『バッファロー’66』
ポスター画像出典:『ヤフー映画』
心理学者は言う。
『男が女性を選ぶんじゃないんですよ。女性が男性を選ぶんです。これをフィメールチョイスと言います。』
彼女は続けて言う。
動物界においては、オスが求愛活動をし、メスがそれを選びとるのが自然のあるべき姿。フィメール(メス)が、メール(オス)をチョイス(選択)する――その法則に則り自然淘汰は行われてきたのであり、生物としての恋愛はそれが本来の姿なのです。
だがよく言われていて浸透しているのは『ハンターとしての本能』とかそういう類である。男が女をナンパする様を『ハンターの狩り』に見立ててそう表現するのである。だとしたら女じゃなくて、男が女を選んでいるように見える。
実は、これは両方が正解なのである。この心理学者は女性だから『女性が強い権利を持っている』と主張するが、しかしもう一つの事実にスポットライトを強く当てると、
『男が女に求愛活動をするところから、すべてが始まる』
という事実が存在する。私などは男だが、自分の話をすると無様になるが、女性が『待つ』態勢になっているのを何度も見ているが、私がアプローチをしないから、一向にそれ以上関係性は発展しない。こういうことを何度も経験している。
ある時、六本木ヒルズをたまたまおしゃれして歩いていたら、前から芸能人が犬を連れて歩いてきて、私を見るやいなや、別にそうでもないはずなのに『急に犬がその場に居座り始めた』という体を取りはじめ、私から声をかけるように画策されたことがある。私が単なる勘違い野郎の可能性もあるが、私も経験をたくさん積んでいる人間だ。目の前で起きたことを瞬時に理解することは得意な方だ。
だが、次の瞬間(この間、まさに1秒程度)この人が先日結婚したばかりということを知っていたし、というかタイプではないので、犬と共に私の前で止まったその人を無視して、映画館に向かった。それは本当のことだ。
いや、彼女も私の『実態』を知れば幻滅したことだろう。しかし『表層』は、『六本木ヒルズにこんな時間の平日に、お洒落な格好をしたちょうどいい年齢の男性が、一人で前から現れた』のであり、もしかしたら彼女の『タイプ』だったのかもしれない。
だが、その『タイプ』の枠の中にはもしかしたら『お金持ち』や『有名な知人が大勢いる』というステータスが揃っていることが条件だったかもしれないので、表層は条件一致でも、話し始めればすぐに
(なーんだ・・)
と幻滅されたかもしれないわけなのである。こういう一瞬の男女の駆け引きの経験はこれが初めてじゃないので、恐らく高い確率でそういうことだっただろう。
つまり、もし私にそのステータスがあり、ちょうど恋人を探していて、その人が私のタイプであった場合、『お互いが条件一致』する為、そこで何かが生まれていたかもしれない。
その時、きっかけを作ったのは間違いなく『演技をした女性』の方だ。だが、私に至ってはあまり常識は通用しない。『メールチョイス』だ。よく、男のそれは『狩り』。そして女のそれは『釣り』と表現するが、どんな盛り場で女性が私にエサをちらつかせて釣りをしようとしても、私は絶対にそれに引っ掛かかったためしがないのである。
それは、幼少期から両親にクリスチャンになるように誘導されて育ったことが影響している。私は絶対に人の誘導に乗らないと固く誓って生きているので、『釣り』に引っ掛かることはないのだ。
だとしたら『フィメールチョイス』は通用しないのか。私に至っては特別で、『メールチョイス』があり得るのか。そんなことを頭に浮かべながらこの映画を見てみる。すると、中々面白い人間の男女の関係が浮き彫りになり、妙な感慨深さと哀愁が垣間見える。