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『マイ ビューティフルガーデン』 レビュー(感想)と考察

『マイ ビューティフルガーデン』

ポスター画像出典:『ヤフー映画

 

 

この説明は鑑賞前に見ておいたほうがいいだろう。

生後間もなく公園の木陰に捨てられていたベラ・ブラウンは、秩序を好み、予測できない自然、特に植物を恐れている。食事の内容と時間、鍵のかけ方、毎日の服や歯ブラシに至るまできっちりと揃えて生活しているが、植物嫌いが祟ってアパートの裏庭は荒れ放題になっている。

 

これが主人公の設定である。

 

人間は、枯渇した要素の穴埋めに躍起になるものだ。貧乏に生まれた人の多くは、(金さえあれば・・)と辛酸をなめた幼少時代の自分を助けるかのごとく、中には拝金主義にすらなってしまう者もいる。かと思えば、ココ壱番屋の創業者のように、『美味しいカレーがお腹いっぱい食べたい』としてカレー屋を開き、本当に美味しいカレーとして国中の人に愛される人もいる。

 

とにかく幼少期の環境は、その人の人生の原動力と関係しているケースが多い。この女性の場合、『秩序を好むのだが植物が嫌い』というのは、完全に環境に支配されている。これを、アウトサイド・インという。

 

ジェームズ・アレンは言った。

一方、環境を支配する考え方が『インサイド・アウト』だ。彼女の場合、自分でルールをきっちりと作ってその中で生活することである種の秩序を覚え、安息に浸ることができているから、自分が後者に当てはまると思いがちだ。だが実際には『自然という秩序』を恐れている以上、それは秩序を愛することにはならず、未熟状態である。

 

動物や虫、草木も同じようにこの世に生まれ、そして命の日数を終えた後、この世を去る。しかし、ただ去るだけじゃない。去った後、あるいは去るときには、他の生命の種となり、肥やしとなる。すべては循環しているのだ。

 

動物が死んだら、小動物がその死骸を食べ、小動物が死んだら、昆虫がその死骸を食べる。彼らがした糞を餌にする生命もあれば、それを土壌にしてすくすく育つ草木がある。その草木が木の実を成らせ、それを鳥や小動物が食べる。草木は人間が出す二酸化炭素を吸って酸素を生み出し、オゾン層を作って太陽の紫外線から地球を守る。雨雲を作る。その雨雲が雨を降らせば、多くの生き物は命を潤すことができる。

 


参考
生態系内の物質循環Biohack

 

こうした自然の法則を俯瞰的な視点で理解すると、一見するとカオスに見えるこの世の一切に『諸行無常』という秩序が見えてくるようになる。意味は、

『この世のすべては、移り変わっていくもの』

 

という意味だ。鬱病の人にもこれが分かっていない人が多い。私は鬱病の本も20冊読んでいるが、『真面目で完璧主義者な人』がかかりやすいという。だが、本当に真面目で完璧主義者なら、こうした真理に辿り着くはずだ。一言、『中途半端』なのである。

 

だからよく強迫神経症の人が、コロナ前の話になるが、雑菌を恐れて外出した後は自分の殺菌に一時間以上かけてから入室するという人がいたが、残念ながらそんなことをしても、部屋にもしっかりとハウスダストがいて、それを赤外線や顕微鏡で拡大視すると、その人の嫌いそうなダニの死骸やカビがうようよ存在しているのである。

ニーチェは言った。

 

『共生』しているのだ。この女性は自閉症で、『自分が作りだした自分だけの世界』で安寧のひとときを過ごすことを生活リズムに取り入れ自分を保っているが、彼女がそうした世界の事実にどこまで近づけるかどうか、それがこの映画の一つの鍵となってくる。こういう時、その繊細だが堅固な『壁』を壊してくれるのは、往々にして基礎ある『離』の境地にいる人間である。