『エレファント・マン』
ポスター画像出典:『Amazon』
19世紀のイギリスで「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描く。やはり実話映画というのは圧倒的に重みが違う。1981年の日本での興行収入一位を記録。月曜ロードショーで放送された際、26パーセントの数字を記録した。これは1982年の洋画放送視聴率の一位である。
時は、現在のイギリス女王エリザベス2世の曾祖母、アレクサンドラ妃が息をする19世紀のロンドン。『象男』などと呼ばれた理由は、彼らのような人々が簡単に『奇人』として扱われた人生問題が緩い時代だったことや、彼が『サーカス』のような見世物小屋にいたことなどが影響している。
『グレイテスト・ショーマン』の人々とは違い、彼の場合は暗い。いや、『歩けない』のだ。サーカスなどとは無縁の、もっと悲惨な状態だった。彼を守ろうとしたホプキンスが演じる外科医と、彼が務める病院の院長のこのやり取りが、すべてを語っている。
院長
どんな人生か想像つくかね?
はい。大体は。
ホプキンス
院長
いや。彼の人生は誰にも想像できないと思う。
つまり、この外科医が彼を見世物小屋で見つけて彼のパートナー的立場で展開されることから、つい皆は『彼だけが唯一の理解者である』という印象を覚えてしまうのだが、いささかそうではないというところが、この話の奥深いところなのである。
事実、アレクサンドラ妃は彼に理解があり、
『イギリスで最も不幸な人の一人に、安心の家を』
というメッセージを出し、彼を守っている。彼を世話する看護師たちもそうだ。
では、彼は幸せなのか。幸せになったのか。我々は最後、彼の一生を見届けた時、得もいえぬ感情がこみ上げてくるのを実感し、そして自然と自分の人生を内省しているだろう。