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『15ミニッツ』 レビュー(感想)と考察

『15ミニッツ』

 

 

タイトルの由来は、アンディ・ウォーホルの「15分で誰でも有名人になれるだろう(In 15 minutes everybody will be famous.)」という名言だという。もっと言うと、ウォーホルはこう言っている。

 

 

この映画は、その両方の意味を持っていると言っていい。もちろんウォーホルがどういう意図で言ったかということは、名言を8000個も内省した私にとって、あまり関係ない。私ほど名言を内省した人間も少ないだろう。多くは誰かの、何タラという名言が好きで座右の銘かなにかにして生きているものだ。

 

その場合は正確性を求めるだろうが、私くらいになるとどうでもいい。つまり、『言った当人を超えてしまっていい』わけだ。例えば当人がブッダについて学んでいなかったとしよう。そして言葉がたまたまブッダの説いた真理と同じ的を射ていたとして、私がそれに気づいたとしよう。その時、私はその言葉を当人よりも超越した領域で理解して受け止めたのだ。

 

もちろん、私が超人ということではない。ではどういう意味を考えられるか。つまりこういうことだ。

『人は真理から逸れることができるが、遅かれ早かれ、引き戻される』

 

派手な殺人をすればそりゃあニュースに載るだろう。それが最初の意味に該当する。そしてそれは同時に最後の意味にも該当する。逮捕された後、あるいは撃たれて死んだ後に、何日かも経たないうちに皆は彼の事を忘れるだろう。

 

『人の噂も七十五日』。それは、何も75日ピッタリで起きる現象のことを指すのではない。同じようにこの『15分』という数字も、必ずしも15分ピッタリで起きる現象のことを言うのではない。だが、そんな『たかだか15分』の為に尊い命が失われた場合どうする。断じて許されることではない。その一線を越えたからこそ人々はざわめき、ニュースになり、結果的に有名になるが、『そんなことの為に命を侮辱するな』という人間の怒りと矜持が、この作品からにじみ出ていて、心を打つのだ。

 

ロバートデニーロが演じる男が大きなカギを握る。彼の人生がこの作品に火をつけ、その価値を爆発的に引き上げている。