に、『同性愛の良さ』を押しとおされても、抵抗感がある。
それは別にこのテーマだけに限った話ではない。私の性格上、どんなことでも押し付けは抵抗感がある。親に宗教を強要されて育ったからだ。私がこのテーマの映画を観る時よく首をかしげてしまう理由は、彼ら・彼女らが映画を通して(私たちを理解して!)と訴えたいがために、その主張が押し付け的な逆効果になってしまい、逆に距離ができてしまう現象が起きてしまっているからだ。
だが、『さらばわが愛』もそうだし、今回の場合も近いのだが、ドラマがしっかりしている場合は他のドラマ映画と同じように観ることができる。私はこの感覚が一つのカギのように見える。